
前向きになるのは、簡単じゃない。けど、出来ない事じゃない。
どんなに前向きになっても、間違いは間違いだ。元夫への説得メールは、届いていて読んでくれたが、様々な面会方法には「子供たちの生活圏に入ってこないでください」と拒否された。悲しかった。単純に悲しかった。
しばらくして、怒りが込み上げた。純粋に子供たちの立場になれば母親に会いたいのは当たり前のことで、それを阻むのは虐待に等しいではないか。・・・しかし、おそらく元夫は子供たちを愛し、守っているつもりなのだ。母親に頻繁に会わせないことが最善だと思っている。同時に母親に子供たちを取られるのではないかと恐れている。一人になるのが怖いのだろう。
一人になるのは、怖いよ。本当に恐ろしいよ。靄がかかった中をヨロヨロと生きるしかなくなる。その恐ろしさを知っているから、彼は私ほど強くはないから、だから親権を譲った。約束を守ってくれると信じて。しかし、彼は私を信じないし許さない。
人間はフクザツだ。
私は元妻ではあるが、元母親ではない。今もこの先も母親だ。私の知らないところで傷ついていないか、苦しんでいないか、死んだりしないか、過剰に不安になる。それが母親だ。毎日会いたい。一緒に暮らしたい。そこを我慢しているのに、平日も少年団の応援も「子供たちの生活圏に入ってこないでください」という理由で却下されるとは。拷問だ。憎しみが彼を変えてしまった。なぜ、私を憎まなければならないのか?愛さなかったからか?自己正当化の犠牲か?無視されて逃げたからか?プライドを傷つけられたから?彼は何も答えない。私の言葉を素直には受け取らない。いつでも臨戦態勢。自分を許すように他人を許せない。まだ、許さない。・・・何故?
子供たちは会いたがっている。父親に遠慮し落胆して、押し隠している。写真の中の仏頂面は涙をこらえる顔。子供たちは幼少期の記憶を失ってゆく。母親を失ってゆく。頻繁に会えれば、母親を失わずに済むのに。
傷つき憎しみをまとった人には右目が無いから、はっきりと現実が見えないのだ。昔、そんな経験をしたことがある。右目の無い私は両目から涙を流して憎しみに醜くなった自分を哀れに思って泣いた。無いはずの右目からも涙が出た。そうして、やっと憎しみを捨てた。憎んだ相手を殺そうとする夢の中だった。
殺される、と思ってしまうのは、そのせいかもしれない。二度と憎しみに囚われたくないと思った。我を忘れた自分は不様だった。とても、情けなく苦しかった。彼もきっと、ひどく苦しんでいる。私を責めたり自分を責めたりして。
誰も悪くないんだよ。たまたま、そうなってしまっただけ。少し、歩調が合わなくて傷つけ合ってしまっただけ。どちらも親には変わりなく、子供たちは犠牲になるべきではない。としたら、やはり私たちは親としてよい関係を築き、双方から子供たちを見守り援助すべきだと思う。出来る範囲で自由を与えるべきだ。子供たちはこの先もずっと、離婚という過去と戦って生きて行くのだから。
本当にPDには成ってほしくない。が、今のように母親とのコミュニケーション不足が続けば、発症率は上がる一方だ。どうか、彼の心にミラクルを。私もダリンも、それを願っている。彼が癒され、子供たちに自由が与えられることを。
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