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★×2ワーキングシンマザwith PD ★SoWhat!? 今日も元気にC'est ma vie~☆

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以前、霊感120%のエス嬢から「これからは楽しいことだけしていきな」と言われたわけだが。

口上なので「生きな」なのか「行きな」なのかわからない。まぁ、似たような意味だが。

私の先祖がそう言ったのだと思った。直感。私の行く先は暗闇なんだな、と感じた。ぞわっとした。

たいがい、嫌な予感は当たる。

先祖は私を慰めたのか、予言したのか?嫌な事態になってはいるが、新しいことを始められる環境でもあるのだ。

この際、激しく悟りを開いて、全てを許し、全てを受け入れ、温和に新しい生き方を始めるか?

今までどおりの自分では、現状は耐え難く、死にそうだもの。

ここは、演じるべきなんだろう。新しいキャラクターを。新しい設定を開拓して、耐え抜ける自分を、演じる。

役者冥利につきるねぇ。

いやいや、本当は舞台の上でだけ演じたいわ。

日常生活で演じることは、小学生の頃にもしていたので、まぁ、出来る。つか、すでに半分は演じてる。・・・ダリンは気付いてくれてるかしら?

・・・期待するだけ無駄だな。

にしても、ね、現状を受け入れ許すって、悟りの境地だよ?

子供たちを救うことも、若干手を和らげなきゃならん。

・・・死ぬよりマシ?

・・・・・・だな。

いつか必ず、嘘は暴かれて、真実が癒すのだから、きっと。

・・・悟り・・・。

受け入れ、許す・・・。

どんなキャラクターになりゃあ、出来るんだい?ええ?てやんでい、べらんめい。

活路は、そこしかないのか?・・・無いだろうな。

ひでぇ頑固な自己中に、何を言っても無駄だ。一生あたしを恨み続けるに違いない。話し合いなんて、100年かかっても無理難題。

情けないねぇ。

あーあ。

相変わらず、あたしの思考も日替わりメニューで、情けないねぇ。

しゃきっとしやがれ!

甘えんじゃねーよ!

くそ。

喉が痛い。

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昨日、私は自殺したいと書いた。自殺するだけの理由があるのに、頑張ってる自分が馬鹿みたいで、負けてやろうと思った。

考えは変わる。(それを嘘つきだと言われても困る)

私の苦痛の種の一つである病気は、ある日突然やってきた。受け入れざるを得ないものだった。自殺も同じだ。そして、それは暴力だ。自殺は暴力だ。

もちろん、子供たちと私の関係を束縛する行為も暴力だし、現状では子供たちにとって、離婚そのものも暴力である。

人間は楽しい方へ前進する推進力が強いものだ。楽しいであろう未来。私もいくつかそうした希望を持って、どうにか生きているが、あまりにも微かな望みで、母に話したら「そうそう上手く行かないわよ」と笑われてしまう。それでも、その微かな望みが無かったら、生きていけないのだ。間違いなく。

年を取るごとに、未来予想図は縮んで行く。楽しいばかりの未来は、病気によって現実味のある未来となり、今は、針で開けた穴くらいしか、見えない。ずいぶん縮んでしまった。

この小さな穴を広げるには、大胆な開き直りが必要なのだろう。今ある苦痛も全ては必要な事だったと笑えるくらいに。・・・なれるのかな・・・。

離婚は必要だった。これは、間違いない。再婚も、今お腹にいる命も間違いではない。

調停で植え付けられた妊娠に対する罪悪感が、やっと薄れてきたが、お腹が目立つことに、まだ少し抵抗がある。食欲が戻りつつあり1キロ増えた。ストレスで変異細胞が悪化していないか心配だ。

生きるって大変だな。

病気だから、そう感じるのかもしれない。病気だから出来ないことがあり、病気ではない人に分かってもらえない。勉強ができる人には出来ない人の気持ちがわからないように。・・・はて、逆に私が出来るから出来ないことがわからないって、何かあるかな?

マンガや台本を書くこと。なんで書けるの?って聞かれるけど、なんで書けないの?って思う。

うぬ。これしか無いようだ。

開き直る自信が無いなぁ・・・。先は長くない気がするから、ドカンとやっちまいたいな。

後悔しないように。

ねぇ?許されるかなぁ?(誰に?何に?何を?)

・・・(´ω`)〜з

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夜のニュース番組ZEROは今日も問題定義をした。日本の自殺者数は世界第二位、年間3万人。

電話相談はあるらしいが、実際に救済してくれる機関は無い。精神科医も「悩みの原因である経済的、社会的な問題は解決できない」とコメント。そりゃそうだ。

誰も助けてくれないのだと、問題定義したが「考えて行かなくてはならないと思います」というコメントで終了した。

私は「誰も助けてくれない」という事実を実際に体験したわけだ。

電話相談で、調停をすすめられたが、調停人も事務員も否定的態度で、私の話すら聞かなかった。弁護士は裁判所には逆らうな的な、しどろもどろ。「辛いですよねぇ」を繰り返すばかりで、何も解決しなかった。法テラスは5千円丸儲け。精神科医は「で、どうしてほしいの?」

これで、私が自殺したら、笑えないな。いや、みんな、自分には責任無いと笑うか。

誰も助けてくれない。

家族ですら、一歩下がった位置にいて、心配だけど手は出さず。友人たちも、子供たちや病気のことは、避ける。何もできないから、去って行く人も多い。

それでいて「元気出して」「幸せになって」「頑張って」と言う。

私は十分に頑張っているじゃないか。必死に這いつくばって生きているじゃないか。笑顔を張りつけているじゃないか。

疲れてしまう。

誰も助けてくれない。誰も聞いてくれない。誰も振り向いてくれない。

ウザそうだから、シカト。

そんなもんだよね、世の中って。誰も他人のために必死にならないよ。他人の痛みは感じることが出来ないもの。あたしだって、わからなくて踏み躙ってるんだ。きっと。

どれだけの痛い夜を越えたら、救われるのだろう。

どこまで這って行けば、明るい場所に立てるのだろう。

光はどっちだ?

あたしは、誰も聞いてもらえない戯言を言っているのか?あたしは、もう、狂っているのか?狂っているから、シカトされるのか?一緒に暮らしている人にすら。

わたしが死んでも、世の中は何も変わらない。ダリンだってシカトするくらいだから、多分いなくても平気なんだろう。みんな、ほっとするのかも。ね。

子供たちに、二十歳までのバースデーカードを書こうと思う。小説もいくつか書いて、マンガも描けたら描いて。

後悔の無いように、準備しておけば、また少しは気分も変わって、這って行けるかもしれない。

私は混ざってグレイ。半分悪で半分善で、ちっぽけな人間。

生きることは、苦しい。と、学んだ。

わたし以外のみんなが、楽しく生きているといい。

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旧友と短冊と妄想と。
七夕ですね。(´∀`)

短冊に何を書きましたか?

我が家には竹すら無いけど。

私の願いは・・・

「子供たちと暮らせますように」

「変異細胞が無くなりますように」

この2つは願わなきゃ叶わなそうだから。

もう二度と離婚したくない、とか、楽しく生きたい、とかは自力でどうにかなる。

うん、たぶん。

昨夜は旧友(18年の付き合い!)とカラオケ行った。

やはり、旧友は、いいね。ほっとする。

しかし、最近ずっとポーカーフェイスなもんだから、外せなくて。旧友には、いらぬものなのに・・・ローテンションでした。

肩に力入ったままだったな。

ふとした拍子に、あ、なんだ、許されてるじゃんって思った。

旧友は、ありがたいものだ。

久しぶりに熱唱して、今夜は眠れるぞ!と思ったが・・・

ウトウトしたら、ダリンに起こされた。「お風呂入れて」・・・自分で入れろよ。スイッチ押すだけだろ。

ってな感じで、またもや明け方まで、パッチリ。ダリンはぐっすり。・・・チクショウ。

・・・お腹の子が産まれたら・・・

子供たちを全員連れて、遠くへ行って、暮らしたい。

・・・そんな経済力、無いけど。

こんな山奥の田舎町・・・性に合わん。プライバシー保護困難、サービスレベル最低ランク、身内ひいき過多、過干渉家族、方言命、我が町命、柔軟性無し、精神年齢中学生以下。時代錯誤。

郷に入っては郷に従え、ですけど、レベル低くて、理解に苦しむ。個人差くらい、認めてほしい。プライバシー保護して。

つか、あたしみたいな病気の人間には、よけい辛いのかな。・・・かもな。

東京恋しい。故郷は川口だもの。標準語に帰りた〜い。

芝川〜!グリンセンター!十条銀座〜!イートラン!ドムドム、ウェンディーズ!サンシャイン〜!隅田川花火大会〜!浅草〜!上野〜!六本木〜!東京タワーに都庁!

あ〜あ。

もう実家、無いし。

帰りたいなぁ・・・。

(>_<)ん〜・・・

(@゜▽゜@)っぱっ!

表情筋を動かして、若返り。

(>_<)ん〜・・・

(οдО;)ぐがっ!!

(>_<)ん〜・・・

(m'□'m) ばぁっ!

・・・何してんの?

楽しい?

・・・なら、いいよ。

奈良、いいよね。仏像めぐりしたい。うどん食べて。

あー・・・旅立ちたい・・・あの世へ・・・??

だめだよ、まだ!!あの世は、まだ先!!・・・いやぁ、でも、長生きはしたくないな。

今まで辛かった分、面白くなるなら良いが・・・同じような人生が続くなら遠慮します。

・・・あと25年で、十分だな。25年後、長女は34かぁ。孫、いるかな。

一緒に暮らしているといいな。

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痛い。
悲しすぎると、辛すぎると、痛い。

全体に色々に。

胃に差し込むような痛み(胃潰瘍?)ヘソのまわりがマッタリ(ゴマ取った?)背中をにじりにじり(虫?)体の周り全部がサワサワと(霊感?)まぁ、いろんなふうに痛い。

常に、どこか痛い。

現実逃避に読書してみたり、ネイルアートしてみたり。いろいろ頑張っているが・・・同居人には、辛いことも頑張っていることも言えないので・・・努力のかいも虚しく、また痛くなる。

眠れない夜が定番。

無理やり食べてる。腹が鳴るから。胎児が叫んでるっ!と思って食べる。美味しくない。

騙されたのかぁ・・・うん、確かになぁ。信じたかった・・・憎みたくない・・・憎しみは何もうまない。いらない。・・・だけど、悔しくてたまらない。なんて下劣。・・・がっかりだよ。

とかなんとか。ぐるぐる。

大人気ない・・・かっこ悪い・・・頼りない・・・ハァ。



発作やめまいで、ふらついた私をがっつり、抱きとめて「大丈夫だよ」(歯がキラーン)と力強い笑顔を向けてくれる、楽天家でしっかり者で少しシャイなイケメンに愛されたかった。(妄想だろ)

現実には、そんなメンズいません。

力強い笑顔の下に、最低の下心を持ったダメンズは多い!ばか!あほ!あんたら、それで将来人の親になる気か!(全員娘を持て。そして泣けばいい)

・・・未来が真っ暗。(電気つかないの?)

ねぇ、わからないことだらけなの。だから、私は誰からも理解されないのかしらね?

だったら、天才に産まれたかった。







薬を・・・毎日、朝昼晩、飲もうかと思うくらい、ダメなかんじ。

しかし、医者・・・探すのが・・・メクサ(面倒臭い、と打つのも面倒臭い)

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小学生の頃のほうが、今よりずっと大人だったな、と思うことがある。物事を真っすぐに受け入れる潔さ、持論を持ちつつ相手の話を聞く素直さ、といった子供らしい態度が、時にクールで大人に見えるのだ。

が、見えるだけで、子供は大人ではない。子供として扱わなくては失礼だ。もちろん、一人の人間としてという大前提の下で。

というのが、私の持論なのだが、どうやら世の中には、大人に見える子供のまま、年を取った人が沢山いるようだ。

相手の気持ちに無関心で、世話してもらうのが当然と思っている、手のかかる奴。何故か、こういう奴に限って可愛がられるキャラで、周りは振り回されっぱなしだが、本人は至って平和である。

絶対に自分は悪くない、と多少事実を湾曲してまで言い切る奴。当然のことながら、友達が少なく、少ない友達にすら横柄な態度。ただ、若干甘え上手なのが救い。これまた、あまり悩むことなく生きて行く。

都合の悪いことには蓋をして絶対に向き合わない奴。向き合わないから前進しない。それで周囲に多大なる迷惑をかけていることにも蓋をしてしまう。自分だけの箱庭に自ら閉じこもっていることにも蓋をする。おそらく、心の奥では蓋をしていることに気付いているが、向き合う勇気が無い。時に自己嫌悪するも、他者の責任にして、どうにか逃れようとする。

と、まぁ、他人事のように例をあげましたが、過去の自分に当てはまる部分であります。そして、今現在、私のまわりにいる人でもあります。私の自覚してない自分かもしれませんが、その可能性は低いでしょう。私は、ある時から逃げるのをやめたからです。

時には逃げるのも、有りですけれども、それには必ず潮時があって、逃げ続けることは不可能なのです。残念ながら。

潮時を決めるのは、自分ではないですよね。逃げているとどこか歪んで、その歪みが痛みになってしまう、そこが潮時なのだろうと思います。すなわち、自分が逃げていることで誰かが傷付くということ。

何度も経験しなければ、素直に潮時を受け入れられないですよね。頑張ってください。素直になる勇気は、ほんの一瞬ですよ。ためらうと、どんどん遠ざかりますが、踏み出せばアッサリです。ためらっているから、ハードルが高くなるんです。って、わかっていても、ためらいますよね。

遅くはなっても、手遅れにはならないと思うんです。残念でした、素直になっても、もう無駄です!なんてことは、無いと。ごく稀に、そういう意地悪をする人もいますけど。潔く、素直になりたいものです。

何もかも素直なら良いって訳ではないですよ。正直者はバカを見るって本当にあるんですから。そこらへんはね、大人の知恵でうまくやらないとね。

矛盾しておりますけど。

例えば、知ったかぶりってのは相当バカだなって思うんです。辛い体験はしなきゃわからんでしょう?実は相手にとって何が辛いかも、相手になれないから、わからんでしょう?それだのに「わかるよ〜」なんて言っちゃあ、いけませんって。アドバイスなんて無理ですって。それは本当に同じ体験をした人しか言えません。・・・って、わかっているのに、ついつい励ましたくて余計なことを口走ったり、若干、自分の不幸自慢してしまった時、まだまだ、フェイクだなって思いますよね。

会話の中で使われる「大人」って、単なる理想像なのかなって、最近は思います。理想像をしっかり持って、そこを目指し常に前進するヒトを大人って定義したら、わかりやすいのかな。

ともあれ、子供のままの人は、心配です。私はスゴく振り回されっぱなしでも、別に構わないんです。相手が子供だってわかるから、納得いくし。私以外の人を傷つけないで欲しいんです。あんな奴も、こんな奴も、やっぱ大事なヒトなので・・・。そんな奴らに振り回されてる人々も、大事だから。一部に傷付いてる人々もいて、そうさせてる奴は明らかに潮時を過ぎてるんだけど、蓋を開けないし悪くないと言い張るし、手に負えない。それが、たまらなく悲しい。手に負えないことは、仕方ないのだけれど、潮時を受け入れられない奴の心理が、私を途方も無く悲しくさせるのです。仕方の無い事、では済まない事態になりつつあり、私は悲しいまま、酷な手段に出ざるを得ないかもしれません。・・・悲しみを通り越して憤りになりそうで、ブレーキをベタ踏みです。憤りは無意味です。

そんなわけで・・・他人の振り見て我が振り直せ。面と向かっている相手は鏡である。・・・そんな言葉が身に染みる、有難い、今日この頃。

鶏肉以外の肉に胃がもたれる三十路です。

急にシミだらけになった頬が憎いです。ホワイトニングを夫に勧められました。しかも、高いのを買いなさい、と。効果が無いと困るでしょ?と。・・・有り難いやら・・・。

遠視で乱視の彼にもよく見える、シミが憎いです。

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久しぶりに出会った。
SKIPPY!

アメリカのドラマや映画で子供たちが食パンにべったり塗って学校へ持っていく

あのピーナッツバターです。

まさにアメリカンな味。

これが大好き。

他のピーナッツバターは認めない。

アヲハタのスヌーピーのピーナッツバターは近かったけど

やっぱ本場は違うね。

しょっぱいのさ。

濃いのさ。

だから食べ過ぎたりはしない。

山奥では売ってなくて、隣の隣の市まで行ったわ。

ぐふふ。焼きたてパンにSKIPPY。素敵だぁ。

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もうすぐ子猫が来るので。
三毛猫から三毛猫は、なかなか産まれないのだそうで。

三毛猫から産まれたトラ猫を飼うことに。

ずっと不明だった子猫の父親を目撃したのだが、二度見するくらい不細工だった。

あんな顔の猫、いるんだ・・・。ってくらい、微妙だった。

・・・将来あんな顔?

ふぅ。消去、消去。

先月中にダリンは職場を移動して仕事に復帰した。

来週は身内と友人で、ささやかなお食事会。お披露目会?

明日は病院。婦人科。ぐふっ。そーゆう年齢っすよ。

わたし・・・ガンなの。ガーン!

なんつって。

まだ予備軍ですが、ガンになる確率20%。高いのか低いのか、わからん確率だな。

ガンの本を開いて、愕然とした。

いや、知識としてあったけどさ、自分の身に迫ると、えっらいリアルで。

「髪が抜けたらカツラ」とか「死の迎え方」とか見たら、うわぁーーー!!!って叫びたくなった。

とりあえず恐怖を振り払うために叫ぶ感じ。

ハラペーニョ!!!とか、叫ぶ単語はなんでもいい。

とにかく叫びたくなって、そそくさと本屋を出た。

まだ予備軍の私には、買えない。とか思った。軽く踏み込めないっつーか。

・・・踏み込んじゃうのかな?わたし?σ('∀'●)

・・・死ぬ準備の本とか、あったな。法的手続きから葬式の指示まで。いろんな葬儀アラカルト、とか。

うちの父は、千の風になって、を流して欲しいらしい。そして、墓ではなく記念碑を建てるらしい。坊主に金はやらんのだそうだ。

生きていれば、いつか死ぬ。

辛くて死にたいと考えるばかりが、死ではない。むしろ、それは死ではない。

本当の死。

うーむ。やっぱり、私の余命は短いみたい?

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自分でキリ番踏んじゃった。
前向きになるのは、簡単じゃない。けど、出来ない事じゃない。

どんなに前向きになっても、間違いは間違いだ。元夫への説得メールは、届いていて読んでくれたが、様々な面会方法には「子供たちの生活圏に入ってこないでください」と拒否された。悲しかった。単純に悲しかった。

しばらくして、怒りが込み上げた。純粋に子供たちの立場になれば母親に会いたいのは当たり前のことで、それを阻むのは虐待に等しいではないか。・・・しかし、おそらく元夫は子供たちを愛し、守っているつもりなのだ。母親に頻繁に会わせないことが最善だと思っている。同時に母親に子供たちを取られるのではないかと恐れている。一人になるのが怖いのだろう。

一人になるのは、怖いよ。本当に恐ろしいよ。靄がかかった中をヨロヨロと生きるしかなくなる。その恐ろしさを知っているから、彼は私ほど強くはないから、だから親権を譲った。約束を守ってくれると信じて。しかし、彼は私を信じないし許さない。

人間はフクザツだ。

私は元妻ではあるが、元母親ではない。今もこの先も母親だ。私の知らないところで傷ついていないか、苦しんでいないか、死んだりしないか、過剰に不安になる。それが母親だ。毎日会いたい。一緒に暮らしたい。そこを我慢しているのに、平日も少年団の応援も「子供たちの生活圏に入ってこないでください」という理由で却下されるとは。拷問だ。憎しみが彼を変えてしまった。なぜ、私を憎まなければならないのか?愛さなかったからか?自己正当化の犠牲か?無視されて逃げたからか?プライドを傷つけられたから?彼は何も答えない。私の言葉を素直には受け取らない。いつでも臨戦態勢。自分を許すように他人を許せない。まだ、許さない。・・・何故?

子供たちは会いたがっている。父親に遠慮し落胆して、押し隠している。写真の中の仏頂面は涙をこらえる顔。子供たちは幼少期の記憶を失ってゆく。母親を失ってゆく。頻繁に会えれば、母親を失わずに済むのに。

傷つき憎しみをまとった人には右目が無いから、はっきりと現実が見えないのだ。昔、そんな経験をしたことがある。右目の無い私は両目から涙を流して憎しみに醜くなった自分を哀れに思って泣いた。無いはずの右目からも涙が出た。そうして、やっと憎しみを捨てた。憎んだ相手を殺そうとする夢の中だった。

殺される、と思ってしまうのは、そのせいかもしれない。二度と憎しみに囚われたくないと思った。我を忘れた自分は不様だった。とても、情けなく苦しかった。彼もきっと、ひどく苦しんでいる。私を責めたり自分を責めたりして。

誰も悪くないんだよ。たまたま、そうなってしまっただけ。少し、歩調が合わなくて傷つけ合ってしまっただけ。どちらも親には変わりなく、子供たちは犠牲になるべきではない。としたら、やはり私たちは親としてよい関係を築き、双方から子供たちを見守り援助すべきだと思う。出来る範囲で自由を与えるべきだ。子供たちはこの先もずっと、離婚という過去と戦って生きて行くのだから。

本当にPDには成ってほしくない。が、今のように母親とのコミュニケーション不足が続けば、発症率は上がる一方だ。どうか、彼の心にミラクルを。私もダリンも、それを願っている。彼が癒され、子供たちに自由が与えられることを。

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開封されずに引っ越しの度に天袋にしまい込んでいた封印ボックスを開いて、過去の日記を開いてみた。

人間には自己防衛本能があり、時に真実を歪めて記憶してしまう。自分も少なからず、そういったことをしているだろう、と不安になったのと、パニック障害の症状を知った今なら違う真実も見えるだろう、と封印を解いたのである。

果たして、私は、真実をまっすぐに記憶していた。実に客観的に。

病気になった直後の自己分析は見事だった。計らずとも真実を見抜いていた。

ゆるりと悪化していった様を見ると、なるほど周囲の理解は皆無であり、病気を隠そうとして悪化したようだ。その後の周囲から受けた言葉には、深く傷つきながらも、必死に前向きになろうとしている。3ページおきに、泣いて、3ページおきに、頑張れ自分!と書きなぐっている。周囲の言葉は、私の病気を理解したくても出来ない、あるいは、同等に扱いたい気持ちからの言葉で、辛辣である。症状の全てを知っていたなら、傷つかずに済んだかもしれない。私自身も、周囲の人々も。分かり合えない関係は互いに傷つくものだから。

発病前の日記を読んでも、やはり私は私だった。変わらない。変わっていない。うまく言葉や行動に出来ない部分も含めて。ただ、発病後の私は、長く混乱して、殻に籠もってしまったようだ。言いたいことを言えないまま、発作を我慢して症状が悪くなる。それが何度も繰り返された。

理解者はいなかった。

今現在の自分は、周囲の望むままを演じている。ちぐはぐな自分だ。元夫のことで死にたくなったり、今夫と幸せになりたかったり、逃げ出したかったり、そういう感情のちぐはぐもあるのだが、もっと根底の、自分の奥がちぐはぐだ。見つめ直したい。自分自身を確立したい。憎悪との戦いも幸福の追求も、安息の場所を見つけることも、奥にあるちぐはぐを整理してから。

私の歩いてきた道は、石がゴロゴロしている河原で、何度も転んだ。今は緩やかな丘を登っている。辛かったり、心地よかったり、とてつもなく不安だったり。丘はなだらかだが、私の前に立ちはだかり、日光をさえぎっている。

より多くの人々にパニック障害を知って欲しい。私の歩いてきた道を、知って欲しい。同じように歩けないことを、理解して欲しい。そんなふうに日記を閉じた。

どのような症状があって、どのように回避してきたか、どんな時に悪化したか、軽くなったか、何を望んだか、何を望まれ、どう拒まれたか。

正直、周りの人々は無知ゆえに残酷だった。見下し笑う人、説教する人、突き放し叩く人、傍観して指を差す人。きもい、うざい、重荷、自業自得、甘い、弱い、ずるい、情けない、等々言われた。病気の話を避ける人も多い。さらに、私自身まで避ける人もいる。私は、だから、自分に自信など持てなかった。いや、今も無い。どうかすると、すぐに自分を戒める。自分は情けないのだ。自分はずるいのだ。自分は甘いのだ、と。それだから、不安でたまらない。生きることが、辛い。

どんなに親しくなっても、愛しても・・・みんな、どれかを口にする。私が悪いのだそうだ。そう言わせているのだそうだ。・・・本当に?

私は・・・生きていることを楽しみたい。だから、見直そうと思う。

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