★×2ワーキングシンマザwith PD ★SoWhat!? 今日も元気にC'est ma vie~☆ |
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芸術活動。ぐうたら。
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息子と二人暮らし。
故の独り言ブログ。 日常を楽しみ おおらかになりたい。 人生もあと半分 まだ夢を捨てられない。 表現者になりたい。
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× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 例えば、私は自分のプライドが高い事を利用する。自殺と言うのは自分に負けることだから、そんな格好の悪い事は出来ない、と暗示する。 例えば、私は自分が役者である事を利用する。以前に発作を起こした場所に立ち、予期不安に襲われても、それを感じない人物を演じる事で発作を回避する。時には、全ての感情を遠ざけて、アンドロイドにもなりきる。 PDの人間は、そうでない人間と比べて、悲しみも苦しみも、喜びも楽しさも、10倍以上に感じる。ほんのちょっとした言葉に傷付く事もある。だから、なるべく口数を減らしたほうがいい。思ったことは日記に書く。そうして、感情を整理してから口にすると、PDでない人間と歩調が合う。 どうしても苦痛や悲しみに体(脳)が占拠されて、身動きが取れなくなった時は、早急に1人になって、思う存分泣いて発作を起こしてしまう。スッキリとして、笑顔を取り戻せたら、ミッションコンプリート。 予期不安や、疲れが溜まった状態を、なるべく早めに察知出来るようになるには、自己分析と日記が役に立つ。冷静に自分を客観視することで、察知が早くなれば、それだけ迷惑をかけることが無くなり、社会生活が楽になる。 疲れには、ビタミン剤も効果がある。が、栄養ドリンクはカフェインが多すぎるので要注意。 感情のコントロールが難しいけれど、やらなくてはならない事がある時は、割り切って、薬に頼る。が、それ以外の時には飲まない。その、使い分けが肝心である。ルールを守る事は得意だから、それほど苦ではないだろう。 PDである自分を、決して悲劇のヒロインだとは思わないこと。思ってしまったら悪化する。たまたま、そういう体質なのだと割り切って、そうではない人間のように出来ない事を、受け入れる。だからと言って、全てのことにPDを言い訳として利用しないこと。それは非常にカッコワルイ。 楽しい事を多く見つけ、トライする。挑戦することで、自分に自信を付け、なおかつ楽しい事で気分を安定させる。落ちないための、前進するための工夫である。楽しそうなことには、どんどん踏み込んでいこう。 愚痴を言ってスッキリしようと思わない。愚痴は日記に書きなぐるのがベストだ。愚痴ってばかりでは、何も変わらない。 治ろうと思わない。仲良くなろうと思う。あるいは、慣れようと思う。そこから始めればいい。 安心できる7つ道具を持つ。タバコ、薬、ダテメガネ、指輪、なんでもいい。コレがあれば、大丈夫、というもの。あるいは、安心できる場所でもいい。あると無いとでは、大きく違う。 PDのみなさん。頑張ろう。 PR
誰しもが、センサーを持っている。第六感とも言うべきか。 あ、この人は苦手だな、とか、これは好きだな、とか。当たらぬこともあるのだが、感知はするだろう。 それが、自分のストライクゾーンだったりすると、きゅんきゅんする。 アドレナリンが一気に噴き出す、あの感じ。わかります? 心拍数が上がって、いてもたってもいられない、あの感じ。 きゅんきゅん。 低姿勢で毒舌なくせに人情深い、お父さん(あだ名)なんかは、もう、きゅんきゅん。 当然のことながら、これは恋愛感情とは別物である。 毒舌で気丈な女子が、ふと見せる照れた様子なども、きゅんきゅん。 雑貨なら、言わずもがな、象や黒猫のモチーフや、不細工であるがゆえに放っておけない小物。 音楽ならレゲエにきゅんきゅんなのである。 しかしながら、小説となると、きゅんきゅんが微妙になる。 確かにきゅんきゅんするのだが、やはり読んでみないとわからないわけで。 情報として、背表紙などの簡単な解説を読んでも、やはり本文の色だとか構成なんかはわからない。 だけど、きゅんきゅんはする。 それが、自分の捜し当てた作家なら、ますますだ。 しかし、他者からの推薦には、複雑なきゅんきゅんを否めない。 これは私のプライドの高さもあるのだろうが、所詮は他人の趣向。果たして私はきゅんきゅんできるのか? そんな葛藤を、長く抱えていた。 事の発端は、ユニクロに努めていた時の読書家上司である。 共に数少ない愛煙家であるため、休憩所で二人になってしまう。 いつも文庫本を手にしている上司なので、なんの気なしに作者を聞いた。 東野圭吾。 上司はさらりと付け加えた。 この人の作品は間違いないよ。 ・・・間違いない。 その言葉が印象的だった。 しかし、私はその時もその後も、全く別分野の作家に夢中であった。 山奥に越してきて、読書三昧の日々が訪れると、恋愛小説には飽きて、だんだんと推理小説に趣向が傾いた。 まず、昔はまったリリアン・J・ブラウンのココシリーズに着手し、あらかた読んでしまうと、米澤穂信、恩田睦。 さて、他に誰か、と思った時に上司の言葉が思い出されたのである。 しかし、それが去年末。 古本屋に行く度に目に入る。きゅんきゅん。激しく感知しているが葛藤する。次にする。 これを繰り返して、先日ようやく購入したのだ。 確かに、間違いはなかった。やられてしまった。 ちなみに、その上司は5年ばかり鬱病と戦っている。 世間的には似たような病気の二人、かもしれないが、とんでもない。 彼ほど私は苦しんでいないだろうし、彼ほど戦ってもいない。 同じ病気であったとしても、やはり、個人差もあり、病気との対峙の仕方によって、大きく違いが出るものだ。 だから、全国のパニック障害の皆さん、私とあなたは同じではないよ。 人それぞれ、きゅんきゅんの発生源が異なるように、病気の発生源も異なるのだから。 共感は出来るけど、何もアドバイスは出来ないし、徒党を組んだところで成果は少ないでしょう。 自分と向き合うことが最善だと、私は思うのです。 個人の問題。 それにしても、どうしてきゅんきゅんするんでしょうね。 謎は謎のまま、いとをかし。 先日・・・一昨年からお世話になっている心療内科に行きました。 小さい地方の総合病院なので、医師は一人。患者は大勢。そりゃあ、話をはしょりたくもなるでしょう。そうでしょうとも。 だがしかし。 病名をはしょるって、ありえないでしょう? とある病院(最低な医師だった)でパニック障害という診断を受けて、その忙しそうな女医のところへ参ったわけですが。 1年半ほど不定期に通院していながら、初めて「パニック障害じゃないですよ」と言われたのです。 おーい。 で、女医の診断は何かと言うと「不安障害」ですって。ぷっ! 「不安障害」って大きな分類で、パニック障害も含むのですよ。 間違いでは無いが、的確でもない。 パニック障害だと診断したトッチャンボウヤ医師は「一度でも原因の無い発作があったなら、パニック障害ですよ!不安神経症だなんて診断したなんて信じられない」と言っていたのね。 で、今度は女医が「死んでしまうかもしれないと思うような発作が無いのだから、あなたはパニック障害ではないんです」と言うわけさ。 おーい。 宇宙が見えました。 わけわからんくて、それこそパニックになって、過呼吸発作寸前になった。 確かに、今の私はさまざまな症状にも発作にも慣れて、前兆を感じたら対応するくらいになっているし、生活の中で、ほとほと困っているのはPTSDと言っても間違いではないような子供たちとの別離による不安障害です。 ええ、確かにそうです。 ところがね、パニック障害は一進一退を繰り返す病気で、不安障害は治る病気らしいのですよ。 こういう経緯って、どう捉えたらいいんですかね・・・。 まぁ、引っ越したから女医のところには行かないし、新しい主治医を見つけて一から説明して、診断してもらうしかないのですが。 そんなわけで、病院探し。 ・・・・少ない・・・。 知ってたけど、少ない。 2ちゃんねるとかも、のぞいて見た。 荒れ放題。 とりあえず、以前私が通っていた○の○らはケチョンケチョンだったね。やはりね。 患者の話を看護士が聞いて、医師は又聞きで診断して薬出すだけ。 「不安神経症って山大で言われたんでしょ?じゃあ、そうなんじゃない?不安神経症ってのはね、一過性で治りますから。もう来ないで」 ちゃんと、その治ってゆく過程も説明してくれたので、自力で認知行動療法的なことをして、一度は快方に向かったものの、人生は状況が変わってゆくものです。また再発。 それで、行ったら「来ないでって言ったでしょう?不安神経症っていうのはね・・・」 ああ、思い出すだけでも腹が立つ、あの見下した笑い。 医師はいつでも患者を見下している。 否、そういう医師にしか私がめぐり合わないのか? もしくは、私がそういうふうにしか感じられないのか? 不安障害ね。ふっ。 もう、どーでもよくなってきましたよ。 どんなに医者に通っても、薬飲んでも、結局はセルフコントロールしか無いじゃん。 病名なんて関係ないよ。医師が治療の際に目印として付けるだけで、あたしにゃあ何の意味も無い。 あたしにはあたしの症状があって、あたしはそれを自己分析出来るくらい落ち着いている。 ・・・薬がいるっていうだけさ。 市販の薬で、抗うつ剤って無いのかしら?? セルフコントロール、セルフカウンセリングでいいじゃん。 どうせ原因不明。 PTSD(みたいなもの)に関しては、物理的にどうにかしようと行動できてるし。 ・・・・とは思うものの・・・やはり、カウンセリングは必要だろうと・・・。 どっかにいないかなぁ~・・・暇で優秀なカウンセラー。 いないよ。 少ないよ。 もが~~~~~~~~。 症状を考えると、やはりパニック障害に当てはまるのだが、そう名乗ってよいのかわからなくなってしまった。 副題を変えなきゃならんか? 不安障害はGADだったかな。・・・・めんどくさい。いいや。 まね、そんなこんなで。 わけがわからないんだが、別にいいや。 調停が心配で、何も手に付かない。 ぐだぐだな人間たちの小説を読んだ。
今日で今年もおわりですね。
生きてますよ。 いや、もう、他に選択肢は無いですから。 苦しくったって悲しくったって、そりゃあんた、生きるしかない。 加藤登紀子も唄ってますよ。 「この世に生まれてきたら生きるしかないライライラライ・・・」 神様は何で私のよーな小さき者に馬鹿デカイ試練を与えたのか。 いや、私が小さすぎて馬鹿デカく感じるだけなのか。 わかりゃしませんけど。 この先に馬鹿デカイ幸福と安泰があることを信じるしかない。 会えないのは辛いけど、だからって無理矢理な行動はしたくないから、我慢するしかないわけで。 幸いにも、養ってくれる人がいて、ラフターになろうとしてくれている。 そのことに感謝しなきゃならんと思う。 不慣れな環境に疲れてしまって無気力な毎日が続いているが、無気力ながらも毎日を過ごせることが幸せだ。 同じような視点で、離れていても会えることが幸せだ。 そーゆうふうに、生きるのも、悪かない。 そーゆうふうに、ゆったりのほほんしても良いのかと。 なんだかんだ言われても、自分より誰かの幸せだ。 そーゆうふうにしか、なれん。 これが私だ。 ええやん、ええやん。 いつか、君に届けばいい。 be happy!
いや、そんなことはどーでもいいの。 久しぶりに外出恐怖っつーか、広場恐怖がじわりじわりと。 やらなきゃいけないことはたくさんあって出かけるけど 出来て一つ。 今日なんざぁ、何も出来ないまま帰宅っすよ。 困ったわぁ。 バイオが壊れたことも大きい痛手。 純正バイオしか接続不可で。もう無いパーツだから。 さよーならー。 18万・・・・。 今のアタシは収入無いし、貯金も無いし。 ダリンにおねだりしたが、シカトされ。 かといって彼の素晴らしい馬鹿高いバイオを使って良いわけではなく。 見殺し? そこが一番悲しいわねぇ。 今、会いに行きますって映画の原作者もパニック障害なんだね。 先日立ち読みした。彼のエッセイに書いてあった。 結婚して奥さんが理解者となって安定してるらしい。 うらやましい。非常にうらやましい。 彼のエッセイは出来事だけ書かれているので、パニック障害に対する感情や苦悩はわからなかった。 それが正しいのかもしれん。 どんなに言葉を駆使しても、伝わらないのは仕方ないのだから。 あるいは、理解者を得たことで、それらを表現する必要が無かったのかもしれないし、単に、どんな経過を経て映画化に至ったかを書いた本であるからかもしれない。 読者は作者の苦しみを読みたいわけではない。 そう考えると、アタシのこのブログはいかにも素人だ。 明け透けに苦痛をつらつら書くのは、アホみたいな自己満足。 ま、わかってて、書いてるけどね。 だからこそブログなわけだから。 みっともねーなぁ、うざいなぁって思ったら、閉じりゃいいんだもの。 ブログは商売じゃない。 ただ、増加の一途にあるパニック障害に関わってしまった人間や、同じように苦しんでいる人間には、必要な情報があるだろう。 それだから、アタシは副題に必ずパニック障害の文字を入れる。 半分は、自分のための日記なんだけどね。 メンタルバランスを知るため、とか、自分を客観視するための。 今は、なんか少し調子が悪くて。 悪いながらも、アタシは考えている。 不安や恐怖に敏感で、何が悪いのかと。 喜びや笑いは良くて、不安や恐怖が悪い感情だと、誰が決めたのか。 さらに、自分の産んだ子供との別離に苦痛や悲しみを感じてのたうち回ることを、何故、私ではない誰かが嫌がるのか? 私が苦しむ姿を見るのが辛い、何も出来ないことが辛い、といった気持ちはうれしいのだが、だから、私にのたうち回るのを辞めろとは、あまりに勝手ではなかろうか? のたうち回らずに済むような何かを与えてくれるならまだしも。 だから、アタシはのたうち回る。 それは、人間として、あるいは、パニック障害の人間として当たり前のことではないか。 我慢したら壊れるのも当たり前のことではないか。 辛い記憶に条件反射してしまうだけのことで。そんな症状を奇行だって?薬がいるって? あんた、馬鹿か? 確かに、パニック障害の最大の特徴である「原因の無いパニック発作」は奇行だわな。 アタシ自身、驚くよ。 乳酸だとかカフェイン過多で自動的に発作が起きるのなんか、実際に体験したら多少笑えたもんね。 しかし、そーいった症状は日常生活で注意していれば回避できるし、「原因の無いパニック発作」は薬を飲んでいても防げない場合が多い。 つまり、アタシは何が言いたいかっつーと、アレだ、苦しむことを咎めるなってことだ。 自然な感情なんだから。そうなっちゃう体なんだから。 例えばね、愚痴なんてどうよ? 聞いてあげるのが愛情、友情的な常識だよね? じゃあ、のたうち回るアタシは何故に見たくないわけ?深すぎて耐えられないって何? なんて意地悪な思考になっちゃったなぁ。 ま、のたうち回る姿はあまり見せたくもないので、付き合わなくて良いの。 しかしながら、楽しいことを与えては欲しいって思うね。 当たり前だけどね。みんな、そうでしょ? だから、あたしゃコントライブが大好きだったなぁ。 みんなで楽しむって最高じゃん? それをアタシが作って提供してるとなれば、そりゃあもう、生き甲斐! また、やりたいな。 今のところ無理なんだけどね。 アタシさぁ、無意識に不安だよ。いつも。 子供たちに寂しい想いさせてるのに、再婚とかしちゃってさぁ、地獄に落ちるんじゃねーの?とか、最低じゃね?とかって疑問が頭から離れなくて、ランドセル見ると号泣で。何で彼はアタシをこんなふうに苦しめて、でも生きろと言うのか、さっぱりわからなくて、この苦痛がいつまでつづくのか、いつになったら、アタシは晴天の心でダリンと暮らせるのか、さっぱり検討もつかない。 生きてるだけでも幸せなんだけどね。ダリンが一緒に住もうって言ってくれなかったら、死ぬしかなかったんだもの。 さらに無欲になれば、産めただけでも幸せだ。五体満足な素敵な子たちをね。病気と戦いながら、よく頑張った私。いい子に育った。それはもう、幸せだよ。 パニック障害で妊娠すら待ってる人がいる。産めなかった人もいる。 アタシは贅沢だよ。 それでも、苦痛が消えないのは愛だから仕方ないよねぇ。 愛するわが子だからねぇ。 不自然だよなぁって思うんだけどさぁ、だからって奪ったりは出来ないんだなぁ。 あっちも親だからさぁ。 なんだかなぁ。 アタシの未来はどんなんだろう? わかんねーなぁ。 わかんねーから、生きてみるしかないよなぁ。 のたうち回りながら。 |