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★×2ワーキングシンマザwith PD ★SoWhat!? 今日も元気にC'est ma vie~☆

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今日、何の気なしに

スマホを落として、画面が割れた・・・。



え?

なんだろう?

今年って、こういう年?

全然違反してないのに違反切符とかさ・・・。

猛烈に希望してんのにスルーされて逃したりさ・・・。

計算したはずなのに、惜しいところで非課税世帯じゃなくなったりさ・・・。


そういえば、車検もあるな。


マジか。


妖怪ウォッチに大喜びする息子が可愛くて

次々にグッズを買ったり

もちろん入学とかで出費もあって

そうそう、増税ってのもあったわね。


・・・・う~ん。

考えられる限りの手当て等は受け取ったはず。


あとは収入を増やすしかないんだけど

社員になれるチャンスはあっても上司が上司なだけに

立候補して、OKしてくれる気がしない。


全然、立候補はアリなんですけどね。

・・・。


どうでもいいんだけど、新しいPCにしてから

「BackSpace」と「NumLock」が隣だもんで

無駄に「NumLock」押しちゃってイラっとする。


小さいな。



小さいよ。


私という人間の存在も

私という人間の思考力も

私という人間の人生そのものが、小さい!!

ついでに身長も小さい。


もっと長い目で見れば、些細な事なのだろうし

もっと遠いところに立てば、微かな物なのだろうし

本当に大事な価値観を、常に見失ってる気がする。


まだまだ、なだらかな丘の遭難者から脱せない。



誰もが「明日」のことを簡単に口にするけど

「明日」は未来なのだから

何が起こるか、誰にもわからない。

それでも

みんな、明日を口にする。


それは、何故なのか・・・。


ぼんやりと、答えは見つかっているのに

ハマる言葉が見つからない。



馬鹿になったもんだな。

いや、馬鹿でないと我武者羅に働けないのかな。

頭をフル回転させていると疲れすぎて

感情のコントロールもままならなくなる。


頭の中にあるものを言葉に出来ないもどかしさ・・・。


あーあ・・・。




そんなこんな、愚痴りながらも

人生ってなるようになってるんだよね。

今の生活に不満があるかって聞かれたら

これまでの人生の中では、無いほうですって答える。


全く不満の無い生活なんて、無いんだろうな。


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久しぶりにブログの設定とか見てたら
普段は見ないところにコメントが一覧になってて・・・

知らない間にコメントいただいてました。

え~~~~~・・・

どうしよう。

4年前のコメントとかあった。

わ~~~~~~~~(>◇<)

どうしよう。


えっと・・・

えっと・・・

ありがとう!

返答無くて、ごめんなさい!!

おかしいなぁ・・・。
どういう設定で、こういうことになってんだろう??

ああ、でも、こんどからマメにチェックしよう。

拍手[1回]

何年か前までは、本当に市役所とか税務署とか100%
態度のデカい嫌味な人ばっかりでしたけど
どういう風の吹き回しなのか、昨今は「お役所も接客」って感じ。

その風をぜひとも警察にも吹きまわしてほしいんですけど。

免許の更新も受付の女性たちはわりと優しい雰囲気なんですが
講習の際に出てくるオッサンとかは態度めちゃくちゃデカイ。

以前に自転車でひき逃げされそうになった時も
どいつもこいつも偉そうで自動車免許を持たない私に
道路交通法も知らんくせにって態度で、鼻で笑ってくれた。
ひき逃げ未遂を警察に連れてった私を褒めろや。
検挙率上げただろうが。

ま、それから数年後に、たまたま警察の方と飲み会の席で会い
その方いわく・・・
交通安全週間とか年末年始、年度末とかは検挙率を上げなきゃいけないらしい。
なんでかっつーと、全国でランキング形式になって
そのランキングが下のほうだと上司に叱られたりするとかで。

おいおい、君たちも公務員で税金から給料得てんだろ。
そんなつまらない理由で小さい検挙するために一時停止を見張ってるのかよ。
くだら~~ん!!!

と、書いてしまうのは
今日、私が一時停止無視ってことで切符切られたからです。
でも罰金って支払わなくていいんだってね。
起訴しないで~っていう意味での支払いなんだって。
だから払わないと起訴されるんだけど、一時停止だけで起訴なんてしないから
たいていは不起訴になって終わるらしい。

ええ~~。

っていうかね
止められて、驚いて「一時停止しましたよね?」って私は言ったの。
そしたら「はい、ですけど、足りないっていうか・・・」って。
え?
止まっただけではダメなの?
警察官はモゴモゴと
「止まり切れてなかったというか・・・その・・・」
そんなんで、納得しろって言うのか?
でも、どうせ口答えするだけ無駄っていうか、逆効果でしょ?
こんな不明瞭な理由で違反と決めつけられちゃうのか!!
そう思ったら
めっちゃ涙出た。

証拠あんのか?
あんたの目にそう見えただけで、違反なのかよ!?
停止したっつってんのに!
停止するつもりがあって、実際にしたって感覚もあって
警察官も停止してたと言ったのに「足りない」って・・・?

申し訳ないけど、国道の暴走するトラックや
事故寸前の悪意に満ちたあおり行為をする
トラックや普通車をとっ捕まえなさいよ!って思いっきり思いましたよ。
あいつら、本当に怖いんだよ。
ただでさえ青白くて強すぎるライトをアッパーにして、限界まで近づいてくる。
追い越し禁止なのに追い越そうとして、対向車とぶつかりそうになったり
クラクションならして無理やり横入してきたり・・・。
そういうのを何度も見ていて絶対に自分は迷惑行為をしないと決めて
この13年、無事故無違反だったのに・・・。

「足りない」って理由で違反かよ・・・。

悲しいな。
しっかりしてよ警察。

取り締まる側だからって偉いわけないじゃん。
偉そうにしないで税金おさめてる人に感謝しなさい。

公務員だから、そうそうクビにはならんのだろうけど
痴漢で警察に捕まっても平然と勤めてる公務員よりマシだろうけど
全然、守ってもらってるって感覚も無くて
今回みたいなことがあると
全くもって警察の存在理由がわからなくなるよ。

ああ、いかんな・・・。

昔、山奥の県道を車で走ってて突然、警察官に止められたことを思い出そう。
「こんな夜中に何してるんですか?」
たまたま芝居か何かの手伝いだか何かで遅くなってて、それを説明したら
「この近くで親子が刃物で殺害されました。犯人が現在も逃亡中です!気を付けてください!!誰かに車を止められても絶対にドアや窓は開けないでください!」
って言われた時・・・若干、最初は私たちを疑ったみたいだけど
必死で気を付けてって言ってくれてて、しかも刃物持った犯人がいるってことは、自分の命も危険だっつーのに、私たちの心配をしてくれて、感動したけどさ・・。

その感動を今日のことで打ち消したくはないな。

頑張ってくれ!警察!!
国道4号線をしっかり見張ってくれ!!
毎日300メートルずつ移動して県内の4号線すべてを見てくれ!
毎回同じ場所だと、猫かぶるぞ。
そういう情報網だけは、あいつらしっかりしてっから!!

ああ・・・悲しいなぁ。

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April Fools' Dayなのでウソでも書こうと思ったけど、性格上、無理。 

今年は39才になる。 
三重苦にならないように、幸せな妄想をしようと思う。 

元夫1号が土下座して自分のモラハラが離婚原因だったと認めて慰謝料を払ってくれた。 

元夫2号の生存と社会復帰が判明し、実家に乗り込んで胸ぐら掴んでぶん殴り、裁判で判決された慰謝料と養育費の請求をして、支払われた。(先日、夢に見た) 

両親が突然、姉同様に私に家を買ってくれた。 
母がプリウスを買いたくて、姉の時同様に今母が乗ってるアクアを私にくれた。 

父の絵が日曜美術館で紹介されて爆発的人気になり、過去の作品もすべて売れた。 
その収入で、念願のオタクカフェを建設、運営することに。 
小さな舞台も兼ね備え、コントやショートストーリ、音楽や映像などのライブもする。 

カフェのオリジナルグッズがじわじわ売れて、程よく人気のカフェになる。 
姉夫婦の店も拡大して姉妹店となる。 

小説が賞をもらい、中二の頃から温めていた作品が世に出る。 
漫画もひそかに人気が出て、仕事がもらえる。 

裁縫をする時間はないので、オリジナルグッズとして生産。 
服やバッグ、ストールなどの小物が人気となり、ネットショップも運営。 

もう、そうするしかなくて、会社を設立。 
主婦層が働ける職場を作り、大成功。 

カフェでのライブの経験者を集めて芸術クリエイター講座を小学生から大人までを対象に開講。
未来のクリエイターを育て、日常に笑いと芸術を!を目標に日々邁進。 

はい、妄想おわり。 




現実的に考えて、資金さえあれば商売できる自信はある。 
なので、資金面で無理な妄想をしたのだが、手っ取り早く宝くじが当たればいいな。 

以前どこかの市でひとり親家庭の自立を促すための支援として 
カフェ設立資金の支援という事業があったのだが・・・ 
何分、子供のころから金の貸し借りには厳しく言われていたため 
結局は無利子の借金でしかない事業には、手を出せなかった。 
ま、行政のやれる範囲は、そこまでだよね。 

各地で同じような事業はあって、ひとり親家庭だからこその権利。 
どこかのHPで見たのは無利子で700万までとか。 

昔ブティック経営していた母曰く、3年は赤字でも暮らしていける貯金と最低でも100万円の準備金が無いと、店は始められない、とかで・・・ 
現在、私は年収200万以下で生活しているので・・・700万ってギリね。 
ギャンブルは苦手なので余裕のある資金が欲しい(笑 

ああ、本当に・・・子育てって夫婦でやるもんなんだなって思う。 
手が足りん!! 

小学校では、小学校の保護者会と学童の保護者会と地域の育成会(登校班)の保護者会と、部活をやったら部活の保護者会と・・・うち、部活は物理的に無理だけど。 
(部活は夜間練習や週末の練習・試合・長期休暇中の合宿・イベントも親が運営) 
6年間で、それらの役員を必ずやらねばならぬほど少子化。トホホ。 
あと3キロくらい西に住んでたら、そこの小学校は一学年4クラスあるのに。 
なんつって。 


・・・だからってね、また結婚しようとは思えない。 
離婚によって2度も完全否定されてね、もう信じることは難しい。 
それを心底、実感してる。 
ああ、私は男を信用しないんだなって。 
妄想すら出来ないほど、傷ついてるんだなって。 
友達なら全然OKなんだけど、友達ってだけで子育て手伝ってくれる人なんていないし(笑 

夫婦に未練もあこがれもないけど、とにかく手が足りない。 
いや、金が足りないんだな。 
お金があれば仕事削って時間作って、それで足りるもん。

さて、小説の仕上げと学童の持ち物チェックしないとな~。

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本当に偶然だったのです。


木曜の同じ時間にポケモンがやってることに気付いた息子が
間違えて水曜日にチャンネルをまわして・・・

偶然、見てしまった「妖怪ウォッチ」の第二話。

そこから、ポケモンを抹消する勢いで
「妖怪ウォッチ」な日々が始まった。

毎日、毎日、オープニングやエンディングを歌い踊る。
水曜日が待ちきれずに、泣く。
毎日、何枚ものお絵かきが、全てジバニャン。
日常の些細なことも全て「妖怪のせいなのね!」
そうなのね。

6歳男児が、こんなにも熱くなる「妖怪ウォッチ」

偶然にも時計の玩具をはめている小学生を見て
何か胸がざわついて、近所のスーパーで4つだけ発見して
普段なら絶対に買わないのに
何故か、買ってしまった。

そして、知った・・・妖怪メダルの需要の多さ!!

時計の玩具も数日後には完売で、ネット上でも転売の嵐。
その玩具用にとメダルを偶然2個買ったのだが
それも数日後には完売で・・・

気が付けば、レアなメダルには50倍もの値段が・・・。

なんだ、この熱さは??

そうなってくると、私の中に眠っていたオタク心が目を覚まし
休日のたびにネットで検索・・・

しかし、元々運が悪いので前日に完売ってのがオチ。
(なので、どんなものもコンプリするつもりはない。)

なんで面白いかって、そりゃあ
私がDSで唯一ハマったゲーム「レイトン教授~」シリーズを製作した
レベル5が製作したんだもの・・・当然だよね。

くしくも息子は今年小学校入学で、周りの子供はみんなDS持ってる。
私のお古のDSLiteを渡してみたら、それほどハマらないので
じゃあ・・・
入学祝かなぁ・・・

なんつって
3DSと妖怪ウォッチのソフトを買い・・・

男の子の主人公と、女の子の主人公が選べることから
息子に頼まれて女の子バージョンで私もプレイ・・・

で・・・

はまっちゃったわけで。

一日1時間!って言ってる私が
上手く終わらせられなくて・・・2時間とか・・
まあ、平日は私のプレイ時間は無いんだけど。

ゲームのためにと、お手伝いや勉強をしてくれるから
まあ、いいとするかなぁ~。

明日は卒園式で、主役だから休むわけには行かず
妖怪メダルの第2章はジジババにイオンへ行って並んでもらうことに。
(予約も運悪く逃したのだった)

今が一番のピークで
今後は増産されて、需要に対して供給が追いつくだろうから
あまり焦ってはいないんだけど・・・

だってねぇ?
子供に夢を与えるべき玩具会社が
転売屋に夢与えてどうするんだって話だよ。

子供たちの笑顔のために、ガンガン増産して
バンバンゲーム出せばいいと思うよ。

小学校でもipadを導入するらしくて
ゲーム、PC=目が悪くなる、なんて言ってられないね。
ネット検索で新薬を開発した15歳もいるくらいだし
数年で世界はどんどんかわっていく。

今まではその先端を歩くことにステイタスを覚えて
必死に歩いてきたけど
年をとったせいか、もっとゆっくり歩きたいと思うようになった。
流行の服も飽きたし、話題のスイーツも行列が無くなってからでいいし
むしろ、わざわざ遠出して金出してってのも何か違う感じ。
そこまでしなくても、美味しいと感じることは出来るし
子供と楽しいって思うことや、幸せって感じられる。

誰かに評価してもらわないと、自分を見つけられなかったのかな。
この年になって、やっと他人からの評価の呪縛を
少しずつ抜け出してるのかもしれない。

自分の目で見て、自分の手で触って、自分で見つける
自分だけの「良いもの」に囲まれて過ごしたい。

職場の上司が変わってから、私の評価はがっくり下がって
私の下に居た人たちがガンガン上がっていって
私は置いてきぼりって感覚を通り越して
落ちぶれた、とすら感じて苦痛の中で仕事をしている。

苦痛を感じないようにムダにニコニコしてるけど
仕事にヤリガイを見出すことも出来なくて
ここ何週間も辛かった。

最近になって、やっと
上司がまた変われば、評価も変わるし
自分にとっての人生が、仕事だけではないって自然に思えるようになって
子供のいる私のほうが独身の人よりもお金が必要なのに
独身の人のほうが働く時間が長いからって昇給していくのは
非常に困ったことではあるのだが、私には子供と言う宝がある。
こればっかりは、評価も給料も関係なく
どうしようもなく素晴らしいことなのだと
やっと、思うことが出来た。

私のパニック障害を私の目の前で馬鹿にして笑った女の子たちが
こぞって昇給して私の上司になったことには
毎日胸がジリジリ痛むのだが
私は必要最低限の生活費を稼ぐだけでも子供を育てられる計算をしたし
自分の時間を増やすことで、人生を充実させることが出来る。

文章を書き、裁縫をし、絵を描く・・・
本来の自分になって、無我夢中で描き出すことが、今の私には
必要なのだと思う。

人生は、山あり谷あり落とし穴付き。

今は落とし穴にハマって妖怪ウォッチにハマって
どうせならって、自分にハマってみたいのです。。。

じゃあ、まあ、そんな感じで。
ちょっと、クエストしに行くわ。

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去年のまとめにも書いたけど
職場でのヤリガイを、ことごとく粉砕されて
仕事が楽しく無いどころか、少々苦痛になってきた。

これは・・・

私がスナフキンと呼ばれてしまう所以でもある・・・

アレだな・・・

「旅立ちたい衝動」

これが出てしまうと、本当に全てをリセットして旅立ってしまうときがある。
実際の引越しもあるけど、離職だったり離婚だったり
芝居とかコントを打ってみたり・・・

「旅立ち」には様々な種類があるのだが。

なにしろ、パニック障害の脳だから
「ダメだ」と思った対象には条件反射で過呼吸発作
という特性があるわけで・・・

これを発動させないために、感情を鈍くして鈍くして
「ダメだ」とその場で思わないようにしているのだけれど
職場の生意気な小娘どものえげつない芝居は
本当に心から消えなくて
日々炎症が酷くなっていく。

説明しておくと
ある日、職場で気持ちの悪い中年男性の接客をした小娘Aに小娘Bは
私がパニック障害であることを知っていて、私の目の前で大声で
「何かあったらキチガイみたいに叫べばいいよ。
そしたらウチが「この子、パニック障害なんです!」って説明してあげるから!!」
と、言って二人が大笑いするっていう・・・あってはならない事件。
当人たちは忘れてるだろうけどね。

探せば当時の記事がブログ内にあるんだろうけど。
何も感じないようにしているからこそ
スルーしてスルーして来てたんだけど
小娘たちが昇進していくたびに、傷が炎症を起こす。

あんな酷いことを言って笑える人間が、私の上司。

もう、そんなんで、今日も具合が悪いと言って休んじゃった。

ヤバイね・・・。

日ごろ責任感が強くて休めない人間なのに
仮病で休んじゃってる。

職場が「ダメ」になる前兆だなって、さっき思いついた。
あ、ヤバイなって。

あーあ。

でも頑張ったよ。
今までは2年もたなかったからね。
それが、今度はもうすぐ5年だもん。

倍以上。

でもって、現状は子供がいるので
いろいろと縛られてることもあり、引越しは大変なので
たぶん踏みとどまるんだろうけど

そういえば、やる気が無くなってから
海外に移住したいとか、山形に住もうかなとか
考えるようになったな。

前兆あったんだな。



で・・・。



踏みとどまるのがいいんだろうけど。
いやもう、それが一番だと思うけど。

もしかしたら、旅立つべきかもしれないよな。

生まれ故郷の川口でもいいし
大好きな十条銀座の近くでもいいし
第二のホームでもある山形でもいいし
近場で宇都宮でもいいし
はたまた、シンガポールでも・・・

そういえば宇都宮市ではひとり親家庭に就業のチャンスとして
資金援助してるんだっけ。あれ、終わったかな?

オタクカフェをしたい。お洒落なオタクカフェね。
私の理解の範囲でね。
アニメをずっと流しておいて、漫画もDVDもあって
お客様に色々持ち込んでもらって
ジオラマとかガンプラとかライダーベルトとか
それぞれにコーナー作って皆で盛り上がれるような・・・
そういう場所があったらいいなって
昔、夢に見た小さな舞台もある吹き抜けの広いカフェが
実現したらいいのになぁ。

私はそこでミシンやったり漫画描いたり小説描いたりして
カフェなのにセルフみたいな(w

ああ、夢は広がるなぁ~。

・・・ふう。


ともあれ
去年のおわりにモゴモゴ言ってたように
趣味に専念しようと思うのだが・・・

上手に時間を使えてない。

仕事の時間を1時間短くして
休憩時間もあったから1.5時間も自分の時間になるのに
ぜんぜん気持ちが切り替えられなくて
マンが読んだりボヘ~っとしたりして

だめだな!!

旅立つよりも改善だな!




・・・旅立つより難しいな。




なんか
背中押してくれるような事ないかな

誰か手を引っ張っててくれないかな

疲れちゃって。


ひとりで頑張るのに疲れちゃった。




ま、とりあえず
疲れてるみたいだから、チョコでも食って太ろぅ。

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子供が熱を出しまして・・・

全然元気なんだけど金曜日の夜に38.2度あって
全く元気なんだけど土曜日の朝も38.2度だったので、病院に行き
めっちゃ薬のませて日曜日の夜も37.5度で

薬が効いていないのは明らかだし
ぜんぜん元気なんだけど食欲はちょっと少なくて咳も夜は酷い
めったに熱を出さない子が3日も熱が下がらないって変だ・・・

これはもう、セカンドオピニオンだ!

そう思ったけど・・・パニック障害の脳みそは不安に弱い。

自分ひとりの判断って怖い・・・。

そうラインでつぶやいたら、友達がメッセしてくれて
総合病院に行くべきだと助言をくれた。

それだけでも、とても心強くて
頑張ろうって思って家を出たのだが・・・

車中で熱を測ったら36.6度・・・え??

そこで、またパニック障害の脳みそが騒ぎ始める。

初めて一人で行く大きい病院・・・怖いじゃん。
前に母と行ったけどさ・・・。
でも、もう無理じゃね??

考えすぎて、マックのドライブスルーして帰宅・・・。
マックを食べて、また熱を測ると
今度は37.8度・・・。

オロオロしちゃって、何故か母に電話する。

行ったほうがいいよね・・・
仕事休んで給料減っちゃう・・・
紹介状無いと2000円取られるよね・・・
でも、行ったほうがいいよね・・・

そんな独り言みたいな事を言う私に
母もあきれた様子。

ともかく、行くって友達にも母にも言ったんだから
行かないわけには行かなくなったぞ!

と、勇気を振り絞り、病院へ。

いやまあ、さすが総合病院です。
さわやかな男性たちが、何でも教えてくれて
その通りに、つつがなく診察へ進み・・・

診察してくれたのも、ハキハキした若い女医で
「確かに薬が効いてないので、変えますね!」
別な抗生物質を処方してもらい、それでも熱が下がらなければ後日検査する
ということで予約も入れてくれまして
「その日までに回復してたら来なくいいんで」と言って下さって
ああ、女神・・・

お会計もお薬も迷うことなく不安も無く進み・・・
何故か実家から着信・・・

何かと思ったら
父が「あの~・・・お金はね、心配要らないから。なくなったら、ちょうだいって言えばいいよ」と。

かつては土下座しろと言った父がっ!!
つか、土下座ってのも母の伝言だから不確かだけど・・・
でも、今までそんなこと、言わなかったじゃん!!

嬉しいような悔しいような

超ふくざつ!!

涙が出ちゃいました。

そんなこんなで帰宅すると、また実家から着信。
今度は母が・・・
「困ったときには頼っていいから」と。

いやもう、実家出てけオーラばんばんで私に公営住宅を無理やりに勧めた母が!
いつだって、姉の子供ばかり可愛がってきた母が!!

本日2度目の嬉しいような悔しいような

超絶ふくざつ!!!!!!!!

そんなわけで・・・
非常に精神的に疲れた1日でした。


ちなみに、息子は15時から現在(22時45分)まで爆睡です。

拍手[1回]

今年は・・・辛い一年でした。

だけど、その辛さを上手く受け流せたような気もします。
大人になったなぁ~なんて、思ってしまいます。

以前だったら、もっとダラダラとこのブログに書いてたと思うから。

このブログを始めたのは
最初の離婚の後ですが・・・あれから10年・・・
このブログに全てが書いてあるわけですが

自分の愚かさに、ため息が出ますな。

アホな自分を嫌いではないです。
経験こそ人生の醍醐味ですから。

セレブな人たちに馬鹿にされるような貧乏でステイタスの無い自分でも
全くもって、恥ずかしいとか思いません。
むしろ、馬鹿にするセレブ達が可哀そうだとすら思います。
貧乏だから見えるもの、貧乏だからわかることは、人間の本質に迫るもののように思います。
お金は必要最低限でいいので、もうこれ以上のライフイベントはいらないです。
心からそう思うけれど、まだまだライフイベントは目白押しかと・・・。

ま、仕方ないよ。

辛いってことが、当たり前みたいに思えてきてます。
人生ってそもそも「辛い」ものなんじゃないの?

「あ~もう嫌だ」って言ってる10~20代を見ると
離婚で子供と引き離されたり、子供が生まれたばかりで引きこもられたり
親から自分を完全否定されたりするのと、どっちが辛いの?
比べようがないんだけどさ、君の思う「嫌」って本気で耐えがたいものなの?
そもそも、耐えたことあるの?
って、問い詰めたくなる。

特に職場の態度がデカくて笑顔ゼロの高飛車小娘が
私だけではなく、他のスタッフ(年上)までも馬鹿にして鼻で笑う姿を見ると
もう、何も言わずにぶん殴りたいとすら思います。
それから、どういうわけでそんなことが言えたもんだか理由をしっかり聞いて
あんたはそれほど仕事が出来てないってことを教えたいです。
ただ、容姿とゴマすりだけで昇進したってことを、知って欲しいです。
粋がっていられるのは20代までだな、って彼女の前で言ったことがあるけど
本当に無意識の独り言で、自分でもびっくりしたので
今後は彼女を殴らないように注意しなければなりません。

今後、彼女のために仕事を頑張る気持ちは一切ありません。
たとえ今後は誰も馬鹿にしないと約束されても無理です。
失った信頼を、回復させる気は全くありません。

そういうこともあり
仕事に対して今まで持っていた情熱や責任感というパワーを
今後は趣味に生かしたいと思っています。

小説とか漫画とか
私にはカタチにしなければならない妄想が数多く脳細胞に芽生えているのです。
(表現が気持ち悪い)

それから、人生というものの意味だとか
宗教の存在意義だとか
自分自身の精神世界の分析だとか
そういったこともしてみたいです。
自分だけの妄想にしかならないけれど、まあ、とりあえず。

おっと・・・
なんだかダラダラ書いてしまった。

箇条書きで今年を振り返ると
・昇給した 
・大事な役割を小娘に奪われた
・昇進は何も言われずに流れた
・娘が結婚できる年になった
・上の子供たちには2回しか会えなかった(内1回は内緒で会った)
・上の子供たちが泊まりに来ると頑張ったが叶わなかった
・長男が家出を本気で考えた(実行せず)
・仕事が苦痛で頑張れない自分にもやもやした(継続中)
   
  
 
うん。
辛かったな。


今年もお世話になりました。
来年もまた、よろしくお願いします。

拍手[2回]

自分に自信が無さ過ぎる、と上司に言われた。
もちろん、その通りだと思う。

何を持ってして、一般的と言うのか定かではないが、統計があったとしたら大多数の親が子供を褒めて伸ばす教育をしていることだろう。
それが良いのか悪いのかは、褒め方にもよるのだろうけれど、とにかく何でも褒められて育つと、何も出来ていないのに自信だけはたっぷりの困った大人になるものなんじゃないかと、最近思うようになった。
私は真逆の、褒められない育て方によって自信のない大人になった一つの悪い例だ。
何を頑張っても、母は姉しか見ていないし、父は自分の抽象画に夢中だった。テストで100点を取っても、小学校の教諭だった母には「当たり前でしょう?100点取れるように出来てるのよ」と言われた。
毎回そう言われていたので、特に酷く傷ついた、というような記憶は無い。が、少しでも自分を見て欲しいと思っていたのか、中学受験という選択肢を与えられた時、姉は選ばなかった受験の道を迷わず選んだ。
当時はまだ中学受験はメジャーではなく、受験する子は200人中10人もいなかった。当然、成績優秀者ばかりが集まる塾の中で、私は初めて自分がバカなんだと知った。
驚くべき頭脳を持った人間が、普通に自分の目の前にいて、しかも保育園に入る前のママさん保育(保育士が自宅で少人数の赤ちゃんを保育するシステム)で一緒だった男の子が、開成に合格した。
私はと言えば、中の中ですらギリギリ圏内の下だった。おまけに立地と制服で選んだ楽々合格圏内の学校に落ちて、滑り止めで第一希望よりも上の学校を受けて合格したという・・・なんだかよくわからないけど、結果的には第一志望よりも偏差値の高い中学に入れたのだ。が、しかし・・・母は褒めてはくれなかったし、自慢もしてくれなかった。
地元の中学から名高い進学校へ進んでいた姉と比較して「この子は、私立なんだけどね~とんでもない三流で」と笑うのだった。

私立の中学で、私の価値観はざっくりと否定された。
「住む世界が違う」という言葉を肌で実感し、女子だけの異質な雰囲気に完全に飲まれていた。
褒められなかったことで、勉強に対する意欲は無くなり、趣味を掘り下げる毎日だったので中学三年には「あんたの成績はワニだわ。はいつくばって起き上がらない!」と言われた。なかなかの名言。
それから、友達との関係も上手くいかなくなり、何だかわからないけど空回っていた頃、私は生まれて始めての白昼夢を見る。
視界一面に漫画のようなくるんくるんした雲があり、徐々にそれらが左右にはけていくと、そこには私の両手があり、それぞれに光る珠を持っている。片方は「変われる自分」片方は「変われない自分」。
それで何かが解決したかと言うと、何も解決しなかった。その時は。
高校に進学すると、すぐに大学の話になった。
行く気の無かった私に父は志望校を押し付けるので、私は何だか全てがどうでもよくなって、映像とかデザインをやりたかったのに定員割れしている芸術学コースを見つけて、そこへ入った。
えらく遠い学校で、片道2時間15分の通学だった。最初は1人暮らしをさせてくれるとのことだったが、あっさり母に騙された。父はよくわからない苛立ちから、私を蹴飛ばした。
ああ、親ってのは、ただのオッサンとババアなんだな、と判ってしまった18の春、それは起動した。
私の中に長いこと埋もれていた機能・・・「パニック障害」だった。
目の前で過呼吸発作を起こす私を見ても、母はそれを受け入れなかった。
父は「お前が弱いからだ」と怒鳴った。
私という存在に対する親からの完全なる否定だった。
今思えば、よく発狂せずに済んだものだと思う。
たまたま、まだ認知度が低い病気だったために、医者にも「気のせいだよ」と笑われた。
そのときに描いた漫画がある。

毎日、父に「学校へ行け」と叱られ、母からは笑われ、それに何の反応もせずに耐え、夜中に布団を口いっぱいに噛んで泣く、という生活が1ヶ月。
完全に「自分」というものが崩壊していた。それまで蓄積した少しの自信とか、自分らしさとかが、かさぶたのように剥がれていって全身に小さな傷が増えていくような感じだった。
痛いのに、痛いとは言えないから、痛みが何なのかわからなくなっていく。
それと同時に感情も消えていくようだった。
このままでは、飼い猫か自分を殺してしまいそうだったので、手当たり次第に旧友に手紙を書いたが、誰も助けてくれなかった。
更なる絶望を舐め始めた頃に、やっと救いの手が伸びて、私は山形に飛んで行った。
そこで、やっと治療を受け、友人や恋人も出来て少しずつ少しずつ「自分」を再構築していった。
だけどその進みはゾウガメよりも遅くて、自分でもイライラしたし、周りの人にも沢山迷惑をかけた。
再構築中の私は脆くて、ちょっとしたことで、すぐに崩壊した。
3年もの間、両親には「山形で遊んでいる」と言われながら、再構築をするしかなかった。
濃い3年だった。友人や恋人の部屋に居候して、バイトするけど続かなかったり、でも芝居だけは大好きで頑張れたり、恋人が浮気してボロボロになったり、自分も浮気してみたり、漫画で賞を取って賞金でアパート借りたけど、バイト先で発作起こして虐められて辞めて、手のひらの100円玉を見つめて泣いて・・・でも死にたくは無かったから親に電話して懇願して仕送りもらって・・・。
病院に親を連れて行って、医者に説明してもらったこともあるのだが、やっぱり納得出来ない様で、ただ医者の言った「結婚すれば治るかも」って言葉だけ信じて、私の結婚式に「もう治っただろ?」なんて言った。
その頃にはもう、親を「他人」と思うほうが楽だなって考えだった。
初めての結婚は21歳で、妊娠がきっかけだった。
とにかく両親は相手が公務員であることに喜んだ。自分たちと同業だからだ。
「公務員」の全てが「いい人」という考えは、してはいけない。
彼の結婚時の約束は「好きなことをしていればいい、仕事もしなくていい」だったのだが、二人目の子供が歩き出す頃には「お前、働くよな?」と言われた。
気付けば、その頃はもう彼に命令しかされなくなっていた。
運転免許を取って、パートで働き、命令され怒られながら家事と育児をして、それをやることを条件に芝居を続けていた。
思いのほか芝居は順調で、面白い企画がいろいろ私の前にやってきていた。
それが、彼は気に入らなかったようで。
キレるようになった。
物を乱暴に扱い、ドアを乱暴に開閉し、でも、何も言わない。ただ、子供たちを叱る。まだ幼い子にガミガミ怒る。立たせたまま怒る。それが2~3時間も続くので子供たちは立ったまま寝てしまうほどだった。
私は何も言えなかった。止める事も出来なかった。
だから、そうなると必ず実家に逃げた。
でも、両親は私の話を信じなくて、5日もすると彼が迎えにきて「二度としない」と泣くのだ。
そんなことが1年の間に3回あって、私は離婚を決意した。
しかし、両親は助けてくれなかった。
子供たちと実家に住みたいと言うと、母は「お父さんが許さない」と言った。
子供たちを連れ去られ、調停になった時には母が「お父さんに土下座すれば弁護士雇ってくれるわよ」と楽しげに言った。
私は絶望した。
二度目の否定だった。

結局、子供たちを取り戻せなかった。
私には持病があり、被害妄想だと調停人は決め付けた。おまけに収入も不安定では公務員の彼に勝てはしない。調停には、偏見がある。義理人情は無い。
そして、運悪くその頃はまだ「モラルハラスメント」という言葉も無く「母親は親権を持つべき」という考えも強くは無かった。
パニック障害になった時と同じだ。
私の人生は世間を先取りしすぎなのだ。
パニック障害もモラルハラスメントも、もっと世に出回っている言葉だったなら、人生はきっと違っていた!

だけど、仕方無い。

そう思えるまでに何年もかかった。
パニック障害は再発して私を苦しめた。
実家に引きこもったりもしたが、両親の酷い言葉をやり過ごすのに疲れてしまい、東京の姉の家に居候した。
けど、やっぱりそこも私の居場所では無かった。
母が姉に家と店を買うと言い出した。私は東京の家をもらえると思った。
東京の家は父が買ったもので、姉は管理人として住んでいたからだ。
しかし、東京の家を売って姉に新しい家を買うと知ったとき、必死で前向きに考えて自立しようとしたのだが、不安で出来なかった。
あせって再婚した。
でも、失敗だった。
その人のことは好きだったけれども、さすがに子供を産んですぐに引きこもられたら、たまらない。
出産後まだ数日なのに性行為を求められても無理だし、何度説明しても、下着に手を入れられたら怒り狂うのは当然だと思う。
けれど、その人は「俺を否定した」と言うのだ。
さすがに性行為を求められたことなど言えるはずも無く、私はその人の家族に酷い人間扱いされた。
未満児をかかえて、それでも出来る限りのことをした。
引きこもりを家から出して、生活環境を変えてみたり、職安に行ったり、ドライブしてみたり。
その人の家族は、全くもってノータッチだった。
病院に連れて行きたいと言っても協力してくれなかった。
離婚すると言ったときも、その人の母親は「私はどうしたらいいの?」と泣いた。
バカなんだろうな、と思ってしまった。
こういう状況の場合、一番かわいそうなのはまだ喋れもしない子供なのに。
父親が引きこもりだって知ったら、どうなるんだろう。

2度目の離婚は前代未聞の引きこもりとの離婚。
離婚届も書いてもらえないので、調停を申し立て。
調停人も「初めてのことなので・・・今日で終わりにしましょう」と戸惑っていた。
驚いたのは、この調停の前日にその人の両親が来て「どうにかならないか」と言ったのだそうだ。
その「どうにか」の意味が全くわからないんだけど。
相手方が来ないので、調停は不成立。
仕方がなく、裁判へ。
土下座して父にお金を頂いて弁護士を雇った。
ここでもまた「前例が無い」と言われ、裁判所でも「前例が無い」と言われ・・・またか~、と思った。

どうしてこうも時代の先を行ってしまうのか!!

しかも、変な方向で!!

なんて思ったけども・・・。

離婚とは、どういった経緯があっても、お互いの否定だ。
否定されてばかりの人生だな。

さすがにシングルマザーになってしまうと、強くなる。
もちろん、我慢しすぎて胃が傷だらけになって、10時間くらい吐き続けて、なんだか深緑の変なものを吐着続けた事がある。その時も両親は非協力的で「病院に連れて行って」と母に言ったら「夜中なので運転できない」と真顔で言われ、父が救急車を呼んでくれた。
病院に着いて、また吐いて、看護師さんがくれた薬がガスター10だったのを覚えてる。そして気付いたら点滴されてた。
検査入院することになり、母が手続きに病院へ来たときは、運転できるじゃん!!って心の中で思いっきり突っ込んだ。
病室が埋まっているとのことで、ICUにお泊り。
初の経験に、ちょっとウキウキしてしまった。あ、これ、ネタになるなって。
看護師さんが優しくて、退屈だろうからってテレビもって来てくれたり、トイレも連れて行ってくれたり。
久しぶりに優しくされたな~って思った。

その後も過呼吸発作で血の混じったタンとか吐いたけど、誰も心配してくれなかった。
私が過呼吸発作をおこすと、家族全員で無視するので、外に出るようにしていた。
辛かった。

こういう否定もあるんだなって、怖かった。

まだまだ私は否定される運命なんだと思う。
だからもう、自分が自分を肯定するしかない。
それでも、見誤らないように自分を客観視していたい。
だから私は、自信がないように見えるのだと思うけど、本当は自信がある。

だって、こんなに否定されて、でも生きてるんだよ。
結局、実家も追い出されて、子供と二人暮らしだけど、仕事して自己管理して、医者にも行かずに暮らしてんだよ。
やれば出来るじゃん!って自分を褒めてるよ。
でも、無理すんなよって自分を甘やかしてるよ、たまにね。

時々は他人を見下したりしてるよ。生意気に。
ああ、こういう人にはなりたくないな、なんて。

「自分」って何だろう。
今でもわかんないよ。
「私」はどういう人間なんだろう。
知らないよ。

とにかく、毎日一生懸命すぎて、疲れちゃったよ。
純粋に「嫌だな」って思うことは避けてみる。
疲れたら、休む。
頑張れそうなら、頑張ってみる。

ごく当たり前のことを、当たり前に出来なくなる苦しさを知っているから、今、とても幸せだ。
上の子供たちには会えないでいるけど、でも、幸せだ。

仕事で、否定されちゃって少し傷ついたけど、もう何とも無い。

難しいことを考えようとしたら、過去の記憶の整理になっちゃって、ちょっと思い出してしまって脳が揺れてる。
それだけ、辛かったんだね。
客観的に思い出してみたのに、やっぱり辛いんだなぁ~。
ごめんね、私。

もう寝ようか。
「ご自愛」しましょう。

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やっと自宅にネット環境が出来た。
しかし、公営住宅のため、ヒカリがNGで・・・
めっちゃ遅いんだけど・・・無いよりマシだねってことで。

こうしてブログの更新も出来るようになったし・・・。

そのうち小説とかUPしていきたい(ここではないどこかで)
とか
思ってみたり。


先日・・・元夫1号の超意地悪な母親が、ガンで余命いくばくもないことを知ったのだが・・・

全く、かわいそうとか思わなかった。

むしろ、恨みつらみを全て言ってやりたくて
でも、それは出来ないので
出来ないってことが
ものすっごく
悔しくて涙が出た。

私のこの10年の・・・いや、嫁に入ったときからだから・・・
16年の苦しみを、痛みを、怒りを
知らぬままに死んでいくなんて
ずるい・・・

と、思ってしまった。

そんな自分に驚いた。

こんなにも黒いのに
なんて純粋な想いなのかと・・・

残り少ない余命を
思う存分苦しんでもらいたい。
そして
一つだけお礼をしなければならない。

子供たちの世話をしてくれて、ありがとう。

それだけ。


とにかく、意地悪だった。
初めて会った時も
「病気のこと聞いてたけど、普通ね」
という一言。
方言のわからない私を笑っては
「都会の人にはわからんよ」
と、冷たく言い放ち
芝居で忙しい私に
「お前ばかり遊んでないで、オラの息子も遊ばせろよ」
と何度となく言われて
元夫と勝手に土地を買い家を建てることを決め
私が実家に帰ると
わざわざ実家に電話して
「canがお世話になります」
と私の母に言って、母を泣かせ
離婚の際には
話し合いをしようと電話した父に
「あなたには関係の無いことです」
と電話を切ってしまった。

・・・まあ、言い出したらきりがない。

もちろん私も若かったので
それなりに反抗的だったと思う。

元夫の兄嫁も出て行ったと聞いて
大きく頷いたもんだ。

鬼が1人消えるのなら
子供たちの近所に住んでもいいなって
思ってしまったほどだ。


ま、そういうわけで
こんなしょーも無いことを書いて

寝る時間が減っちゃうのね・・・。

恐るべし・・・ネット環境・・・。

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