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★×2ワーキングシンマザwith PD ★SoWhat!? 今日も元気にC'est ma vie~☆

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例えば、私は自分のプライドが高い事を利用する。自殺と言うのは自分に負けることだから、そんな格好の悪い事は出来ない、と暗示する。

例えば、私は自分が役者である事を利用する。以前に発作を起こした場所に立ち、予期不安に襲われても、それを感じない人物を演じる事で発作を回避する。時には、全ての感情を遠ざけて、アンドロイドにもなりきる。

PDの人間は、そうでない人間と比べて、悲しみも苦しみも、喜びも楽しさも、10倍以上に感じる。ほんのちょっとした言葉に傷付く事もある。だから、なるべく口数を減らしたほうがいい。思ったことは日記に書く。そうして、感情を整理してから口にすると、PDでない人間と歩調が合う。

どうしても苦痛や悲しみに体(脳)が占拠されて、身動きが取れなくなった時は、早急に1人になって、思う存分泣いて発作を起こしてしまう。スッキリとして、笑顔を取り戻せたら、ミッションコンプリート。

予期不安や、疲れが溜まった状態を、なるべく早めに察知出来るようになるには、自己分析と日記が役に立つ。冷静に自分を客観視することで、察知が早くなれば、それだけ迷惑をかけることが無くなり、社会生活が楽になる。

疲れには、ビタミン剤も効果がある。が、栄養ドリンクはカフェインが多すぎるので要注意。

感情のコントロールが難しいけれど、やらなくてはならない事がある時は、割り切って、薬に頼る。が、それ以外の時には飲まない。その、使い分けが肝心である。ルールを守る事は得意だから、それほど苦ではないだろう。

PDである自分を、決して悲劇のヒロインだとは思わないこと。思ってしまったら悪化する。たまたま、そういう体質なのだと割り切って、そうではない人間のように出来ない事を、受け入れる。だからと言って、全てのことにPDを言い訳として利用しないこと。それは非常にカッコワルイ。

楽しい事を多く見つけ、トライする。挑戦することで、自分に自信を付け、なおかつ楽しい事で気分を安定させる。落ちないための、前進するための工夫である。楽しそうなことには、どんどん踏み込んでいこう。

愚痴を言ってスッキリしようと思わない。愚痴は日記に書きなぐるのがベストだ。愚痴ってばかりでは、何も変わらない。

治ろうと思わない。仲良くなろうと思う。あるいは、慣れようと思う。そこから始めればいい。

安心できる7つ道具を持つ。タバコ、薬、ダテメガネ、指輪、なんでもいい。コレがあれば、大丈夫、というもの。あるいは、安心できる場所でもいい。あると無いとでは、大きく違う。

PDのみなさん。頑張ろう。

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アンビ☆タッチ新曲完成。
レッツ・ポジティブシンキング!

ってなわけで、無理矢理に楽しく現実逃避しております。

小説読んだり、妄想したり、縄跳びし・・・ようと思ったり。

思うだけかい。べしっ。


もー、どーしよーもなくアレだな。

怖くてたまらん。

調停のことを考えてしまって、ぶるぶるぶるぶるぶるぶる。

昨夜も変な時間に目が覚めて、ぶるぶるぶるぶる。

もう嫌だ。アタシの存在自体がダメなんだ。死んだほうが皆丸く収まるじゃんか。

いやいや、そうじゃなくて。

そーゆうマイナス思考はいらなくて。

もぎゃぐぎゃにゃがらやりゃ。



昨年末にオーダーした曲が出来上がって来た。

子供たちに贈る歌。

ワガママに、悲しい曲と楽しい曲を2つ作ってもらった。

泣けます。でも、勇気が出ます。 そう、アタシは子供たちの笑顔を見たいんだ。

元夫とは戦うんじゃない、話し合いだ。

そして、アタシの主張は笑顔をもたらすものであるはずだ。

年三回、計9時間の面会だけなんて、おかしなことだ。

手紙も電話も理由ナシに「だめ」なんて、ちゃんちゃらおかしいや。

子供たちの訴えを無視したり、アタシと娘が頭下げても「だめ」なんて・・・。

娘もアタシも母も号泣だった。

あんなのは、もう嫌だ。

娘もそう思ったんだろう。それで、あきらめたんだろう。

まだ9歳の子が。

元夫をそうさせてしまった自分にも責任はある。

アタシたちは新しい関係を構築せねばならんと思うのだ。


ギターを弾こう。練習して、この歌を歌おう。



現実は厳しいけど、理想はみんなで遊ぶこと。

元夫も現夫も、その家族も、アタシの家族も、みんなで一枚の大きな絵を描きたい。

離婚したって、家族じゃん。

アタシが馬鹿だからそう考えるのかもしれないけど。

家族も友達も恋人も親戚も、知り合えるのは地球上の人口の何分の一だろう?

知り合えたことは奇跡だ。

みんなが死ぬまで一緒になんかいられないんだけどさ、だからこそ、大きな絵を描こうよ。

人生の中でアタシが貴方を拘束する時間なんてわずかだよ。

だから、楽しもうよ。

憎しみからは何もうまれない。

そんなものは忘れて、クレヨンを持ちなさい!

色鉛筆を持ちなさい!

筆を取りなさい!

喜怒哀楽の全てをキャンバスにぶちまけなさい!

アートは人を救うよ。

憎しみは人を巣食うよ。


アタシも恐がってばかりいてはダメだ。

刻みついた恐怖を振り払って、元夫と笑顔で握手できるようにならなきゃ。

電車は10年かかったわけだから、難しいけど、努力しよう。

病気のせいばかりにしてもいられない。

やれることは、やらなきゃ。


祖母のように若くしてガンに犯されたなら、あと何年も生きられない。

悔いなく生きたいよ。

ねぇ、憎しみほど無駄なものは無いね。


あ。

子宮ガン検診、行かなきゃ。やべぇ。4ヶ月経ってしまった。

3ヵ月おきに細胞診。めんどくさいけど、子宮が無くなる、あるいは他臓器に移転するよりマシ。・・・ああ、そーゆう可能性も、アタシは持ってるのか。

ますます、人生を楽しまなきゃなぁ。


食欲が低下して、いや、元に戻って、体重が3キロ減った。

まだ、でぶ。

春までにセブンをはけるようになりたい。いや、なろう。

みんな楽しく生きようぜ。

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誰しもが、センサーを持っている。第六感とも言うべきか。

あ、この人は苦手だな、とか、これは好きだな、とか。当たらぬこともあるのだが、感知はするだろう。

それが、自分のストライクゾーンだったりすると、きゅんきゅんする。

アドレナリンが一気に噴き出す、あの感じ。わかります?

心拍数が上がって、いてもたってもいられない、あの感じ。

きゅんきゅん。

低姿勢で毒舌なくせに人情深い、お父さん(あだ名)なんかは、もう、きゅんきゅん。

当然のことながら、これは恋愛感情とは別物である。

毒舌で気丈な女子が、ふと見せる照れた様子なども、きゅんきゅん。

雑貨なら、言わずもがな、象や黒猫のモチーフや、不細工であるがゆえに放っておけない小物。

音楽ならレゲエにきゅんきゅんなのである。

しかしながら、小説となると、きゅんきゅんが微妙になる。

確かにきゅんきゅんするのだが、やはり読んでみないとわからないわけで。

情報として、背表紙などの簡単な解説を読んでも、やはり本文の色だとか構成なんかはわからない。

だけど、きゅんきゅんはする。

それが、自分の捜し当てた作家なら、ますますだ。

しかし、他者からの推薦には、複雑なきゅんきゅんを否めない。

これは私のプライドの高さもあるのだろうが、所詮は他人の趣向。果たして私はきゅんきゅんできるのか?

そんな葛藤を、長く抱えていた。

事の発端は、ユニクロに努めていた時の読書家上司である。

共に数少ない愛煙家であるため、休憩所で二人になってしまう。

いつも文庫本を手にしている上司なので、なんの気なしに作者を聞いた。

東野圭吾。

上司はさらりと付け加えた。

この人の作品は間違いないよ。

・・・間違いない。

その言葉が印象的だった。

しかし、私はその時もその後も、全く別分野の作家に夢中であった。

山奥に越してきて、読書三昧の日々が訪れると、恋愛小説には飽きて、だんだんと推理小説に趣向が傾いた。

まず、昔はまったリリアン・J・ブラウンのココシリーズに着手し、あらかた読んでしまうと、米澤穂信、恩田睦。

さて、他に誰か、と思った時に上司の言葉が思い出されたのである。

しかし、それが去年末。

古本屋に行く度に目に入る。きゅんきゅん。激しく感知しているが葛藤する。次にする。

これを繰り返して、先日ようやく購入したのだ。

確かに、間違いはなかった。やられてしまった。

ちなみに、その上司は5年ばかり鬱病と戦っている。

世間的には似たような病気の二人、かもしれないが、とんでもない。

彼ほど私は苦しんでいないだろうし、彼ほど戦ってもいない。

同じ病気であったとしても、やはり、個人差もあり、病気との対峙の仕方によって、大きく違いが出るものだ。

だから、全国のパニック障害の皆さん、私とあなたは同じではないよ。

人それぞれ、きゅんきゅんの発生源が異なるように、病気の発生源も異なるのだから。

共感は出来るけど、何もアドバイスは出来ないし、徒党を組んだところで成果は少ないでしょう。

自分と向き合うことが最善だと、私は思うのです。

個人の問題。

それにしても、どうしてきゅんきゅんするんでしょうね。

謎は謎のまま、いとをかし。

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先日・・・一昨年からお世話になっている心療内科に行きました。

小さい地方の総合病院なので、医師は一人。患者は大勢。そりゃあ、話をはしょりたくもなるでしょう。そうでしょうとも。

だがしかし。

病名をはしょるって、ありえないでしょう?

とある病院(最低な医師だった)でパニック障害という診断を受けて、その忙しそうな女医のところへ参ったわけですが。

1年半ほど不定期に通院していながら、初めて「パニック障害じゃないですよ」と言われたのです。

おーい。

で、女医の診断は何かと言うと「不安障害」ですって。ぷっ!

「不安障害」って大きな分類で、パニック障害も含むのですよ。

間違いでは無いが、的確でもない。

パニック障害だと診断したトッチャンボウヤ医師は「一度でも原因の無い発作があったなら、パニック障害ですよ!不安神経症だなんて診断したなんて信じられない」と言っていたのね。

で、今度は女医が「死んでしまうかもしれないと思うような発作が無いのだから、あなたはパニック障害ではないんです」と言うわけさ。

おーい。

宇宙が見えました。

わけわからんくて、それこそパニックになって、過呼吸発作寸前になった。

確かに、今の私はさまざまな症状にも発作にも慣れて、前兆を感じたら対応するくらいになっているし、生活の中で、ほとほと困っているのはPTSDと言っても間違いではないような子供たちとの別離による不安障害です。

ええ、確かにそうです。

ところがね、パニック障害は一進一退を繰り返す病気で、不安障害は治る病気らしいのですよ。

こういう経緯って、どう捉えたらいいんですかね・・・。

まぁ、引っ越したから女医のところには行かないし、新しい主治医を見つけて一から説明して、診断してもらうしかないのですが。

そんなわけで、病院探し。

・・・・少ない・・・。

知ってたけど、少ない。

2ちゃんねるとかも、のぞいて見た。

荒れ放題。

とりあえず、以前私が通っていた○の○らはケチョンケチョンだったね。やはりね。

患者の話を看護士が聞いて、医師は又聞きで診断して薬出すだけ。

「不安神経症って山大で言われたんでしょ?じゃあ、そうなんじゃない?不安神経症ってのはね、一過性で治りますから。もう来ないで」

ちゃんと、その治ってゆく過程も説明してくれたので、自力で認知行動療法的なことをして、一度は快方に向かったものの、人生は状況が変わってゆくものです。また再発。

それで、行ったら「来ないでって言ったでしょう?不安神経症っていうのはね・・・」

ああ、思い出すだけでも腹が立つ、あの見下した笑い。

医師はいつでも患者を見下している。

否、そういう医師にしか私がめぐり合わないのか?

もしくは、私がそういうふうにしか感じられないのか?

不安障害ね。ふっ。

もう、どーでもよくなってきましたよ。

どんなに医者に通っても、薬飲んでも、結局はセルフコントロールしか無いじゃん。

病名なんて関係ないよ。医師が治療の際に目印として付けるだけで、あたしにゃあ何の意味も無い。

あたしにはあたしの症状があって、あたしはそれを自己分析出来るくらい落ち着いている。

・・・薬がいるっていうだけさ。

市販の薬で、抗うつ剤って無いのかしら??

セルフコントロール、セルフカウンセリングでいいじゃん。

どうせ原因不明。

PTSD(みたいなもの)に関しては、物理的にどうにかしようと行動できてるし。

・・・・とは思うものの・・・やはり、カウンセリングは必要だろうと・・・。

どっかにいないかなぁ~・・・暇で優秀なカウンセラー。

いないよ。

少ないよ。

もが~~~~~~~~。

症状を考えると、やはりパニック障害に当てはまるのだが、そう名乗ってよいのかわからなくなってしまった。

副題を変えなきゃならんか?

不安障害はGADだったかな。・・・・めんどくさい。いいや。

まね、そんなこんなで。

わけがわからないんだが、別にいいや。

調停が心配で、何も手に付かない。

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ぐだぐだな人間たちの小説を読んだ。

世間一般では馬鹿にされる種類の人間たちだ。

けれど、必ず身の回りに何人かはいる人種だ。

頑張ってはいるけれど結果がついてこない、わかっているのに改善出来ない。

弱い人間のようで、ギリギリのところを生きている様がたくましい。

最初は否定的に読んでいたが、徐々に悲しくなった。

私とて、世渡り下手なダメ人間。

いつも、空回りで自分で自分の首を絞めている。

それでも、生きている。


誰かが悪いのだと、言ってしまえば楽になる。

けれど、何も解決しない。

当たり前のことは時に困難だ。

それが人生。

人間はゲドのように全き人にはなれないのだ。

愚かで弱くダメで当り前。

誰も正しくはないし、誰も悪くない。


そうして、だから、ダメ人間でも誰かを愛し、その幸せを願う。

それは、とても穏やかで、私は好ましいと思う。

誰かの幸せを願う時、その人は幸せだ。

願われた人も幸せだ。

幸せの連鎖は大好きだ。


望みは薄いのだけど、いつか元夫を交えて子供たちと遊べたらいいと思う。

私のトラウマは健在で、病気がそれを手放さないので、今の私は彼の前に出ると震えて、まともに顔も見れない。

それは彼をひどく傷つけて入ると思う。

病気がトラウマを手放すまで、私にはどうしようもない。

申し訳ないと思うのだが。

だからこそ、いつか普通に会話して冗談をかわして、みんなで遊べたらいいと思う。

私の密かな目標だ。

とてつもなく難しいけど。

いつか。

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あけおめ!ことよろ!・・・遅い?
あっとゆーまに、新年だがや!

過去の日記を読んだ人はcanは死んだのかな?と思ったでせう。

ところがスットコドッコイ、生きてるのね。山奥で。


大晦日→元旦は福島の友人の店の手伝いをしたのね。

楽しかったのね!仮眠しか出来なくて眠かった!

友人がラブラブで微笑ましかったのね。ちこっと照れ臭くもあり。

くすくすくすっ。(´∀`)幸せだね?

くすくすくすっ。(´∀`)

目の前が神社なのに、初詣もおみくじもお守りも無しね。

ま、いいやん。ね。

アタシ教会に通おっかな。近所にあるのね。山奥だけど。

正しい教会なら、行ってみよう。

2日は、がっつり泥にハマった水戸ナンバーを助けた。

3日はマイファミリーとピザ食ったのね。美味であった。

4日は近所をウロウロしたかな?

5日は12時間寝たし。

6日は腰痛でアハハ(´Д`)

で、今日?7日?いや、何も。何もしてないよ!!

大掃除、とかぁ〜、お節料理、とかぁ〜・・・・ねぇ〜?

無縁だっ!!!!!

のね。


今年の抱負っつか、目標はぁ〜、芝居一本。

もしくは、店。

開店しちゃうよ?

夢かなぁ?夢かもなぁ。

他にも色々がむばって、楽しい一年にしたいです。自分の力で。ね。

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今日で今年もおわりですね。

どんな一年でしたか?

アタシは相変わらず、波乱万丈でした。

その詳細は来年、書くことにしましょう。

最近の日課は風呂で小説を読むことです。

昨日はリリアン・J・ブラウンのココシリーズ最新作を読みました。

今日は野ばら氏のカフェー小品集です。

才能あるがゆえの不自由にまつわる話でした。

アタシは台本や漫画が描けることが才能だと言われます。

自分ではよくわかりません。

頭に浮かんでしまうので仕方なくカタチにしているだけです。

才能なんてなぁ。などと想いをめぐらせていたら、あることを思い出しました。

先日、生まれてから今までのことを、聞いた話も含めて思い出せるかぎり書いてみようとキーを叩いていました。

小学校入学まできたとき、自分の母校の校舎の数がわからなくて、卒アルを引っ張りだしました。

すっかり夢中になって写真を見ていたら、文集のページになりました。

3組のランキングページの絵はアタシのでした。

下手くそです。

ランキングは次のページにも続いていて、アタシはぶりっこの1位でした。

おそらく服装が派手で髪が腰まであるストレートで中学受験組だったからでしょう。

パラパラめくり、クラスメイトの文章を読むと、みんな思い出や中学生活の抱負を書いています。

アタシの下手くそな字と絵がありました。

タイトル「考えたこと」

・・・・・おや?

本文「この6年間で考えたことは山ほどありますが、よく考えることと言えば(この世は私がいるからできているんだ)ということです」

・・・・・なに!?

ちょっと、わかりにくすぎる文章です。

要は、私は私の視界で私の思考でしか生きられない、ということを書いているのです。

普通に読んだら、どんだけ自己中なんだ?って文章になってます。

つか、これ、卒業文集だぞ?


私は才能ではなく個性溢れるマイペース人間なのでした。

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めりくり。
キリスト教信者ではないが、一応ミーハーな日本人として

めりくり。

巨大イチゴ抹茶大福をもらった。

あっさり抹茶あんこ。巨大イチゴ。

食べた。

すごく胃が重くなった。


まもなく今年も終わり。

来年の抱負を考えなくちゃ。

抱負とは別に、来年は苦手な努力を継続させる。

頑張ろう。

苦手なんだが。

そうも言ってられない。

何のため?あたしのため?

わかんない。

すべきだと思うから、するんだよ。

たいそうな理由並べても、結局は人間は自分の為にしか動けない。

人間は弱いよ。

みんな大変。みんな可哀相。みんな偉い。みんな馬鹿。

だから、僕は僕で君は君でいい。

ほんの少しの勇気と優しさで支え合えればいい。

それで、みんな幸せになれるんだから。

幸せになろうよ。

ほんの少しの勇気と優しさで。

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生きてますよ。

いや、もう、他に選択肢は無いですから。

苦しくったって悲しくったって、そりゃあんた、生きるしかない。

加藤登紀子も唄ってますよ。

「この世に生まれてきたら生きるしかないライライラライ・・・」

神様は何で私のよーな小さき者に馬鹿デカイ試練を与えたのか。

いや、私が小さすぎて馬鹿デカく感じるだけなのか。

わかりゃしませんけど。

この先に馬鹿デカイ幸福と安泰があることを信じるしかない。

会えないのは辛いけど、だからって無理矢理な行動はしたくないから、我慢するしかないわけで。

幸いにも、養ってくれる人がいて、ラフターになろうとしてくれている。

そのことに感謝しなきゃならんと思う。

不慣れな環境に疲れてしまって無気力な毎日が続いているが、無気力ながらも毎日を過ごせることが幸せだ。

同じような視点で、離れていても会えることが幸せだ。

そーゆうふうに、生きるのも、悪かない。

そーゆうふうに、ゆったりのほほんしても良いのかと。

なんだかんだ言われても、自分より誰かの幸せだ。

そーゆうふうにしか、なれん。

これが私だ。

ええやん、ええやん。

いつか、君に届けばいい。

be happy!

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ハートがいっぱい!ぃゃトマト。
ダリンはヤマト。

いや、そんなことはどーでもいいの。

久しぶりに外出恐怖っつーか、広場恐怖がじわりじわりと。

やらなきゃいけないことはたくさんあって出かけるけど

出来て一つ。

今日なんざぁ、何も出来ないまま帰宅っすよ。

困ったわぁ。

バイオが壊れたことも大きい痛手。

純正バイオしか接続不可で。もう無いパーツだから。

さよーならー。

18万・・・・。

今のアタシは収入無いし、貯金も無いし。

ダリンにおねだりしたが、シカトされ。

かといって彼の素晴らしい馬鹿高いバイオを使って良いわけではなく。

見殺し?

そこが一番悲しいわねぇ。

今、会いに行きますって映画の原作者もパニック障害なんだね。

先日立ち読みした。彼のエッセイに書いてあった。

結婚して奥さんが理解者となって安定してるらしい。

うらやましい。非常にうらやましい。

彼のエッセイは出来事だけ書かれているので、パニック障害に対する感情や苦悩はわからなかった。

それが正しいのかもしれん。

どんなに言葉を駆使しても、伝わらないのは仕方ないのだから。

あるいは、理解者を得たことで、それらを表現する必要が無かったのかもしれないし、単に、どんな経過を経て映画化に至ったかを書いた本であるからかもしれない。

読者は作者の苦しみを読みたいわけではない。

そう考えると、アタシのこのブログはいかにも素人だ。

明け透けに苦痛をつらつら書くのは、アホみたいな自己満足。

ま、わかってて、書いてるけどね。

だからこそブログなわけだから。

みっともねーなぁ、うざいなぁって思ったら、閉じりゃいいんだもの。

ブログは商売じゃない。

ただ、増加の一途にあるパニック障害に関わってしまった人間や、同じように苦しんでいる人間には、必要な情報があるだろう。

それだから、アタシは副題に必ずパニック障害の文字を入れる。

半分は、自分のための日記なんだけどね。

メンタルバランスを知るため、とか、自分を客観視するための。

今は、なんか少し調子が悪くて。

悪いながらも、アタシは考えている。

不安や恐怖に敏感で、何が悪いのかと。

喜びや笑いは良くて、不安や恐怖が悪い感情だと、誰が決めたのか。

さらに、自分の産んだ子供との別離に苦痛や悲しみを感じてのたうち回ることを、何故、私ではない誰かが嫌がるのか?

私が苦しむ姿を見るのが辛い、何も出来ないことが辛い、といった気持ちはうれしいのだが、だから、私にのたうち回るのを辞めろとは、あまりに勝手ではなかろうか?

のたうち回らずに済むような何かを与えてくれるならまだしも。

だから、アタシはのたうち回る。

それは、人間として、あるいは、パニック障害の人間として当たり前のことではないか。

我慢したら壊れるのも当たり前のことではないか。

辛い記憶に条件反射してしまうだけのことで。そんな症状を奇行だって?薬がいるって?

あんた、馬鹿か?

確かに、パニック障害の最大の特徴である「原因の無いパニック発作」は奇行だわな。

アタシ自身、驚くよ。

乳酸だとかカフェイン過多で自動的に発作が起きるのなんか、実際に体験したら多少笑えたもんね。

しかし、そーいった症状は日常生活で注意していれば回避できるし、「原因の無いパニック発作」は薬を飲んでいても防げない場合が多い。

つまり、アタシは何が言いたいかっつーと、アレだ、苦しむことを咎めるなってことだ。

自然な感情なんだから。そうなっちゃう体なんだから。

例えばね、愚痴なんてどうよ?

聞いてあげるのが愛情、友情的な常識だよね?

じゃあ、のたうち回るアタシは何故に見たくないわけ?深すぎて耐えられないって何?

なんて意地悪な思考になっちゃったなぁ。

ま、のたうち回る姿はあまり見せたくもないので、付き合わなくて良いの。

しかしながら、楽しいことを与えては欲しいって思うね。

当たり前だけどね。みんな、そうでしょ?

だから、あたしゃコントライブが大好きだったなぁ。

みんなで楽しむって最高じゃん?

それをアタシが作って提供してるとなれば、そりゃあもう、生き甲斐!

また、やりたいな。

今のところ無理なんだけどね。

アタシさぁ、無意識に不安だよ。いつも。

子供たちに寂しい想いさせてるのに、再婚とかしちゃってさぁ、地獄に落ちるんじゃねーの?とか、最低じゃね?とかって疑問が頭から離れなくて、ランドセル見ると号泣で。何で彼はアタシをこんなふうに苦しめて、でも生きろと言うのか、さっぱりわからなくて、この苦痛がいつまでつづくのか、いつになったら、アタシは晴天の心でダリンと暮らせるのか、さっぱり検討もつかない。

生きてるだけでも幸せなんだけどね。ダリンが一緒に住もうって言ってくれなかったら、死ぬしかなかったんだもの。

さらに無欲になれば、産めただけでも幸せだ。五体満足な素敵な子たちをね。病気と戦いながら、よく頑張った私。いい子に育った。それはもう、幸せだよ。

パニック障害で妊娠すら待ってる人がいる。産めなかった人もいる。

アタシは贅沢だよ。

それでも、苦痛が消えないのは愛だから仕方ないよねぇ。

愛するわが子だからねぇ。

不自然だよなぁって思うんだけどさぁ、だからって奪ったりは出来ないんだなぁ。

あっちも親だからさぁ。

なんだかなぁ。

アタシの未来はどんなんだろう?

わかんねーなぁ。

わかんねーから、生きてみるしかないよなぁ。

のたうち回りながら。

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