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★×2ワーキングシンマザwith PD ★SoWhat!? 今日も元気にC'est ma vie~☆

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今日、家庭裁判所からの通知が届きました。

さいこうの日を増やすべく、昨年末に調停の申し立てをしたのです。


私がパニック障害だと判明したのは離婚して一年四ヶ月と二十二日後のことでした。

だから、離婚調停の時には誰も私の病気を正しくは知らなかったのです。

病名が変わって、状況も変わりました。


話し合いがしたいのです。

面と向かってでは、トラウマが大きすぎて出来ませんでした。

大人なのに情けないですが、第三者に介入していただいて、話し合いが出来るなら、と頑張りました。

私のようなPDさんには、そうとうな勇気が必要でした。

最初に弁護士さんに相談しました。

面会日が少ないことに驚いていらっしゃいました。

私が病気であると申し上げると、そんなことは関係無い、子供たちの親であるかぎりたくさん触れ合うことが必要なんです、とおっしゃいました。

そして、子供たちのためには面会は多いほうが良いのだから、明日にでも裁判所に行きなさい、とおっしゃいました。

それで、翌日に裁判所に行って、必要な書類を揃えるために走り回り、申し立てをしました。


私は不安でたまりません。

離婚調停の時には、あまりのショックに発作を起こし、言葉を発するたびに涙も出てしまい、なんとも情けなかったからです。

そして、元夫が出廷して、争わずに話し合いが出来るのか不安です。

信じてはいます。でも不安です。

パニック障害はセロトニンが正しく働かないため、不安や恐怖を抑制出来ません。そういう病気です。

だから不安が止まりません。

元夫への恐怖感は、10年間ダメだった電車の百倍です。

彼が悪いのではなく、私がそういう病気なのです。

私は子供たちに自由をあげたいけれど、彼から無理矢理に奪うつもりは全く無いのです。

それは、子供たちを見放しているのではなく、彼を信じているからです。

子供たちと暮らしたい気持ちは毎晩夢に見るほどありますが、私は一人では生きていけないと泣いた人を一人には出来ません。

この気持ちは離婚調停の時から変わっていません。

私は誰かを苦しめてまで望みを叶えられるほど強くないからです。

いつか、面と向かって話し合いがしたいです。

他愛の無い話もしたいです。

子供たちの親であるかぎり、私と元夫は、より良い関係を作らなくてはならないのです。

そのための調停です。

そのための努力です。

すべては愛する子供たちのためです。


正直、一時期は元夫を恨みもしました。嘘つきだって罵りました。 今は、不思議なことに元夫も自分の家族のように思うのです。

ごく普通に、彼の体調や将来を心配したりするのです。

面会日に見ると、出会った頃より若返っているなぁ、と感心したりします。

子供たちとフットサルをしていると聞いて、私は仲間に入りたくてたまらない気持ちになりました。 息子が彼を変人だと言うのを、困ったなぁと思います

恐怖感は病気が起こすものであって、私の気持ちではないのです。

それも伝えたいです。

怒らせてしまいそうだけど。

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さいこうの日は、もっとたくさん
昨日は面会日だった。

子供たちは無表情だった。

時間を気にすることも無く、もっと会いたいとも言わず。

恐ろしくクールだった。

元夫のことを娘は「あの人は無理だと思う」と言い、息子は「あんな変人」「あいつは大事なことで嘘をつくんだ」と言った。

何も出来なくてごめんね、と言うと「仕方ないよ」と無表情に言った。

泣いた私に「泣かないで。また会えるから」と言った。

ひどく冷静に。

感情を押さえきった様子は、らしくなかった。

わが子の変わりように、不安になった。

会えないことや元夫の話題を避けて「遊ぼう」と言う。

別れるときも無表情に「バイバイ」と手を振った。

子供たちは失望していた。

しかし、娘は私の手帳に「さいこうの日」と書いたのだ。

さいこうの日は、もっとたくさんあっていいはずだ。


何度も会いたいと言っては断られ、嘘をつかれたのだろうか?

何故そこまで頑なに母親である私との接触を断とうとするのか。

会いたい気持ちは、ずっとそばにいる人には理解出来まい。

その悲しみも、絶望感も。

私と私の家族にしかわからないのだ。


あんな無表情と、あんな言葉の責任は私にも元夫にもある。

本来なら話し合いをしたいのだが。

子供たちと私の望みを叶えてほしい。

ただ会いたいだけなのだ。

何故、ダメなのか。理由が知りたい。

調停の時は、私が子供に悪影響だと言われた。何故だか、わからない。

そうまで言って無表情を作り出したのか?

このままでは、近い将来どちらかが私のように発病するだろう。

私は子供たちに償うことも許されないのか。親権が無いと何もかも権利が無いのか?

親権があれば何をしても良いのか?


世の中には、子供に会えない母親がたくさんいる。

跡継ぎだから、と引き離されて一度も会わせてもらえない母親もいる。

おかしな話だ。

身をボロにして産んだ人間に、感謝も敬意もありゃしない。

子供が父親を選んだから出ていかざるを得なかった母親を罵倒する人間もいる。

かなしい話だ。


信じていたのに。いつかきっと、月に一度になるって。

私が結婚した人は、やさしい人だって。

・・・変人だったなんてなぁ。

びっくりだ。


一体、何に捉われているのだろう?

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xxx

xxx

那須に行きたい!と子供たちが言うので、みんなでお願いしてみようねって言ったんだ。別れの時間をむかえて、私は涙がでちゃって忘れていたら、娘が「那須のこと言って」って耳打ちしてきた。娘と手をつないで、勇気出して言ったよ「みんなからのお願いで、那須に遊びに行きたいって・・・」私の声はデクレッシェンド。恐いよ〜。すっごい複雑な表情で「わかんない」って返事。トモカはひ〜んって泣きだしちゃった。私は謝るしかなくて。帰り道、元夫の複雑な表情は実は子供たちを取られたらどうしようって不安でイッパイな表情かもなって思った。かもね。わかんないけど。やっぱり考えれば考えるほど誰も悪くない。だからこそ、苦しみ合う現状を長引かせてはいけない気がした。なんとなく、危険信号を感じた。どっちかが、どっちもが倒れてしまうんじゃないかって。人間の意外な弱さを私はよく知っている。とか考えていたら電車に乗り間違えた。また黒磯に向かってどーする。ああ、おバカ。明日からまた仕事だよお。頑張れるか自信無いなぁ。・・・すげ。ローカルな 駅に来ちゃったよ。このまま旅に出たい。笑

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人間関係の中で生じる悲しい事の設計図が見える。愛がある。とても複雑で繊細でありながら、愛の形を崩さない。悲しい出来事には、愛がある。

久しぶりに子供達に会った。元気だった。私と暮らしたいって。いいよ。いつでもおいで。だけど、上目遣いで父親に気を使う子供達。言えないんだって。愛と恐怖が入り混じった目をしていた。

それぞれの愛や正義が絡まりあってダンゴになって悲しい出来事を作ってしまったけどね、誰も悪くないし別の選択をしていたとしても同じところに辿り着いたと思う。悲しんだ分、楽しい事があるように、未来を見つめよう。

私は、子供達も元夫もその家族も、もう誰も悲しまないといいなぁって思ってる。みんな悲しかったんだから、これからは楽しくなるといいよねって思う。自分に対しては、そうは思えてないけど・・・。

一緒に暮らしたいって泣くから、仕事頑張ろうって思ったんだけど・・・だからって彼から子供達を奪う事は、やっぱり出来ないなぁって・・・困っちゃった。どうしたら、みんなの悲しみが減るんだろう。難しいね。難しいけど、きっと減らせると思うんだ。いつかきっと。

今、私に出来る事は、自立しかないんだろうなぁ。

ってね、言った私と聞いてた母と泣きながら帰ったの。

子供達と遊園地で遊んで楽しかった。下の子が観覧車の中で面白い事を言った。「おかあちゃんがお婆ちゃんになっても、オラもトモカも大人だから会えるんだよ」そうだよ。ずっとね、会えるよ。お婆ちゃんになるまで、頑張って生きるよ。毎日2人の夢を見ながら。

トモカとゲンタ。2人とも、おかあちゃんの自慢の子供。

産んでヨカッタ~。

苦しくて痛くて泣いてるけどね、この涙も愛なんだ。だから、大いに泣こうと思う。この涙の分、みんなが楽しくなるといい。

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離婚後、初めて元夫と話をした。私の質問に簡単に答えるだけだったけれど、表情は穏やかで、私も目を見ることが出来た。。。子供たちの様子を聞くと「(私と会っている時)と変わらないよ。近所に友達もいるし、元気だよ。」との答え。両親も私も感謝していると言うと「感謝されるようなことはしてない」悪いことをしたと思っていると言うと「お互いに悪かったべ?」罪悪感でいっぱいで生きててちゃいけないように思うと言うと「そんなことない。考えすぎだべ」私や私の家族をどう思っているのかと聞くと「どうも思ってない」という答えだった。。。。やっと、許されたような気がした。状況は何も変わらないけれど、憎まれてはいなかったのだ。。ただ、娘は四人で暮らすことを望んでいて「いつ家に帰ってくるの?」と聞かれてしまった。いろいろとわかってはいても、望んでしまうのだろう。子供たちには、あやまりきれない。会えない辛さは子供たちも小さな胸に抱えているのだ。。。。娘が元夫に「ばーば(私の母)の家に行ける?」と聞くと、彼は「そのうちな」と答 えた。。。。本気かどうかはわからないが、そんな日が来るといいと思う。。。。。。少しだけ、許された気がした。私が結婚した人は、鬼でも悪魔でもなかった。

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山形へ向かう新幹線の中。元夫の、すこぶる不機嫌な顔が目に浮かんで胃が痛い。彼の生涯設計を台無しにした私。プライドを傷つけた私。許されない。透明人間扱いが辛くて逃げた私。芝居に熱中しすぎた私。。。。私の不在中に泣いていた子供たち。怒りまくっていた元夫。「お父ちゃん今日は機嫌悪いかなぁ」と泣いた子供たち。家庭を追放された私。。。。痛い。痛すぎて耐えられない。しかし自業自得。結婚時に了承を得てはいたが、芝居、やりすぎたよね。前言撤回も当然だよね。。。。皮肉なことに芝居に生かされている現在。芝居やってないと死んでしまうよ。恋愛より芝居だよ。芝居やってる間は死ねないって思えるから。頑張れるから。。。。だけど、この体がいつまで保つかな????あんちゃんがさ、説教いっぱいあるんだって。だよね。私はどんなに頑張っていても最低の人間であることには変わりないからさ。わかるよ。あれこれ説教とか反論したくなる気持ち。ありがたいけどさ、同じ立場だったらどうよ?私は理想論より、それが知りたい。他の人なら、どう生き るんだろう?治らない病気、罪悪感と重い過去、頼れない家族、貯金ナシ。あなたなら、どう生きる?過去を忘れる事は子供たちを忘れる事だから出来ない。元夫は取りつくしまもない。両親は援助も嫌がる。。。。とりあえず、今は私、限界ギリギリで頑張ってるよ。これ以上何が出来るんだろう?これ以上何をすべきなんだろう???元夫と話がしたい。けど、睨まれて何も言えない。今日も話し掛けようと試みるつもり。両親からのメッセージもある。「感謝しています」・・・・本当は両親も姉も私の子供たちが大好きで会いたいんだ。それを我慢して、感謝。子供たちを見離したわけじゃなく、そうすることしか今は出来ないから。誘拐したいって思っている。子供たちの生活の一部でいいから知りたい。手紙や電話だけでも許可して欲しい。繋がっていたい。。。。へその緒で繋がっていたのにね。感触も匂いも声も、いつでも私をとりまいている。笑顔も泣き顔も。。。。頑張っている全てのことが馬鹿らしく感じてしまう。こんな私が何故生きているのかわからなくなる。。。。死 ぬよりマシじゃんって生きているだけ。元夫に許しを請うても、それは自分のためでしかないから、しない。時間が変化をもたらすのを待つだけだ。。。。それまで精一杯生きる。間違っていても、馬鹿でも、イケてなくても、生きる。今は、それだけ。

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