今の気持ち↑
"友達のような親子"が目標なの。
産む前から、ずっと思い描いていた。自分が親と距離があって他人行儀な感じだったから。
それが、今の状態だと難しい。
やっぱ、物理的に離れていると精神的にも距離が出来ちゃうのね。今まで三時間しかなかったから、ジャスコとか駅前とか、人目のある所で遊ぶしかなくて。そんな場所で精神的なふれあいってのも、無理がある。
私の家に連れて行くなって、ひどいよね。また命令だし。「私たちの生活圏に入って来ないでください」と言うなら、私と子供たちの関係を妨害しないでください!と言いたい。
本当なら、子供たちと直接に面会日の約束をするものだと思うのよね。もうすぐ長女は10才だし。
私が10才の時には一人でバスと電車を乗り継いで、仕事帰りの母と待ち合わせしたわよ。友達と電話もしてた。(子供たちは現在、電話禁止だそうだ)
立派に恋もしてたし、ニュース番組を見て、親とは違う意見を言えた。それに、ストーリー漫画を完結させていた。
立派だったなぁ。今よりずっと。
長女にも長男にも、そういった片鱗がある。互いに違う意見を持ち、それを認め合っている。多少、父親の影響で他人を馬鹿にして笑いをとろうとするけど。
長女は離婚の前後をよく覚えているだけに、気を使ってなかなか本音を言えない。父親が何も説明せずに「母親は家出した」と言ったせいで、いつかもと通りになるという希望を持ち続けてしまっている。辛いと思う。長男は「また一緒に暮らしても、どっちかが家出するよ」と、クール。私と暮らしたいのだそうだ。理由は父親の暴力。今まで誰が見てるかわからないから伏せてきたが、長男は父親に暴力を受けている。もちろん、アザなどは無い。幼い子供たちを蹴飛ばした時も「布団の上だから怪我はしないよ」と誇らしげだった人だ。何度「もう、しない」と言っただろう。離婚調停では、私が悪いのだと言った。私のせいで自分は子供たちにあたるのだと。私は、この人に殺される、と思った。この人は私を殺すことが、出来る人だ。
そんなわけで、私は調停を申し立てたのだ。長男は私にしがみついて、声をあげて泣いた。暴力によって痛むのは心なのだ。たとえ、アザが無くても深く傷ついている。長男はハッキリと、私と暮らしたいと言った。長女は何も言わずに苦笑いした。父親を想って、何も言えなかったのだ。
どうか、二人を自由にしてください。父親に気を使い、怯える暮らしから、解き放ってください。
願っても、日本の法律では、怪我をするほどの暴力が無いかぎり親権は変えられない。無謀な裁判に立ち向かえる弁護士も、いない。そして、一番悲しいのは調停も裁判官の考え次第であるということ。事実、前回の面接交渉で、調停人に離婚調停での裁判官の信じられない一言を告げると、調停人は調書をめくり「ああ〜」と苦い顔で唸り、隣の調停人にその名を指し示し、二人はたがいに気まずそうに頷いた。離婚調停での裁判官は子供たちのことを真剣に考えてくれる人物ではなかったのだ。離婚調停で、私はハッキリと父親の暴力を告げたのだから!
日本は変わらなきゃいけない。
その前に、父親は変わらなきゃいけない。もう、一言も嘘はつかせない。一歩も引かない。
私は、暴力親父に捧げるために子供たちを産んだのではない。子供たちの人生は子供たちのものだ。親が子に与えるのは、我慢ではなく笑顔だ。押しつけるのではなく、教えるのが親だ。そして、傷つけるのではなく、守るのが親だ。
一応、付け足しておくが、父親は悪くない。悪いのは風土とプライドと、よく動く足である。
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