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話せば長くなる。・・・話せば長くなる。・・・つまり、書いても長い。

あれは・・・1994年のGW直前でした・・・。
当時18歳の私は埼玉の南端から神奈川の北西あたりの某美術短大に通っていました。
東京を横断する、片道2時間30分。
入学前には、アパートに一人暮らしっていう話だったのだが
あっさりと嘘を付く母に、あっさりと嘘を付かれたのであった。
登下校だけで、かなり疲れる日々。
環境が変わった事や、中高一貫教育の三流私立女子高を卒業間近に、友人一同と縁が切れ
・・・そのショックもあるし、母に嘘を付かれたし、父にもコタツの中で蹴られるっていう、変な連動があって
精神的にクタクタだったのかもしれない。

私自身は、気まぐれに選んだ芸術学という分野が、以外にも楽しそうで
今後どのようにカリキュラムを組んで、将来に繋げようかと、ワクワクしていた。

そんなある日の下校中に、突然吐き気に襲われた。
ヤバイと思って、電車から飛び降りたのは、中高6年間通い続けた馴染みの駅だった。
あまり、吐くことが無い・・・いや、むしろそれまで吐いたのなんて2回くらいしかなくて、吐くに吐けない。
冷や汗がダラダラ出て、手足が痺れてしまった。
ホームのベンチとトイレを往復しながら、どんどん手足が動かなくなってゆく。
これは、まずい。助けを求めなければ・・・しかし、駅は小さい・・・。
咄嗟に思いついたのが、駅から歩いていける、中高時代の友人の家。
改札を出て、ヨロヨロ歩いて、玄関前にたどり着きドアフォンを鳴らした。
快く助けてくれて、泊まらせてくれた。

翌日、普通に電車に乗って自宅へと帰った。
その日から、GWだったのだが、レポート作成のために2つほど美術展に行かなくてはならず
母と共に出かけた。
また具合が悪くなるのではないかと、ヒヤヒヤだった。
GWが開けて、登校・・・。
短大の最寄り駅まで、あと3つってところで、急に息苦しくなって、電車を降りた。
冷や汗と動悸と息苦しさ。
今度は大きな駅だったので、駅員を捕まえて、休ませて欲しいと頼んだ。
駅員に連れられて救護室に入った。
学校の保健室のようなベッドが3台置かれていた。
他にも寝ている人がいて、苦しそうな息や、咳が聞こえた。
横になって、眠れないまま、1時間が過ぎた。
私以外の人は、みんな出て行った。
救護室の隣は、駅員の休憩室だったようで、隣の部屋から話し声が聞こえていた。
その声の一つがぶっきらぼうに言った。
「救護室、まだいるの?」
鼻で笑うような言い方で、とても嫌だった。
私はふらつきながら起き上がり、外へと出た。
近くにいた駅員が「だいじょうぶ?」と声をかけて来た。顔色が悪かったらしい。
私は「大丈夫です」と、その駅員を見ずに言って、その場を離れた。
一生懸命頭を働かせて、母に電話することを思いついた。
車で迎えに来てもらおう。
母に電話すると、急に涙が出た。
オイオイ泣きながら迎えに来てと言う私に、母は若干あきれて、でも来てくれた。

母が来るまでの約2時間は地獄のようだった。
ホーム上のベンチに移動して、泣きじゃくる私を、誰もが笑って指をさした。
キヨスクのオバチャンも、学生も、リーマンも。
一人だけ、当時は巨大だった携帯電話とジャンプを持ったリーマンが「大丈夫?」と声をかけてくれた。
しゃくり上げていたので、しゃべるのは一苦労だったが「母が来るので大丈夫」と、どうにか伝えると、私の視界から消えてしまった。
泣きすぎて、まぶたが腫れて、視界が非常に狭かったのだ。

やっとたどり着いた母は、私の様子を見て、すっかり仰天した。
いわゆる、過呼吸発作を起こしていたのだが、体内の酸素濃度が上がっている状態で
手も足も自由にならなかった。毛細血管に血が行かなくなるとか、関節が軋む、とか、そんな感じ。
さんざん白い目で見られて、他人の視線が気になってしょうがなかった。
他人の白い目が、笑い声が、怖くてたまらなかった。

しばらくして、呼吸が楽になり、母と電車に乗って東京駅へと行った。
そこで美味しいランチを食べて、にこやかに帰宅した。
まるで、何も無かったかのように。

これが、私と過呼吸の長い付き合いの始まりだった。
この経験が無かったら、きっと、悲しい出来事は多くなかったに違いない。

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