★×2ワーキングシンマザwith PD ★SoWhat!? 今日も元気にC'est ma vie~☆ |
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息子と二人暮らし。
故の独り言ブログ。 日常を楽しみ おおらかになりたい。 人生もあと半分 まだ夢を捨てられない。 表現者になりたい。
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他人にとっては、ウルセー女だと思う。 ちょっとしたことを、オーバーに言い過ぎだと感じるだろう。 一人で騒ぎ立てて泣き喚いて発作まで起こして、うぜぇっつーか、無様だよ。 そりゃそうさ。 だって他人事ではないんだもの。 子供のことなんだもの。 親は無様に走り回るんだよ。 子供のために。 ジャスコで迷子になったって、大騒ぎだよ。 見失った!ってだけで、生きた心地がしないんだ。 母親って、そういう生き物だろ? 無様だろうが、ウザかろうが、うるさかろうが、知ったこっちゃ無いよ。 親は子だけは失えない。 そばに居なくても、心から排除出来ない。 そういうものだ。 一応ね、社会人だから仮面は被るけれど。 本心では、叫びながら走りたいくらい、子供が心配。 ペットとは比べ物にならない。 親との関係とも全然違う。 ミラクル子パワー。 でなけりゃ、PDの私が年子を育てられやしなかった。 ・・・とはいえ・・・ いろいろ、調べているうちに、いくつもの判例・事例を呼んだのだけれど・・・ 子供に対して親である自覚を持てない人、愛情を持てない人もいるんだね。 本気で「望んで産んだ子じゃないから、いらない」って。 かわいそうだなって、思った。 私自身は子供を産む前には、愛せるのか自信が無くていた。 腹にいる間も不安があって(持病があったから)産まれた瞬間に吹き飛んだ。 ペカーッて光ってたんだもの。漫画みたいに後光が指して! 病室で見たら、真っ赤なサルだったから、驚いた。 だけど、もう止められないほど、愛情が溢れてきて・・・かわいかった。 それでも、年子の育児と発作との戦いに疲れて子供に八つ当たりしたことが何回かはある。育児ノイローゼってやつか、なんか知らんけど。 すっげー後悔して、自分が傷ついてることに驚いた。 大抵は数分でわれに返って謝るんだけど・・・ホント、3回くらいで終わった。 キツかったけど、でも、愛情は枯れないのね。 枯れない湧き水だ。 某団体のアンケート調査によると、やはり親権は母親が取るパターンが多く、父親が親権を取ったケースでの面接交渉の有無は半々で、会えなかった子供たちは大人になっても親を恨んでいた。きちんとした説明と謝罪が無いことに、母親に会えなかったことに。 なるほどなぁ~って、思った。 私の母は幼い頃に父親が戦死して母親は再婚して、先妻の子供が厳しかったので、母は祖父母に育てられた。 母親に滅多に会えぬまま、14歳の時に母親はガンで死亡。 交流が無かったゆえに、事情を知っても「母は私を捨てたのだ。大嫌いだ」と今でも言う。 その怒りは、私に向けられていたのだが、私の子供たちへの気持ちや行動を見ているうちに、変化が出てきたようだ。 最近では、泣きながら「アンタはバカだ」とか「子供を捨てた」とは言わなくなった。むしろ、応援してくれて「孫に会えないのは辛いけど、アンタのがよっぽど辛いんだから、アタシが泣いたらおかしいよね」と涙を拭くようになった。 まるで、母の母親が出来なかったことを、私がしているみたいだ、と思う。 子供のために、無様に走り回れなかった時代。 ガンに蝕まれて、長くなかった人生。 その、未練を私が受け取ったのか・・・。 ガンは、いらないぞ。 ・・・調停だ・・・。 きっと、また、恐ろしい目にあうのだろう・・・。 怖いなぁ。 「例えば、明日という未来。人々は軽々と口にする。明日があると言い切れずとも。」 これは、私が14才の時に描いた漫画の冒頭です。 今になって、この言葉がガツーン!!と胸に響きます。 ガンという死に至る病気の可能性が、くっきりと自分の体内に現れたからです。 それだから、私は子供たちと暮らしたくてたまらないのかもしれません。 子供を産もうと必死なのは確かです。 もう、産めなくなるかもしれないから。 統計的数値では、今後も産めるであろう可能性は高いです。 が、しかし・・・ ガンという細胞は予測不可能なのです。 ほんの数週間で激変する細胞です。 ですから、ほんの5%の確率でも3ヶ月ごとに検査します。 もちろん、私の検査結果は「まだ大丈夫」っていうくらいです。 もっと深刻な人はたくさんいます。 早期発見ならば、少々切り取るだけで助かります。出産も可能です。 それでも・・・ 「死」というものが、現実味を帯びて隣にやってきたな、と思うのです。 いつかは来ると思っていました。 今まで何度も呼び寄せました。 ある日突然、隣に居るっていうのは、なんだかちょっとホラーです。 極度のウツ状態や、恐怖感で自失状態になって死にたくなる・・・ そういう状態を乗り越える術を体得したと思ったら、隣にですか。っていう。 深刻に考えすぎって言って笑うことも出来るのに・・・背筋が・・・ 霊体験みたいです。 ガンに限らず、事故や災害で明日を失うこともあるのですが。 あまりにも、リアルで。 影を踏まれて身動きが取れないような・・・不思議な感じです。 そんな私の現状は全く無視して、またも面会日は延期になりました。 「もうしばらくお待ちください」って 放送事故か!! ハハハ。乾いた笑いしか出ません。ハハハ。 母親に会うことより、スポ少のほうが子の福祉に繋がるとでも思っているようです。 日付的に、明日・・・調停です。 果たして、調停人は話を聞いてくれるのか?また疑われるのか?責められるのか? 明日という未来・・・・・・・・・最高に、わけわからんです。 すべてが崩壊してしまいそうな気がする。 はぁ~。 怖い・・・。
正確には「問題があった」という経験に基づく過去形になります。 お互いをよく知らないうちに結婚してしまい、案の定、離婚した。 同級生の声が聞こえます。「だから言ったじゃない!アンタに結婚はむかないのよ!」 ええ、確かに数人の旧友から結婚当時「絶対に離婚する」と言われていた私・・・。 でもっ、それは、きっと未婚女性のイヤミだったのよ~~~~~~~~~~!!! と叫ぶのは、再婚したからです。 私が結婚にむかない?アハハ!再婚できましたが、何か? ・・・・とか言ったら、まだ未婚の女性には殴られるに違いない。 やっぱりね、ちゃんとお互いを知って、お互いの家族も知って、結婚するもんですよ。 さらに、結婚してから経済状況を見て検討し、計画的に子供を作るべきですね。 ・・・そんなこと一度も無いですけどね。 どうしても問題にぶつかることが多くて、計画的な人生なんて無縁ですけれども。 ・・・そうあるべきだねって、いまさらながらに思うのです。 元夫は計画的な人生を歩むことが出来る人で、それを大事にしていました。 ので、でき婚も離婚も不本意であったと思います。申し訳ない。 だからって子供を産んだことを後悔してない。 むしろ産めてヨカッタ!産まれてくれてありがとう!産ませてくれてありがとう!です。 初めての妊娠発覚当時は、両親もビックリしながら、ほっとしていた。 それは、私が神経症でまともに生きていけないんじゃないかって、不安だったから。 肩の荷が下りたって顔だった。 神経症の娘を受け入れる人なら、誰でもいいよ、ありがとう!って感じで。 全然、受け入れてなかったんだけど。 本当に、知り合って6ヶ月、付き合って5ヶ月っていうデキ婚だったから、早すぎたなって思う。 思いやりもない離婚をして、情けない気持ちでいっぱい。 子供たちにも申し訳ないし、本心では再婚も新たな妊娠も罪悪感がある。 それいついては、ダリン(現夫)に申し訳なくて・・・ 以前の私を知っている人が、今の私を見たら、驚くと思う。 自信もプライドも失ってしまったから。 たぶん、昔の知り合いに会っても、目を合わせられないと思う。 家に閉じこもっているのが、心地よい。 そういう過去を背負ってしまう可能性があるのが、でき婚だよ。 久しぶりのブログ人のトラ場でした。 21歳で結婚するっていう時・・・私は「女は愛されてナンボだわ」って思っていた。愛することで傷つくのが嫌だった。「きっと、また裏切られるのなら、もう愛さないわ」って。だから、結婚生活の中で一度も愛してるって、言った事が無かった。思ってなかったから。とっても失礼なことだった。それでも、嫌いだったわけではないし、愛する人と暮らすよりも、ずっと気楽で良かった。(最初だけだったけど)なぜって、愛してしまうと、一緒に暮らすのが辛い。毎日、毎時間、不安だったりワクワクしたり、心が忙しくて、寿命が縮まってしまう。 だからと言って、彼が私を愛していたかというと、それもまた違う。支配欲を持ちながら、妻に母親を求めている、そんな感じだった。愛だったのなら、たぶん、多くのことを許してくれた。今も、許さぬままだなんてことはなかったはずだ。彼が私を許さないのは、それだけ彼が私の事を愛していたからだ!という意見もあるのだが、彼が私を許さないのは、プライドの問題で・・・愛だというのは言い訳だ。愛なら許されるのか?そこが難しいところだけど・・・。思いやりの無い、離婚だったと思う。お互いに。 ちょうど、いま、24時間テレビがやっているけれども・・・毎年、あのマラソンの意味が分からない。走るよりも何か建設的なことをしたらいいのにって思う。「愛は地球を救う」というタイトルは、どこに表されているのだろう?毎年薄っぺらくなっているように思う。走る芸能人を応援するより、24時間の間に離れて暮らす親に子供たちを会わせなさいよ。この日だけは、親権とか関係無く親子関係を認め合う日、とかして見せてって、思った。自分勝手な、見解。 「会わせてもらえない事」を受け入れるのであって「会えない事」を受け入れるわけではない。会えない事は、オカシイ事なのだから、受け入れられない。親権が無いから、子供に関する全ての権利が無いという事実を受け入れるだけだ。面接交渉権は子供たちの権利だのに、子供たちには権利を主張する場が無いから、私が声を上げている。聞こえるまで、届くまで、声をあげ続ける。・・・子供たちは父親を恐れ、哀れに思っているから、声をあげられない。それが、わかっているから、複雑な気持ちなのだけれど・・・。本当に、父親である彼が、理解して行動してくれれば、子供たちはこれ以上、泣かなくて済むのだが。 感情を記号化または数値化して、公式が作れたならどんなに楽だろう。・・・そういうの、本当は嫌いなんだけど今だけ、ちょっと思ってしまう。先月に会える予定だったのが、延期になって(仕事が忙しくてお盆休みも無いそうで)それっきり、連絡が無い。・・・また私から連絡せねばならんのか。私からのメールで不機嫌になるって話だったから、それが子供たちを脅えさせると思うと、メールしにくい・・・。これも彼の作戦か?・・・よくわからないですなぁ・・・。どっちも親権が欲しくてして、その親権を手にした方が「譲ってくれてアリガトウ」ってならずに、どこまでも壁を作り続けるのは・・・どういう理論でしょうか?感情論でしか説明できない。冷静に、論理的に説明して欲しいものだ。ああ、そうか、だから子供たちに「お母ちゃんは家出した」と言うのか。 う~ん・・・。う~ん・・・。悪い人ではない。・・・何を恐れている?子供たちを私に会わせると、何か困るの?連れ去られそう?いや、むしろ子供たちが私と暮らしたがっているけどね。私には親権が無いから、それは出来ない。親権者の許可が無いと、何も出来ないんだから。だけど、公共の施設に子供たちを連れて助けを求めたら、どうなるかわからないよね。それを懸念して日曜日限定なのかな、とか考えたり。だとしたら、情けなさ過ぎるので嫌だな、とか。ココへ来て、元夫に幻滅したく無いのが本音だ。自分が選んだ相手だから。過去の思い出を汚したくないから。子供たちの父親を尊敬したいから。 もう、どうでもいいかなて、思うこともある。人としてオカシイことって許せない性質なんだけど、もう、いいかなって。子供たちも、どうして会えないのか、よくわかっているし。私が再婚しても、子供を産んでも、母親であることは変わらないんだって、きちんと理解してもらうつもりだから、弟か妹の誕生を喜べると思うし・・・あと数年は辛くても、会えるようになるんじゃないかって・・・。だから、調停とかしなくてもいいんじゃないかって。・・・そう思いつつ、やっぱり暴力に関しては手遅れにしたくない部分があって。子供たちの泣き方や、目のそらし方を見れば、それが本当だってわかるし、アザがなくても心は十分に傷ついているって、わかるから。法務局の話では、調停をして、その暴力の可能性をきちんと表面化させておくことが大切なんだって。地道にそういうことを続けて行くしか、方法が無いんですって。非親権者だから。・・・それで、調停に行ったら、一言も話さないうちにガンガン怒られて。悪質なクレーマーのように扱われて。笑うしかなかったですよ。 裁判所HPの調停についての説明文にも、笑っちゃいました。実際の調停を調査したほうがいいですよ?ってメールしようかと思った。「調停人による、ゴリ押し」「裁判官による、嘘」もうこれは、うちのダリンが首相になるくらい、ありえない。あっちゃいけない!!そんなことになったら、政治家全員お笑い芸人になるよ!!・・・あれ?意外と良いわね。この例えはダメだな。政治を持ってきちゃイカンな。コンビニの営業時間が役所時間になるくらい、ありえない!!これは困る!!利用者もコンビにも困る!! こんなネットワークの片隅で、それほど積極的にネットワークを広げていない人間が、何を言っても宇宙の藻屑ですけれどもね・・・。ま、いつかは。・・・あれですかね?音楽とか漫画も私は趣向がマニアックなんですよ。マニアック体質ってことで、抱える問題もマニアックなのかな?・・・・・・・・いやだなぁ・・・。 方向を間違えなければ、あきらめなくていいと思う。多少は立ち止まらなきゃならない時期もあるけれど、年だからとか、○年経ったからとか、そういうもんでもない。人生って、終わりが分からないんだしね。明日が寿命かもしれないからね。あきらめなくていいんだよ。ダリンのPC使うようになってから、誤字脱字オンパレードだけどね、気にしない気にしない。隣のババァが何を叫ぼうと、焼き鳥屋の煙が家に入ってこようと、客がうちの前でギャーギャーうるさかろうと・・・いや、これは怒鳴りたくなるけど。ま、いいんですよ。どう生きているか、っていう自分なりの価値観で、生き抜いたモン勝ちですよ。他人の価値観に振り回されるのも時間の無駄でね、価値観なんて個人的なものですから。いいんです、そのまんまで。他人を傷つけるようなものでなければ。 って、おおらか~~~~~に考えるとね、元夫も小さく見える。ああ、砂粒!?ってくらい。自分自身もクレイアニメの粘土人形みたいだし、ダリンもメガネのフレーム。砂粒が、痛いってことだけが、浮いてくる。投げてくるから、痛いなぁ~って。子供たちにも当たってるし、やめてくれないかなって・・・そんだけ。 砂は砂で、必要なのだから、投げるのを辞めて、そこにいたらいい。私もダリンも、一部では必要だから、ここにいる。子供たちだって、必要とされているから、砂のとこにいる。だったら、大切にされてるといいなって・・・これは親の欲目かな。ああ、本当に、いつかいつかいつか、みんな笑顔を交し合えるようになりたい。 うう~~~~~ん。眠い!よく寝るダリンの遺伝子が入っているだけあって、眠いぞ。(関係無い?)ああ、そう、それで、ダリンのことは愛しているのかどうなんだ?って話だけど・・・それは、秘密。 去年の4月に、およそ12年ぶりの健康診断を受けまして。 シャキーーーーーーーーン!!! いえ、全然・・・シャキンとなんてしてませんけれども。 来週・・・調停なんだけども・・・どうしたものかと・・・。 結局、会えて無いんですよね。また3ヶ月経ってしまう。こういうのが永遠に続くのでしょうかねぇ? 子供の権利条約は使えないねぇ~。日本は全く関心が無いじゃないか。法律を変えなければ守れない条約なのに、変える気も無い。年金も大事だけど、子供たちも未来の日本を支えるのだから、大事だぞ~~?? 親権者が勝者という考え方が、古い。時代遅れです。 親権っていうのは、子供たちの日常や福祉に責任を持つことであって、母親なり父親なりを奪うことではありません。純粋に子供の立場に立ったら、手紙のやりとりも、会いたい時に会いたいと言うのも、当然だし、その希望を叶えるのは親の務めで・・・ あまりにも当たり前のことですよ。 わざわざ調停で言うことじゃないです。本来なら。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・考え方も人生も、人それぞれですから、仕方ないですけどね。私が思う正義は私だけのものであって、押し付けるわけには行かない。 ただ、一つだけ確かなのは、現状は子供たちを苦しめている。ということ。そして、それが続けば、いつかは悲しいことになりますよ。ホントに。・・・警告はしたけども。 申し訳ないけれど、大人であるお父ちゃんよりも子供たちを優先して考えますよ。 私はおとうちゃんの母親ではないけれど、子供たちの母親で、痛い思いして産んだから、放って置けないんです。ええ、絶対に。 再婚したって新たに子供産んだって、私はあの子達のおかあちゃんで、どの子も一番いとおしい。離れていても、手に取るように分かる部分がある。お腹に居たからかな。 それを考えると、男親ってのは可哀想だな。 産めないんだものね! お腹の中で育つ感覚とか、その愛おしさとか、陣痛と出産の痛みと開放感とか、授乳の時のなんとも言えない、あの感覚が・・・わからないんだね・・・。絶対に。 子供が欲しくても、産んでくれる人がいなきゃ、得られない。 女は精子さえあれば、自分の子供を得られるんだ。(子宮が無事ならね) 同情するけど・・・でも、現状は変えなきゃイカンと思うよ!母は思うよ! あああああああああわわわわわ。 イヤミ言いそうだ。口を閉じよう。手を止めよう。 涙が出そうだ。もう、書くのを辞めよう。 生きなきゃならんから。 いつか、おとうちゃんにも子供たちにも一人の人間として認めてもらえるように、いろいろ頑張らなきゃならんから。また一人子供も育てなきゃならんし、ガンの治療もせにゃならん。生きることを苦痛に感じちゃイカンのだ。生きることを疑問に思っちゃイカンのだ。ともかく、今現在、生きていることに感謝して、生きるのだ。 |