小学生の頃のほうが、今よりずっと大人だったな、と思うことがある。物事を真っすぐに受け入れる潔さ、持論を持ちつつ相手の話を聞く素直さ、といった子供らしい態度が、時にクールで大人に見えるのだ。
が、見えるだけで、子供は大人ではない。子供として扱わなくては失礼だ。もちろん、一人の人間としてという大前提の下で。
というのが、私の持論なのだが、どうやら世の中には、大人に見える子供のまま、年を取った人が沢山いるようだ。
相手の気持ちに無関心で、世話してもらうのが当然と思っている、手のかかる奴。何故か、こういう奴に限って可愛がられるキャラで、周りは振り回されっぱなしだが、本人は至って平和である。
絶対に自分は悪くない、と多少事実を湾曲してまで言い切る奴。当然のことながら、友達が少なく、少ない友達にすら横柄な態度。ただ、若干甘え上手なのが救い。これまた、あまり悩むことなく生きて行く。
都合の悪いことには蓋をして絶対に向き合わない奴。向き合わないから前進しない。それで周囲に多大なる迷惑をかけていることにも蓋をしてしまう。自分だけの箱庭に自ら閉じこもっていることにも蓋をする。おそらく、心の奥では蓋をしていることに気付いているが、向き合う勇気が無い。時に自己嫌悪するも、他者の責任にして、どうにか逃れようとする。
と、まぁ、他人事のように例をあげましたが、過去の自分に当てはまる部分であります。そして、今現在、私のまわりにいる人でもあります。私の自覚してない自分かもしれませんが、その可能性は低いでしょう。私は、ある時から逃げるのをやめたからです。
時には逃げるのも、有りですけれども、それには必ず潮時があって、逃げ続けることは不可能なのです。残念ながら。
潮時を決めるのは、自分ではないですよね。逃げているとどこか歪んで、その歪みが痛みになってしまう、そこが潮時なのだろうと思います。すなわち、自分が逃げていることで誰かが傷付くということ。
何度も経験しなければ、素直に潮時を受け入れられないですよね。頑張ってください。素直になる勇気は、ほんの一瞬ですよ。ためらうと、どんどん遠ざかりますが、踏み出せばアッサリです。ためらっているから、ハードルが高くなるんです。って、わかっていても、ためらいますよね。
遅くはなっても、手遅れにはならないと思うんです。残念でした、素直になっても、もう無駄です!なんてことは、無いと。ごく稀に、そういう意地悪をする人もいますけど。潔く、素直になりたいものです。
何もかも素直なら良いって訳ではないですよ。正直者はバカを見るって本当にあるんですから。そこらへんはね、大人の知恵でうまくやらないとね。
矛盾しておりますけど。
例えば、知ったかぶりってのは相当バカだなって思うんです。辛い体験はしなきゃわからんでしょう?実は相手にとって何が辛いかも、相手になれないから、わからんでしょう?それだのに「わかるよ〜」なんて言っちゃあ、いけませんって。アドバイスなんて無理ですって。それは本当に同じ体験をした人しか言えません。・・・って、わかっているのに、ついつい励ましたくて余計なことを口走ったり、若干、自分の不幸自慢してしまった時、まだまだ、フェイクだなって思いますよね。
会話の中で使われる「大人」って、単なる理想像なのかなって、最近は思います。理想像をしっかり持って、そこを目指し常に前進するヒトを大人って定義したら、わかりやすいのかな。
ともあれ、子供のままの人は、心配です。私はスゴく振り回されっぱなしでも、別に構わないんです。相手が子供だってわかるから、納得いくし。私以外の人を傷つけないで欲しいんです。あんな奴も、こんな奴も、やっぱ大事なヒトなので・・・。そんな奴らに振り回されてる人々も、大事だから。一部に傷付いてる人々もいて、そうさせてる奴は明らかに潮時を過ぎてるんだけど、蓋を開けないし悪くないと言い張るし、手に負えない。それが、たまらなく悲しい。手に負えないことは、仕方ないのだけれど、潮時を受け入れられない奴の心理が、私を途方も無く悲しくさせるのです。仕方の無い事、では済まない事態になりつつあり、私は悲しいまま、酷な手段に出ざるを得ないかもしれません。・・・悲しみを通り越して憤りになりそうで、ブレーキをベタ踏みです。憤りは無意味です。
そんなわけで・・・他人の振り見て我が振り直せ。面と向かっている相手は鏡である。・・・そんな言葉が身に染みる、有難い、今日この頃。
鶏肉以外の肉に胃がもたれる三十路です。
急にシミだらけになった頬が憎いです。ホワイトニングを夫に勧められました。しかも、高いのを買いなさい、と。効果が無いと困るでしょ?と。・・・有り難いやら・・・。
遠視で乱視の彼にもよく見える、シミが憎いです。
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