私が発病したのは、18の春だった。わけのわからない症状と、自分で自分をコントロール出来ない恐怖と、嘲笑う白い目に私は粉々になった。
初めて行った精神科の肥満医師は「気のせいだよ」と笑い、泣きだした私をニヤニヤと見つめて「悔しいか?」と言った。まるで私が仮病を使っていて、それを暴いてやったぞと言いたげな顔だった。
同じだ。こないだの調停人と。
私は両親から責められ、自殺寸前の精神状態になり、友人を頼って山形に逃げた。
節食障害で激やせしたり、広場恐怖などを乗り越え、芝居を通じて仲間が出来て、恋人が出来て、浮気されて、また悪化して、通院。不安神経症との診断だったが、今にして思えば、情報が古いままの診断だ。
両親に病気のことを説明しても、信じてもらえず、仕送りを打ち切られ、仕方なくスナックで働くも、発作を起こしてイジメられ、苦しい日々が続いた。
悲しい事実であるが、東北は関東に比べると全てが遅れている。医療から流行、一般論に至まで。
日本全国、変わらないのは結婚前の男の約束は守られない、ということ。
「仕事はしなくていいよ、好きなことだけすればいい。病気なんだから」
まず「病気」という事実が打ち消された。理解に苦しむが、何故か消されてしまった。私の怠さや発作に舌打ちをするようになった。
次に、好きなことをするのに条件が出された。「家事と育児の手を抜かないこと」私の病状を知っていての条件だ。好きなことを制限させる条件と言える。
次に「仕事するだろ?」と突然言われた。この頃には私に命令しかしなくなり、かなりな殿様だった。
以前、症状が出て断念した教習所へ通い、免許を取って、ハードな日々が始まった。太ることが無かった。好きなこと、とは、芝居だったのだが、制限されると欲が出るもので、がむしゃらに活動した。その活動が病気をおさえてくれていた。
そんな私を「遊んでばかりいる」と義母も元夫も責めた。元夫はキレるようになり、子供たちに八つ当たりした。些細な事で叱り、泣いて謝罪する幼児を数時間、座ることも許さずに叱り続け、立ったまま泣きすぎて眠りそうになる子を足で蹴飛ばし、転ばせて、結局、許さない。そんなことがあるたびに、私は子供たちを連れて実家に非難した。当時のパート先の店長が証明してくれる。一年のうちに三度あった。元夫はすぐに実家に迎えに来た。もうしないから、と謝罪した。そんなある日、子供たちを保育園に迎えに行った帰り道、子供たちが泣き出した。「今日はお父ちゃん機嫌いいかなぁ?」と、泣き出したのだ。私が離婚を決意した瞬間だった。
離婚を切り出して3日は「考え直してくれ」と泣いた元夫だったが、義母に相談して急に意見が変わった。「離婚は自分も前々から考えていたので受け入れる。が、親権は渡せない」ここでは、まだ「俺は一人では生きていけない」と泣いたし「どちらが親権を取っても面会は月に一度にしよう」と言った。この数日後に、また態度が急変。私の仕事である家事と子供たちの世話を普段はしない元夫がやりはじめ、私を完全に無視した。その恐怖感は全身にこびりついていて、今も元夫をまともに見れない。私は狭いアパートの中で居場所を失った。恐ろしくて恐ろしくて、もうダメだと思った。私は、あの男に逆らえない、と。本当に友達がいなくて一人では生きていけないんだ、私は友達が沢山いる。親権は譲るべきかもしれない。そう考え(半分は恐怖感から逃げたのだが)元夫に親権譲歩と条件をメールした。(顔を合わせては話せない心理状態になっていた)月に一度の面会、宿泊を伴う面会、行事への参加、これらを許可してくれるなら、親権を譲歩してもよい、 と。その翌日、元夫は調停を申し立て、以後話し合いは調停で、と請け合わなかった。そうして、調停で私は家庭を捨てたと責められ、親権は元夫になり、面会は無しと告げられ、発作を起こして倒れた。次の調停までに「引っ越すから荷物を持っていけ」 と元夫に言われ、引っ越し先は教えてもらえなかった。私は勇気をふりしぼって子供たちを連れて実家に行った。すぐに元夫から非難のメールや電話がじゃんじゃん来た。実家の両親は、協力的ではなかった。私は病気のためフルタイムで働いたことが無かった。親権は取れないと思い、山形に戻った。迎えに来た元夫に「二度とこんなことすんな!」と怒鳴られた。全てが終わった気がした。それからの調停は、面会日を取るのに必死だった。元夫は0回から譲らない。条件をのんでくれないなら、親権は白紙戻してくれと言ったが、私は別居になってしまっていた。罠だったと気付き、死にたかった。死にたかった。殺されたも同然だった。調停は最終回となり、お互い譲らないので調停人は必死の説得。回数は後で増やせる、年三 回は多いほうだと笑う裁判官。私の半身が死んだ。
私は「離婚しても子供たちを幸せにする方法」という本をバイブルにしていた。子供たちにとって、どちらの親も大事な存在であり、面会が必要なことを学んだ。また、別れた親同士が憎み合うことが、子供たちには負担であることも。離婚後しばらくは、生きることに必死だった。毎日発作を起こして、のたうちまわった。両親からは馬鹿だと言われ、離婚した女に世間は冷たかった。どうにか仕事を見つけ、病気と戦いながら働いた。元夫への説得も続けた。が、完全に私の存在を消したいのだと思い知るばかりで、辛かった。子供たちにも「お前たちはお父ちゃんから産まれた」と言ったらしく、子供たちから「違うよね?」と聞かれた。5才児は彼より大人だった。
今現在も「病気のことを押し出してくるのはやめてください。迷惑です」と、言われる始末。私の症状の悪化は子供たちに会えないことが原因で、それは医者にもどうにもできない。私の症状は元夫次第なのだが。
予定は延期される。日曜日限定。私の夫や家には子供たちを近付けるな。など、言葉使いは丁寧だが、命令である。
私は弱い。耐えられない。それを元夫は知っている。知っていて、耐え難い状況に追い込む。これは、殺人と変わらない。
殺されて、なるものか。
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