とにかく文句を言い散らかしてプライドを保っている人間を
「ダークサイド」と呼ぶことにしよう。
おそらく、日本人の6~7割、世界の4割くらいはダークサイドだ。
だからこそ「毒舌」がメディアに横行する。
他人の不幸は蜜の味、とも言うくらいなので
ダークサイドは人間の本性の一つなのだろう。
どう飼いならすかで、その人自身がダークサイドになるかが決まる。
私の母は完全なるダークサイドの人間だ。
日々、文句を言い散らかしている。
それでいて、自覚が全く無いのが漆黒のダークサイド。
母と同じような漆黒のダークサイドが職場にも数名いて
時々、その引力に引っ張られる。
おそらく、漆黒の正体はブラックホールなのだ。
魅力があるとか、そういうわけではないのに引っ張られる。
自分も他人を批判したくなり、些細な事に文句を言いたくなり
それを誰彼かまわず言いたくなり、挙句の果てには
私は何も悪くない!とまで言いたくなる。
上司の前でだけ、優秀な仕事ぶりを見せ
それ以外の場所では、凶暴な顔で凶器のような言葉を吐く。
悩んでいる人間を否定してみたり、聞いてるそぶりでスルーしたり
その日の気分で当たり散らしてみたり
仕事の出来ない人を大勢の前で馬鹿にしたり
とにかく、自由で楽しそうに見えてしまうのだ。
だけど、どれもこれも、誰かを傷つける行為であり、恥ずかしい行為。
だから、引っ張られたくない。
いつも、そう思っているのに、時々自らの社交性を呪いたくなる。
上司が漆黒のダークサイドで、その凶器の言葉に賛同せねばならん時・・・
私の社交性が瞬時に賛同してしまうのだ。
上司でなくとも、同僚にも、私の協調性が瞬時に働いてしまう。
賛同して笑いながら、ああ、指先から黒くなっていく・・・と思う。
「穏便に済ませよう」「足並みをそろえよう」「出る杭は打とう」
日本人的な発想は、義務教育で身についてしまっている。
ダークサイドにすら足並みをそろえてしまうことが「社会性」と言われるから
汚職も貧富の差もなくならないし、毒舌が消えない。
世界の中心には漆黒のダークサイドが龍の巣の如く渦を巻いている。
しーた!ぱずー!!ばるす!!目がぁ~!!
あ、脱線した。
母が漆黒のダークサイドゆえに、私も毒舌は得意だ。
ただ、後味がひどく悪い。
毒舌が絶好調になればなるほど、傷つけていく感覚がある。
全てを否定せずに、何かを語ることは出来ないのだが
努力している人間を傷つけることは、したくない。
ダークサイドから見たら、こんな意見は「偽善」と笑うだろう。
それでも私は、出来る事ならダークサイドになりたくない。
自分だけ楽しければよくて他人を傷つけてまわるよりも
偽善者であるほうが、ずっとマシだ。
ちなみに「社会的弱者」と言われる立場の私から
同じような「社会的弱者」にもダークサイドがいることを
この場でハッキリしておきたい。
「障害者だから」と身勝手を当然とする人たちや
病気ではない引きこもりで生活保護を貰う人たちは
一生、ブラックホールから出られないだろうから
私に関わらないでほしい。
私利私欲に走って楽しく過ごすよりも
偽善者として心から笑える日々を望んでいるはずなのだが・・・
何故か、心の一部がグラグラしている。
閉じ込めたダークサイドが、暴れているようだ。
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