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★×2ワーキングシンマザwith PD ★SoWhat!? 今日も元気にC'est ma vie~☆

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離婚を切り出したのは、私であった。・・・ええ。実は。
な~んでかって言うと、元夫がキレるようになったので。DVって言えるのかわかりませんけど、ともかく子供たちも私も怯えて暮らしてたわけです。そんなある日の保育園の帰り道で・・・突然、子供たちが「今日はオトーチャ、機嫌いいかなぁ?」と言って、泣き出した。・・・それっくらい、酷かった。
キレる原因は私のライフワーク活動(芝居)が気に入らない、とか、仕事で嫌なことがあった、とかで。全然、何も相談されないまま突然キレ週間に突入して、7~10日不機嫌になるのです。その期間に、まだ保育園の子供を、ちょっとした事で叱るんです。ガーガー怒鳴って「ゴメンナサイ、ゴメンナサイ」って謝ってる子供に「だめだ!許さない!」って・・・またガミガミ、ガーガー。テレビ見ながら2~3時間。子供たちがテレビを見ようとしたり、泣きつかれて船を漕ぎ出すと、また怒鳴って・・・足で軽く蹴飛ばすの。それで、倒れた子供を笑うの。さらに、倒れた子供をサッカーボールみたいに蹴飛ばして・・・。布団に着地するように蹴る。「上手く蹴っているから、怪我させてないぞ」って笑顔なの。
・・・私は、怖くて怖くて。
結婚して2年くらいで、彼からは命令しかされなくなってた。相談は母親にする人なのね。男性には多いけども、母親の意見が第一で。本人の意思よりも優先だったりする。そういう育ち方をしたのだと思う。キレ週間も、そういうことが許されていたから、大人になっても続いたんじゃないかな。推測だけど。
悪い人ではないけど、敵にはしたくない人。それが、私の元夫でした。結婚するときは、当然、敵になる予定なんてなかったからね。妊娠していて、父親かもしれないもう一人には「無理」って言われてて、困ってたし。
そう、私は元夫の遺伝子を持たない子供を、結婚後に産んだんです。元夫公認のもとに。
その長女と、翌年産んだ長男は、当然、私が引き取るつもりでした。私は過呼吸症候群(後にパニック障害と判明)を持っていたので、普通に働いたことがありませんでしたが、児童福祉課に相談に行ったりして、育てるつもりでした。離婚を切り出してから3日間は、泣いて復縁を懇願していた元夫ですが、私が芝居の稽古で外出している時に、母親に相談したらしく、翌日には「離婚は自分も前々から考えていたので承諾する。が、親権は譲れない」「暴力は認めるけど、その原因はお前にある。離婚したら、もうしない」と、ビックリ発言。それでいて「オレには友達がいないし没頭できる趣味もない。子供たちがいないと生きて行けない」と泣いたりして。「どっちが親権を取っても、月に1回は面会日を作ろう」と言いました。
が、その後すぐに、それまで私が一人でやっていた、家事と子供の世話を率先してするようになり、それと同時に私の姿が見えなくなってしまったのでした。私は、無視というものの威力にのされてしまいました。元夫のいる部屋には、恐ろしくて入れないのです。台所、居間、洗面所、玄関・・・居場所を失って、外出すると家に帰るのが怖くなりました。そこが、私の弱さでした。元夫の命令に、背けない。
深夜に帰ったり、誰もいない昼間に帰ったり、ビクビクして過ごすうちに、どんどん自信を失っていきました。自分には病気がある。両親には頼れない。ギリギリの生活を子供たちを抱えて、耐えられるのだろうか?暴力の原因は私だと言われた。確かに、芝居で忙しかった。私には友達もたくさんいる。どちらかが、子供たちに会えない生活に耐えなくてはならないのなら、それは私の役目なのではないか?病気の私に、どんな生活が送れるだろう?ますます子供たちを苦しめるのではないか?
後に知ったのですが、こういうマイナス思考&消極的考えをしてしまう親って多いらしいです。間違った考えです。自分が辛ければいい、なんて思っちゃいけません。だって、離婚は辛くなるためにするんじゃありませんから。ね?離婚して辛くなるなら、離婚する意味が無いでしょう?
だけど、そのときの私には、そういう考えは浮かばなかった。
面と向かって話が出来ない状況だったので、メールをしました。「月に1回の面会、宿泊を伴う面会、行事への参加。以上の条件をのんでくれるなら、親権を譲歩してもいいです」返事はこうでした「以後、全ての話し合いは調停で承ります」
驚いて家に帰ると、申立書がありました。チラリと見えたのは「家庭を顧みない」という項目に付いたチェックでした。私の最終学歴が間違っていました。・・・絶望を感じた時でした。胸が痛かった。
元夫の無視はずっと続き、絶望してしまった私は、友人宅を泊まり歩くようになりました。時には友人の車で寝ました。子供たちに会うために、週に2回は帰りましたが、居場所は寝室だけでした。
怖くてたまらなかった。
その怖さは、恐らくパニック障害になったことのある人にしか、わからないと思います。
やがて、調停の日が来ました。
そこで、言い渡された元夫の意見は・・・「親権はもらう。面会はゼロ」でした。私は過呼吸発作を起こして、医務室に運ばれました。調停は次回に持ち越されました。調停っていうのは、だいたい1ヶ月に1回のペースで行われます。次回調停までの1ヶ月の間に、元夫から「子供とオレは引っ越すから、お前の荷物、持って行け」と言われ・・・命令に従ってしまいました。これで、「別居」が成立し、私は保険証を失いました。
だいぶ後になって、罠だったのか?と思い、ショックで死にそうでした。それで、子供たちを連れて実家に行きました。直後に元夫から激しい電話とメールの嵐。実家の両親も手助けをするつもりが無いと知り(わかっていたけど)ガッカリして帰る(帰りの新幹線で、子供たちに謝りました。たくさん、泣きました。子供も私も。)と、元夫が子供たちを迎えに来て「もう二度とこんなことするな!」と駅前で派手に怒鳴られました。
そんな中で、調停二回目。元夫の暴力を訴えても、聞いてもらえず「それなら何故親権を手放したのだ」と不審な目で見られ「病気だからです」と答えるとため息をつかれました。・・・まあ、そうでしょう。変ですよね。
ともかく「親権を譲歩するなら条件をのんでもらいたい」と主張したけれど、どうにも取り合ってもらえず「ならば親権を白紙に戻してくれ」と言うと「それは、もう決まったことだから、出来ません。それに、あなた病気なんでしょう?育てられるの?」と嫌な顔をされました。
暴力は元夫も認めましたが、それを理由に面会を頻繁にすることは叶いませんでした。調停人から「後で回数は増やせるから。面会日ごときで裁判する人なんていませんよ」と強く説得され、年3回で合意することになり、書類を作成しながら裁判官が「年3回は多いほうですよ~」と笑いました。正直、死んでしまえって思いました。
離婚成立後、元夫から電話も手紙も禁止されました。住所も電話番号も教えてもらえませんでした。子供たちにとって、面会は大事なのだと説得しても、怒らせるばかりでした。

こうして、私の半身死んだ生活が始まったのです。

この調停に関して、疑問が多く残りますが、朝廷に対して公平さを求めること自体が間違いなのかもしれません。これから調停をなさる方は、ネットや本などで、とことん調べてから臨んでください。
親権は一度決まったら、変えることは難しいです。無理だと言っても過言ではありません。その時の自分に流されずに、ずっと先まで考えて、頑張ってください。
どんな理由でも、親権を手放した母親に、世間は冷たいです。特に地方では、その事実だけで仕事をもらえなくなります。とかく親権者の見方です。世間様はそういうものです。

ですが、何より大切なのは、子供たちの気持ちだということを、忘れないでください。
「離婚しても子供を幸せにする方法」という本をお勧めします。

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今日も子供たちは、元気だったかしら。

罪悪感を植え付けられた脳は、怯えて死にそうだけど、私の心は、お腹の中の子を子供たちと共に祝福したいし、何より生命の誕生を喜びたいのです。

基本的に楽天家で、やはり防衛本能から自己正当化しますから。

過剰反応してしまう脳に、なってしまっただけですから。

早く子供たちに話して、どんな表情をするか、見たい。不安がるか、喜ぶか。ジャッジをくだされたい。

という私の気持ちを嘲笑うように、面会日は決らない。つか、シカトされてる。

このままでは、脳が耐えられないです。いや、本当に。

コントロールが難しすぎるんです。レベル3でボスキャラと戦うくらい。・・・マジやばい。

何かが、壊れ始めているんです。

私が私でなくなってしまう。じわりじわりと。

脳がフリーズしやすくなりました。会話中に言葉が理解出来なかったり、考え中に真っ白になったり、言葉が分解してぐるぐる回って考えられなかったり。

小説も、漫画も、全く構成出来ないです。以前は溢れていたのに。今はスプラッタ。

買い物に出かけて、どこに行くのかわからなくなったり、子供たちのことがフラッシュバックして、運転中なのに、視界がわからなくなったり、かなり、めちゃくちゃです。

体の中から、心だけ、スポっと転がり落ちるんです。何をしていても。

脱け殻の私が、ぼんやりと生きている感じです。

転がり落ちた心は、ずっと叫び続けていて、くたびれます。

このまま、死んでしまったら、私は元夫に殺されるのと同じだ。それだけは嫌だ。

嫌だけど、彼は私の首を絞める手を緩めてくれない。

死ぬまで、苦しめるつもりなのかしら?本当に?

人間って、そこまで残酷になれるものなの?何のために?誰のために?

テレビで、ひまわりみたいな笑顔の妊婦ミラ・ジョボビッチを見て

あれこそが、本来の妊婦の姿だよなぁ、と思った。

今の私は、膨らむ腹に、それを見られることに、とてつもない苦痛を感じる。

ダリンのために、産みたいって気持ちも強く持っているけれど、早く死にたくてたまらない。

こんな妊婦、嫌ですねぇ。

ダメだよねぇ。

・・・フリーズしちゃうんだよねぇ。頑張ろうとすると。

困ったなぁ。

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今の気持ち↑

"友達のような親子"が目標なの。

産む前から、ずっと思い描いていた。自分が親と距離があって他人行儀な感じだったから。

それが、今の状態だと難しい。

やっぱ、物理的に離れていると精神的にも距離が出来ちゃうのね。今まで三時間しかなかったから、ジャスコとか駅前とか、人目のある所で遊ぶしかなくて。そんな場所で精神的なふれあいってのも、無理がある。

私の家に連れて行くなって、ひどいよね。また命令だし。「私たちの生活圏に入って来ないでください」と言うなら、私と子供たちの関係を妨害しないでください!と言いたい。

本当なら、子供たちと直接に面会日の約束をするものだと思うのよね。もうすぐ長女は10才だし。

私が10才の時には一人でバスと電車を乗り継いで、仕事帰りの母と待ち合わせしたわよ。友達と電話もしてた。(子供たちは現在、電話禁止だそうだ)

立派に恋もしてたし、ニュース番組を見て、親とは違う意見を言えた。それに、ストーリー漫画を完結させていた。

立派だったなぁ。今よりずっと。

長女にも長男にも、そういった片鱗がある。互いに違う意見を持ち、それを認め合っている。多少、父親の影響で他人を馬鹿にして笑いをとろうとするけど。

長女は離婚の前後をよく覚えているだけに、気を使ってなかなか本音を言えない。父親が何も説明せずに「母親は家出した」と言ったせいで、いつかもと通りになるという希望を持ち続けてしまっている。辛いと思う。長男は「また一緒に暮らしても、どっちかが家出するよ」と、クール。私と暮らしたいのだそうだ。理由は父親の暴力。今まで誰が見てるかわからないから伏せてきたが、長男は父親に暴力を受けている。もちろん、アザなどは無い。幼い子供たちを蹴飛ばした時も「布団の上だから怪我はしないよ」と誇らしげだった人だ。何度「もう、しない」と言っただろう。離婚調停では、私が悪いのだと言った。私のせいで自分は子供たちにあたるのだと。私は、この人に殺される、と思った。この人は私を殺すことが、出来る人だ。

そんなわけで、私は調停を申し立てたのだ。長男は私にしがみついて、声をあげて泣いた。暴力によって痛むのは心なのだ。たとえ、アザが無くても深く傷ついている。長男はハッキリと、私と暮らしたいと言った。長女は何も言わずに苦笑いした。父親を想って、何も言えなかったのだ。

どうか、二人を自由にしてください。父親に気を使い、怯える暮らしから、解き放ってください。

願っても、日本の法律では、怪我をするほどの暴力が無いかぎり親権は変えられない。無謀な裁判に立ち向かえる弁護士も、いない。そして、一番悲しいのは調停も裁判官の考え次第であるということ。事実、前回の面接交渉で、調停人に離婚調停での裁判官の信じられない一言を告げると、調停人は調書をめくり「ああ〜」と苦い顔で唸り、隣の調停人にその名を指し示し、二人はたがいに気まずそうに頷いた。離婚調停での裁判官は子供たちのことを真剣に考えてくれる人物ではなかったのだ。離婚調停で、私はハッキリと父親の暴力を告げたのだから!

日本は変わらなきゃいけない。

その前に、父親は変わらなきゃいけない。もう、一言も嘘はつかせない。一歩も引かない。

私は、暴力親父に捧げるために子供たちを産んだのではない。子供たちの人生は子供たちのものだ。親が子に与えるのは、我慢ではなく笑顔だ。押しつけるのではなく、教えるのが親だ。そして、傷つけるのではなく、守るのが親だ。

一応、付け足しておくが、父親は悪くない。悪いのは風土とプライドと、よく動く足である。

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誰か、あの人を叱ってくれないかなぁ。・・・あ、前の調停で裁判官が叱ってくれたんだっけ。なのに結局、手紙もやりとり出来てないし、2ヶ月に1回にも、ならない。必ず延期っすよ。

どんだけ〜!?

どんだけ苦しめれば気が済むの〜?どん苦〜?どん苦〜?

どんだけ自分勝手なの〜?どん勝〜?どん勝〜?

父が苦しそうです。

離婚するって話になった時、父は、彼の母親に電話した。くそ真面目な父だから「私の娘の事なのだから、彼から私に説明があって当然だと思った」そうで。何の説明も無いので彼の母親に電話したら「もう、うちで決まったことですから!」って切られちゃったんだって。ゆえに、父いはく「あの離婚は母親が決めちゃったんだよ。彼は何でも母親の言うなりだったし、そうしなきゃならなかったんだよ」って。

さらに「子供たちを育ててくれているのだから、感謝しなくてはいけない。何か手助け出来ることがあれば何でもしたい」と、離婚後の面会日に彼に言った。父は私以上に彼を信じていた。

最近は「彼のことは諦めなさい。そういう人間なんですよ。何を言っても無駄ですよ」とガッカリしてる。「何でだろうなあ?」って、しきりに首をかしげる。「なんでそこまで頑なに拒絶するのかが理解できないんだよなぁ」そう言いながら、でも、彼が最愛の娘を傷つけることに、悲しみ憤っている。一度はこう言った「僕はね、貴方が一番心配なんですよ。貴方は私の娘なのだから」

私だけじゃないのだ。彼が苦しめているのは。私の父も母も、どんだけ辛い思いをしているか。

以前は私を馬鹿だ馬鹿だと責めていた母も、私が彼に深い恐怖を抱いていたこと、彼が私に恐怖を抱かせるに足る人物だということを理解して、最近は「辛い思いしてるあんたの前で、あたしが泣いたらおかしいけどさ、あんまりだわよ、ねぇ」と泣く。

・・・ふと、思ってしまう。

彼の母親は、兄は、妹は、現状に満足し、平凡な幸福にひたっているのだろうか?・・・そうだとしたら、私は言いたい。あなた方の幸福は、私たち一家の苦痛と涙で成り立っているのだ、と。

何故、きちんと向き合って話し合いが出来なかったのだろう?彼は私を無視することで逃げ、私は彼が恐ろしくて逃げた。彼は、私の病気と調停を利用して私を騙し、子供たちを連れ去ったのだ。そうしなければ、彼は親権を取れなかった。

何故、親権が必要だったのか?

・・・今となっては、過去の話。しかし、父は今も彼からの説明があって当然だと思っている。

そして、私も父も母も、苦しみ続ける。彼の家族の平凡な幸福の足元で。

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私が発病したのは、18の春だった。わけのわからない症状と、自分で自分をコントロール出来ない恐怖と、嘲笑う白い目に私は粉々になった。

初めて行った精神科の肥満医師は「気のせいだよ」と笑い、泣きだした私をニヤニヤと見つめて「悔しいか?」と言った。まるで私が仮病を使っていて、それを暴いてやったぞと言いたげな顔だった。

同じだ。こないだの調停人と。

私は両親から責められ、自殺寸前の精神状態になり、友人を頼って山形に逃げた。

節食障害で激やせしたり、広場恐怖などを乗り越え、芝居を通じて仲間が出来て、恋人が出来て、浮気されて、また悪化して、通院。不安神経症との診断だったが、今にして思えば、情報が古いままの診断だ。

両親に病気のことを説明しても、信じてもらえず、仕送りを打ち切られ、仕方なくスナックで働くも、発作を起こしてイジメられ、苦しい日々が続いた。

悲しい事実であるが、東北は関東に比べると全てが遅れている。医療から流行、一般論に至まで。

日本全国、変わらないのは結婚前の男の約束は守られない、ということ。

「仕事はしなくていいよ、好きなことだけすればいい。病気なんだから」

まず「病気」という事実が打ち消された。理解に苦しむが、何故か消されてしまった。私の怠さや発作に舌打ちをするようになった。

次に、好きなことをするのに条件が出された。「家事と育児の手を抜かないこと」私の病状を知っていての条件だ。好きなことを制限させる条件と言える。

次に「仕事するだろ?」と突然言われた。この頃には私に命令しかしなくなり、かなりな殿様だった。

以前、症状が出て断念した教習所へ通い、免許を取って、ハードな日々が始まった。太ることが無かった。好きなこと、とは、芝居だったのだが、制限されると欲が出るもので、がむしゃらに活動した。その活動が病気をおさえてくれていた。

そんな私を「遊んでばかりいる」と義母も元夫も責めた。元夫はキレるようになり、子供たちに八つ当たりした。些細な事で叱り、泣いて謝罪する幼児を数時間、座ることも許さずに叱り続け、立ったまま泣きすぎて眠りそうになる子を足で蹴飛ばし、転ばせて、結局、許さない。そんなことがあるたびに、私は子供たちを連れて実家に非難した。当時のパート先の店長が証明してくれる。一年のうちに三度あった。元夫はすぐに実家に迎えに来た。もうしないから、と謝罪した。そんなある日、子供たちを保育園に迎えに行った帰り道、子供たちが泣き出した。「今日はお父ちゃん機嫌いいかなぁ?」と、泣き出したのだ。私が離婚を決意した瞬間だった。

離婚を切り出して3日は「考え直してくれ」と泣いた元夫だったが、義母に相談して急に意見が変わった。「離婚は自分も前々から考えていたので受け入れる。が、親権は渡せない」ここでは、まだ「俺は一人では生きていけない」と泣いたし「どちらが親権を取っても面会は月に一度にしよう」と言った。この数日後に、また態度が急変。私の仕事である家事と子供たちの世話を普段はしない元夫がやりはじめ、私を完全に無視した。その恐怖感は全身にこびりついていて、今も元夫をまともに見れない。私は狭いアパートの中で居場所を失った。恐ろしくて恐ろしくて、もうダメだと思った。私は、あの男に逆らえない、と。本当に友達がいなくて一人では生きていけないんだ、私は友達が沢山いる。親権は譲るべきかもしれない。そう考え(半分は恐怖感から逃げたのだが)元夫に親権譲歩と条件をメールした。(顔を合わせては話せない心理状態になっていた)月に一度の面会、宿泊を伴う面会、行事への参加、これらを許可してくれるなら、親権を譲歩してもよい、 と。その翌日、元夫は調停を申し立て、以後話し合いは調停で、と請け合わなかった。そうして、調停で私は家庭を捨てたと責められ、親権は元夫になり、面会は無しと告げられ、発作を起こして倒れた。次の調停までに「引っ越すから荷物を持っていけ」 と元夫に言われ、引っ越し先は教えてもらえなかった。私は勇気をふりしぼって子供たちを連れて実家に行った。すぐに元夫から非難のメールや電話がじゃんじゃん来た。実家の両親は、協力的ではなかった。私は病気のためフルタイムで働いたことが無かった。親権は取れないと思い、山形に戻った。迎えに来た元夫に「二度とこんなことすんな!」と怒鳴られた。全てが終わった気がした。それからの調停は、面会日を取るのに必死だった。元夫は0回から譲らない。条件をのんでくれないなら、親権は白紙戻してくれと言ったが、私は別居になってしまっていた。罠だったと気付き、死にたかった。死にたかった。殺されたも同然だった。調停は最終回となり、お互い譲らないので調停人は必死の説得。回数は後で増やせる、年三 回は多いほうだと笑う裁判官。私の半身が死んだ。

私は「離婚しても子供たちを幸せにする方法」という本をバイブルにしていた。子供たちにとって、どちらの親も大事な存在であり、面会が必要なことを学んだ。また、別れた親同士が憎み合うことが、子供たちには負担であることも。離婚後しばらくは、生きることに必死だった。毎日発作を起こして、のたうちまわった。両親からは馬鹿だと言われ、離婚した女に世間は冷たかった。どうにか仕事を見つけ、病気と戦いながら働いた。元夫への説得も続けた。が、完全に私の存在を消したいのだと思い知るばかりで、辛かった。子供たちにも「お前たちはお父ちゃんから産まれた」と言ったらしく、子供たちから「違うよね?」と聞かれた。5才児は彼より大人だった。

今現在も「病気のことを押し出してくるのはやめてください。迷惑です」と、言われる始末。私の症状の悪化は子供たちに会えないことが原因で、それは医者にもどうにもできない。私の症状は元夫次第なのだが。

予定は延期される。日曜日限定。私の夫や家には子供たちを近付けるな。など、言葉使いは丁寧だが、命令である。

私は弱い。耐えられない。それを元夫は知っている。知っていて、耐え難い状況に追い込む。これは、殺人と変わらない。

殺されて、なるものか。

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Sight...
またしても、面会日の予定延期。必ずだ。必ず延期になる。

お盆も仕事で無理だって。なぜ彼のスケジュール優先なのかしらね?優先すべきは子供たち。子供たちの福祉を最優先!のはずが・・・夏休みでも日曜日じゃなきゃダメなんて。日曜日は少年団なのに。

あからさまに、私への嫌がらせ。結果的に子供たちを苦しめてる。嫌だな。好きだった人が、こんなことするなんて。嫌だよ。

親権譲歩したのは間違いだったね。

今日、ラーメン屋で占いしたの。レトロな、丸い小さな球に折りたたんだ紙が入っている奴ね。

格言「兎を見て犬を放つ」

兎を見てから犬を放っても遅くない。失敗の後改めても遅すぎることはない、のたとえ。

遅くないといいなぁ!!

なんだかんだ、元夫の望みを叶えてあげてるのに、私の望みは・・・アンフェアだわ。

今まで出したハガキは子供たちに渡っていないようだし。悔しい。どんだけウソつき〜!?

つか、産んでみろって。仕込むだけとは違うんだぞー。

満足なコミュニケーション出来ないまま子離れしなきゃならないなんて、残酷だぁ〜〜。

まぁ、三才まで、しっかり育てたからね。馬鹿なことはしないわよ。多少歪んでも、芯はしっかりしてる。

何年かかかっちゃうけど、願いは叶えるからね。必ず。

ひどいお父ちゃんでごめんね。悪い人ではないのだけれど、感情のコントロールや発散の仕方を間違えてるだけなの。愛だらけで、がんじがらめなんだよ。シンプルになれないんだね。もうしばらく、お父ちゃんをヨロシクね。我慢してあげて。ごめんね。

神様とか呼べる存在があるなら、フェアにしてくださいよ。

あたし、本気でギリギリだわ。なんで生きてるのかわからなくなる。寿命よ早く来いって唱えちゃうんだよ。苦しいから、ロボットになろうとしちゃって。週の半分はロボ。我慢するほど苦しくなる。

子供たちも我慢するほど苦しくているのかと思うと、もう・・・たまらん。

どうにかしたいねん。

どうしたらいいんだろ?

誰に聞いたらいいんだろ?

電話相談は嫌な結果になりよったし、家族は・・・面倒を嫌うし・・・悲しくなってきたな。

暴力ふるわれてんねんで?何で誰も助けてくれへんの?日本は変な国ね。冷たいわ。

死ねばいいのん?

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暗くなると電気を付けたくない。暗闇にいたい。思考が止まらないが言葉は形を成さない。なにがなんだか、よくわからない。そんな日々が続いた。

真実はどこだ?ポジティブになれるのか?ならなきゃいかん、気がする。ちからが出ないなぁ。・・・そもそも、なんでだっけ?ああ、そうか。引っ越しされちゃったからだ。離婚調停中に。あれで、事実上別居になって、だから親権取り戻せなかった。何もかも失った。

ひどいけど、法律上は罪にならない。母と子の面会を優先しないのも、法律上は罪にならない。会えなくて淋しいのを我慢している子供たち。十分に傷ついている。・・・子供たちの権利を迫害しているが、日本では罪にならない。

こんな現状。真実はどこだ?優先すべきは子供たち。だが、なぜか親権者の気持ちが最優先。会わせない事が罪にならないからだ。変な法律。

法律を盾に、ワガママ放題な親権者は、何人か知っている。自分が正しいと豪語して譲らない。母親に会わせたくない父親に気を使うから、子供たちは我慢の連続。いざ、自由になっても、きっと我慢する。・・・その姿を父親は、会いたくないのだと思い込む。母親を悪者と思い込んでいるから、子供たちの苦痛に気付けない。・・・こうして、私が考えてることすら、何かひどく悪いことのように受け取って、どうにかして苦しめようとする。・・・そもそも、その嫌悪感が間違い。気付かないまま、子供たちを傷つけていく。・・・そんな親権者を法律が正当化する。

私には何も出来ない。

悔しいけど、私には、もう、これ以上何も出来ない。

・・・せめて2ヶ月に一度という取り決めは守ってもらおう。手紙もちゃんと子供たちに返事を書く権利を与えてもらおう。まだ一度も返事をもらっていないから。次また、2ヶ月後くらいに会えるよ、と言えるなら、以前より子供たちは安心するだろう。次に会う季節もわかるから、何をしようか考えるのも、楽しくなるだろう。

そして、会うたびに抱き締めて我慢を休ませてあげよう。存分に泣かせてあげよう。涙には、浄化作用がある。それまでの我慢を浄化して、前に進む力を持てる。

そうして、私も前に進もう。いつか、元夫と良い関係になれるように、これまでの恐怖や苦痛を浄化して、許し、受け入れ、待とう。・・・難しいことだから、出来るかわからないけど、母親として、子供たちの見本にならなきゃ。どんなに辛くても、生きていけると証明しなくちゃ。

あたしは強い。だから、あたしの子供たちも、強くなれる。そう、誰もが思えるように、生きる、努力をしよう。

死にたい気持ちを浄化するには、どれだけの涙を流さなきゃならないだろう?

常に前向きではいられない、脳だから、きっと罪悪感や恐怖や苦痛に飲み込まれる日々もあるし、無気力に泣くだけの日々もある。・・・幸いなことに、今の私には居場所がある。シカトされっけど、居場所はある。

猫を飼って正解だった。泣く私を慰めようとしてくれる。まだ生後3ヶ月なのに。猫の本能に救われている。

私が辛いのと、元夫の辛さは色も形も違うけれど、比べられない。お互い辛いのだから、一歩譲り合うのが、良いかな、と思う。離婚調停のやり方は卑怯だったけど、そうしなければならなかった心理は、わかるような気がする。私も、そうしたかった。別れは誰でも辛いもの。

毎日、自分との戦い。だけど、これからは、なるべく自分を甘えさせることもしないと、確実に耐えられない。スパルタは卒業して、ソクラテスに入門しよう。

・・・ポジティブシンキングしているそばから、辛いなぁ。子供たちは、今日、笑顔だろうか?泣くのを何回、我慢したろう?手をつなぎたい。抱きしめたい。声が聞きたい。

信じてる。幸せを願ってる。辛いことも楽しんでしまえる強さを願ってる。

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いきなり暴露しますが。

お腹に小さな命がある。

調停人から「会えないことよりあなたの妊娠のほうが、子供たちは傷つきますよ!」と言われた。私は子供たちが望むのでもっと面会を増やしたいだけなのに「子供たちに会いたいと言わせたのね」とか「会えないわけじゃないでしょう?会えない人もいるのよ」と、とんだ勘違い。私が会いたいから嘘を付いていると言わんばかりに攻められた。発作を起こし、四年ぶりの医務室。四年前も、私の話を聞いてくれなかった。まるきり悪者扱いで、とんちんかんだった。調停って、こんなんでいいの?双方の話を聞いて、公平な判断をしてくれるんじゃないの?調停人の思い込みや個人的意見で決めてるよね?前回は、おそらく元夫が不満だったはず。かなり無理矢理だったよね?

子供の福祉を、望みを最優先してくださいよー!!!そのために調停してるのに、疑われ、傷つけられ、散々ですけど山〓家裁。

今回の妊娠は、自殺願望に取り憑かれたダリンを救うための、私なりの考えなんです。それを、ひどく悪い事のように言われて、それで発作起こしたわけで。

訴えてやりたい。

「子宮ガンの疑い」止まりの今が最後の出産チャンスなんだぞ!そんなことも知らずに、妊娠に罪悪感を持たせるなんて!!堕ろせって言ってるようなものじゃないですか!!

絶対、あの調停人はチェンジしてもらう。もしくは、訴える。面会交渉と関係の無い発言により、精神的、肉体的苦痛(発作)を受けました。ってな。・・・いやいや、平和主義者ですから、穏便に、穏便に。・・・クスッ。

もぉ、元夫の意地悪に見えない意地悪にも、話にならない調停にも、うんざりだわ。論点ずらさないでー!聞いてー!早く過去に立ち向かって前進してー!子供たちを自由にしてー!心を満たしてあげよーよ!君も、君も、子供たちも。

あたしが説得するしかない、と前回は言われて、今回はするな!って。わけわからん。

離婚調停の裁判官が前回の人だったら、私に親権が戻るか、月イチ面会が実現していたのだろうな。


★結論★

調停はバクチ。

これから調停する人は、気を付けてね!!

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山形の弁護士さんも、栃木の弁護士さんも、カウンセラーも、みんなが驚いていた「年3回の面会。しかも1回3時間」これには、当然、裁判所の方々も驚いておりました。

1回目の最後では、両者の意見を合致させて、両者合意の上で終了ですから・・・年3回は変えられないと思います・・・。ということだったのだが、2回目は裁判官が「増やさなきゃいかんだろう!」という考えで。頑なな相手を、どうやって説得すべきなのか・・・?ということに皆で悩みました。

やっぱりね、面会は多いほうが良いに決まっているのだそうですよ。ましてや、相手に面会を拒否する具体的な理由が無いわけですから。「少年団」とか「元配偶者への嫌悪」では理由になりません。最終的に、裁判官が説得に乗り出したそうで。相手は「皆してグルになっている」と憤慨したようですが、そんなことはありません。本来なら1ヶ月に1回ってしたがってましたよ、みんな。でも、子供を抱えた生活のことや、心情を配慮して2ヶ月に1回程度(若干曖昧に)としたのです。・・・その辺が、伝わっていないようで。すっごい・・・お怒りになられていました。・・・子供たちのことを考えたら、当然とちゃうの?つか、最初に自分が月に1回って言ってるし。立場が逆だったら、相手も望むと思うのですけど。

まあ、いろいろ、複雑なのでしょう。

憎しみや心の傷ってものが、そうそう簡単に消えないことは、よく知っています。だから、今回は本人に「ありがとう」って言いました。返事はなかったけど。

信じ続けます。いつか、笑顔で会話が出来るようになるって。良い友に出会い、良い伴侶を得て、どうか癒されますように、と祈っています。会わせないことで、子供たちから嫌われてしまったら、悲しいですよ。後々辛くなりますよ。・・・なんて、私が意見すると、また怒らせてしまうので、言いませんけども。

人間の心って、本当にやっかいだなぁ。

久しぶりに間近で彼を見てね、ああ、相変わらずの髪型だな~とか、お洒落メガネしてるな~とか、若干ヒゲが伸びてますよ~とか思えた自分に拍手ですね。その後に恐怖感に襲われちゃいましたけど、冷静に向き合えたと思います。これからも頑張って、恐怖心を克服したいです。

なんだかね・・・申し訳ない気分が少し。離婚には両者に原因があるのだから、どっちが悪いとか無いけども・・・ごめんねって思った。こんなに頑なにならなければならないほど、苦しいんだねって。過去に自分が憎んだ経験を生かして、刺激しないように接していきたいと思います。頑張ります。

ともあれ、増えます!!やったね!!my dearの勝利だよ!!諦めなければ願いは叶うんだよ。もう、おかあちゃんは君たちを絶望させない。願いなさい!叶えましょう!無償の愛を捧げます。安心して、社会に出なさい。どんな時も、どんな事も、受け止めてあげる。

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調停、第一回目が行われた。結果は続行。次回に続く。

摩訶不思議なことに、元夫には面会日の増加も時間延長も手紙や電話の要求も、届いていなかったらしい。むしろ、要求が無いことを不思議に思っていたそうで、時間延長と手紙が許可された。

我慢していたから、とても嬉しい!!早速、手紙を書いた。夢中になって、明け方になってしまった。


そして、思考が止まらない。

子供たちは所有物ではない。一個人であり、守るべき存在であり、愛すべき人である。両親からの惜しみない愛を受けることが、子供たちの当然の権利である。親が子供より自分を守ってしまったら、それは子供たちに対する侮辱であり、心に穴をあける行為に他ならない。いつか、その穴が子供たちを苦しめ、さらには親をも苦しめる。修復は可能だが、10年以上かかってしまう。いや、それでも完全に塞げはしない。・・・私自身の経験であり、いくつかの親子にあったことだ。



みんな、心を大切に考えてほしい。見えないから、難しいから、理解しきれないからと、おざなりには決してしないでほしい。

自己防衛本能が、時に誰かを酷く傷つけることを、忘れないでほしい。傷ついたなら、傷つけないようになってほしい。少しの優しさを必要とするだけだ。ほんの少しの。

過剰な愛は人を狂わせるのだね。どんな人も親は選べなくて、愛さずにはいられなくて、時に苦しむのだね。傲慢って言葉の内容は恐ろしいね。よく、童話なんかで「高い所から降りて、下から見なさい」という教訓があるけれども、意味深いね。横からも見たらいいかもね。後ろから、とかね。傲慢、には、なりたくないです。だから、下にいます。



世界はどこもかしこも多種多様。同じ、なわけは無い。全てが思い通りにいくわけが無い。それでも、受け入れることに積極的になると、広がる部分がある。

希望は捨てるな。欺瞞を捨てろ。

無菌マイキングダムを作るな。勇気を作れ。

失笑するな。疾走しろ。

決め付けるな。身に付けろ。

世界は足元に広がっている。大地に突っ伏して、その小さな野草に気付いてくれ。

楽をするな。楽しむんだ。

本当の顔を見せてくれ。少しの勇気と優しさを見せてくれ。影との戦いに旅立とう。



ああ、旅に出たい。今すぐに。



元夫にも伝えたので、正式に公言いたします。

再婚しました。

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