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★×2ワーキングシンマザwith PD ★SoWhat!? 今日も元気にC'est ma vie~☆

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今日の「逢わせ屋」という番組では、両親が離婚して、別々の施設に預けられた兄妹が再会しました。実に20数年ぶりで。おまけに、死んだと思っていた父親も生きていて、再会を果たしました。

もう、みんな感涙の嵐!
番組的には大成功!

だけど、どうしてこの親子は再会がこんなにも遅くなったのでしょう?
お兄さんも妹も、施設の人にはあっ早稲手もらうことが出来なかったのです。

それは何故か?

番組では一切その部分に触れませんでした。
子供たちが施設に預けられる前に、両親は離婚しています。
母親と共に暮らしていた兄妹ですが、母親はアルコール依存症となり、兄妹は別々の施設に預けられました。
このとき、なぜ父親が引き取らなかったのか・・・。

引き取れないのです。

日本の法律では、親権者が子供たちを育てられなくなった場合、親権者の親族に親権が渡ります。
血のつながった親であっても、非親権者は、その権利を有しません。
名乗り出たとしても、親権者の許可が無い限り、許されないのです。

こんなことが、おこりえる、法律なんです。

子供たちには、離れて暮らす親と会う権利があります。
これは、国際条約で決められた権利で、日本もその条約にサインをしていますが
今まで、この条約にのっとった処置を、日本がしたことはありません。

離婚調停をした時よりも、面接交渉の調停でのほうが、子供たちの権利を考えたやり方をしてくれました。
少しずつ、問題として浮上しているようですが、昔ながらの鎖国的精神が残っているのが日本です。
「子供の権利条約」は、これから必ず真剣に取り組まなくてはならない問題となるでしょう。

こんな時代に、親権を失ってしまったことを、悲しく思います。

どんな手段でも、親権を手にしたものが有利になってしまう。
非親権者には何の権利も無い。

こんな法律は、改正してもらいたい。

子供たちのために。

アメリカでは、子供と離れて暮らす親が、子供たちとの面接を拒否することが、違法行為となります。
州によって違うでしょうけれど、どの州も子供たちを優先に法律を作っています。

これだから、私は海外に住みたくなるのです・・・。
PDも差別されないし。。。アメリカに住みたいな・・・。

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話せば長くなる。・・・話せば長くなる。・・・つまり、書いても長い。

あれは・・・1994年のGW直前でした・・・。
当時18歳の私は埼玉の南端から神奈川の北西あたりの某美術短大に通っていました。
東京を横断する、片道2時間30分。
入学前には、アパートに一人暮らしっていう話だったのだが
あっさりと嘘を付く母に、あっさりと嘘を付かれたのであった。
登下校だけで、かなり疲れる日々。
環境が変わった事や、中高一貫教育の三流私立女子高を卒業間近に、友人一同と縁が切れ
・・・そのショックもあるし、母に嘘を付かれたし、父にもコタツの中で蹴られるっていう、変な連動があって
精神的にクタクタだったのかもしれない。

私自身は、気まぐれに選んだ芸術学という分野が、以外にも楽しそうで
今後どのようにカリキュラムを組んで、将来に繋げようかと、ワクワクしていた。

そんなある日の下校中に、突然吐き気に襲われた。
ヤバイと思って、電車から飛び降りたのは、中高6年間通い続けた馴染みの駅だった。
あまり、吐くことが無い・・・いや、むしろそれまで吐いたのなんて2回くらいしかなくて、吐くに吐けない。
冷や汗がダラダラ出て、手足が痺れてしまった。
ホームのベンチとトイレを往復しながら、どんどん手足が動かなくなってゆく。
これは、まずい。助けを求めなければ・・・しかし、駅は小さい・・・。
咄嗟に思いついたのが、駅から歩いていける、中高時代の友人の家。
改札を出て、ヨロヨロ歩いて、玄関前にたどり着きドアフォンを鳴らした。
快く助けてくれて、泊まらせてくれた。

翌日、普通に電車に乗って自宅へと帰った。
その日から、GWだったのだが、レポート作成のために2つほど美術展に行かなくてはならず
母と共に出かけた。
また具合が悪くなるのではないかと、ヒヤヒヤだった。
GWが開けて、登校・・・。
短大の最寄り駅まで、あと3つってところで、急に息苦しくなって、電車を降りた。
冷や汗と動悸と息苦しさ。
今度は大きな駅だったので、駅員を捕まえて、休ませて欲しいと頼んだ。
駅員に連れられて救護室に入った。
学校の保健室のようなベッドが3台置かれていた。
他にも寝ている人がいて、苦しそうな息や、咳が聞こえた。
横になって、眠れないまま、1時間が過ぎた。
私以外の人は、みんな出て行った。
救護室の隣は、駅員の休憩室だったようで、隣の部屋から話し声が聞こえていた。
その声の一つがぶっきらぼうに言った。
「救護室、まだいるの?」
鼻で笑うような言い方で、とても嫌だった。
私はふらつきながら起き上がり、外へと出た。
近くにいた駅員が「だいじょうぶ?」と声をかけて来た。顔色が悪かったらしい。
私は「大丈夫です」と、その駅員を見ずに言って、その場を離れた。
一生懸命頭を働かせて、母に電話することを思いついた。
車で迎えに来てもらおう。
母に電話すると、急に涙が出た。
オイオイ泣きながら迎えに来てと言う私に、母は若干あきれて、でも来てくれた。

母が来るまでの約2時間は地獄のようだった。
ホーム上のベンチに移動して、泣きじゃくる私を、誰もが笑って指をさした。
キヨスクのオバチャンも、学生も、リーマンも。
一人だけ、当時は巨大だった携帯電話とジャンプを持ったリーマンが「大丈夫?」と声をかけてくれた。
しゃくり上げていたので、しゃべるのは一苦労だったが「母が来るので大丈夫」と、どうにか伝えると、私の視界から消えてしまった。
泣きすぎて、まぶたが腫れて、視界が非常に狭かったのだ。

やっとたどり着いた母は、私の様子を見て、すっかり仰天した。
いわゆる、過呼吸発作を起こしていたのだが、体内の酸素濃度が上がっている状態で
手も足も自由にならなかった。毛細血管に血が行かなくなるとか、関節が軋む、とか、そんな感じ。
さんざん白い目で見られて、他人の視線が気になってしょうがなかった。
他人の白い目が、笑い声が、怖くてたまらなかった。

しばらくして、呼吸が楽になり、母と電車に乗って東京駅へと行った。
そこで美味しいランチを食べて、にこやかに帰宅した。
まるで、何も無かったかのように。

これが、私と過呼吸の長い付き合いの始まりだった。
この経験が無かったら、きっと、悲しい出来事は多くなかったに違いない。

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どんな集団にも、内輪ネタってありますね。

例えば小学生の頃
私のクラスでだけ、あだ名の最後は必ず「ぴ」だった。

中学生の頃、友人たちと同人誌を作っていたのだが
友人の一人が書いたネームの一コマには台詞が無くて
振り返る様子の擬音「くるっ」
怒っている描写の「ガー」だけだった。
というのが、妙にみんな気に入って
なにかっつーと「くるガー」と言っていた。

全く違う集団で、それを使ったら、おかしい。

「くるガー」って何?

当時の仲間だったら、ああ、怒ってるのねってわかる。

とある劇団にいた頃は
毎日が内輪ネタだった。

劇団、というより芸人集団のような。

たとえば、ある日
Y氏が憧れの美女の乳を揉んだと自慢する。
その日から、会話の途中でY氏に
「で、Y氏、○○嬢の乳はどんなだった?」とふる。
それまでの会話の内容とは何も関係無いので、Y氏は気が休まらない。
「お、おう!こうだ!」
と、左右から持ち上げる仕草をする。
それが、延々と繰り返される。

たとえば、ある日
稽古中にかんでしまったS氏
「サンチュ!」
それが、みんな気に入って、標準語になった。

たとえば、ある日
たぶんS氏が「それはツトに有名だからな!」と言った時
絶妙のタイミングでH氏が「ツトにな!」と答えた。
その日から、みんなが会話の中に無理やり「ツトに」を入れるようになり
誰もが絶妙のタイミングで「ツトにな!」と返さなくてはならない
バトルロワイヤルになった。

まぁ、そんな頃もあった。

月日が流れ、劇団の仲間はチリヂリになり
また、新たな出会いがあって
コント集団を作った。

その中では
巧みな東北弁の発音を要求される
「キムチ」が流行った。
さらに、将来の映画監督 I 氏の考案した、やはり巧みな東北弁の発音
「ピンクとキイロのジャンボジェットキ」などもあったが
私は、どれも東北人を納得させられなかった。

東北人の方は、その発音を自慢すべきだと思う。
他地方人には、無理だもの。

その、コント集団を一緒に運営していたのが、現在の亭主ですが
フリーターして芝居してっていう生活を捨てて
サービスドライバーになり
コントがしたくてたまらん日々のよう。

どうでもいいことで、ボケたがる。
しかし、仕事で疲れているので非常にダメなボケしか出ない。

どうしようかなって思ったのは
洗濯したズボンのポケットから、私の靴下が出てきた時に
「・・・わぁ・・・変わった小銭入れだなぁ~」と・・・。

「入れねーよ。そんなとこに小銭は入れない」
って、言っといたけど・・・よかったのかなぁ?
あまりの棒読みに笑ってしまったけども。

いつか、また、コントしたいなぁ。

舞台ではね、内輪ネタはやらないです。当たり前だけど。
お客さんにわからないネタほど、無意味なもの、嫌なものって無いからね。
芝居のテーマなら、わからなくてもいいんだろうけど。

芝居もしたいなぁ・・・。

もう全身タイツには頼らないぞっ。

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NEC_0064.jpg200707211302000.jpg←これ、我が家のバカ猫。

左のは生後1ヶ月くらいの頃で・・・うたたねしてるんです。座ったままで。カックン、カクンと大きな頭をぐらつかせて、船をこいでる。・・・ああ、この子、バカだなぁ~って思いました。


そして、生後4ヶ月の最近では、小さな箱に無理やり入って寝ています。電子レンジの上で。
しかも、その箱は・・・米沢牛が入っていた箱。

自分の尻尾にじゃれついて、必死に噛み付き、グルグルいってる。

ウンコしたあと、後ろ足でウンコ踏んじゃう。

尻尾を踏まれても、気づかない。

本棚に飛び乗ったハズが、後ろ足が乗り切らなくて、落ちる。

隙間に入っていって、出られなくなり泣き叫ぶ。

野良猫がいても無反応。

美味しいごはんの時は、ニャウニャウ言いながら食べる。

私の携帯の充電機のコードを食いちぎった。

私のヘッドフォン(高い方)のコードを食いちぎった。

私のヘアゴムを次々に食ってしまう。

物がたくさん乗っているチェストの上にも乗ってしまう。

それで、物を落としてビックリしてる。え?なんで?ってカオをする。

寝ている人の股間に顔をうずめたがる。変態。

ダンボールにあるガムテープを剥がした跡の匂いをかいで、口を開けて変な顔をする。

なにもしていないのに、私の手に噛み付く。本気で。

おかげで、私は手に出血が絶えない。

頻繁にバカ猫を洗う。

・・・・・・こんなバカだとは、思わなかったヨ・・・。

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私たち、思考能力が未熟すぎると思いませんか?お互いに苦しい状況であるのに、その苦しみを相手が与えたと言い張って、どうにかして相手をギャフンと言わせようとしている。こんなことで、子供たちに何を教えてあげられるのでしょう?反面教師にしか成り得ません。子供たちはすでに父親に対して、あまり良い感情を持っていません。私に対しても、多少はネガティブに捉えている部分があるでしょう。そうさせているのは、私たち二人です。あなただけでも、私だけでもない、二人なのです。そして、肝心なのは、私たち二人は、二人だったからこそ子供たちを得ることが出来たのです。その事実をまっすぐに受け入れて、お互いに感謝する気持ちを持ってみてはいかがでしょうか?私は、あなたが居なければ子供たちを産み育てることが出来ませんでした。あなたは、私がいなければ、子供たちをえることが出来ませんでした。それは、紛れも無い事実です。奇麗事でも何でもない、ごく当たり前の事実です。ただ、自分のプライドや傷や苦しみを正当化するために、お互いに傷つけあうのは、幼稚すぎやしませんか?調停と言う場を借りなくとも、話し合いの出来る関係になりたいです。・・・すぐに、とは行きません。私の脳は、あなたを恐怖の対象としてインプットしていて、それを上書きする方法を、私はまだ見つけていないのです。電車は10年かかりました。ほんの数ヶ月で上書きできることもあります。その部分に関しては、どうかご理解いただきたく、お願い申し上げます。申し訳ない。あなたが、何をクリアしなくてはならないのか、私にはわかりません。いいえ、わかっていても、言えません。本当の理解は自分自身で見つけてこそ得られるものであり、聞いても身には付かないのですから。・・・これまでの経験から、おそらくあなたは私からの提案という事自体が受け入れられないでしょう。内容はどんなものであっても。ですから、この手紙は、送りません。けれども、私は決めました。自分の幼稚さと至らなさを受け入れ、あなたに対して「子供を産ませてくれてありがとう、育ててくれてありがとう」という感謝の気持ちを持ち続けようと。苦痛も寂しさも、自分の成した事として、受け入れようと思います。いつの日か、あなた私の願いが伝わって、あなた自身も何かに気づいてくださいますよう、願い、また、あなたならきっと切り抜けられると信じて、見守っていこうと思います。

ただ、一つだけ。

子供たちに対する暴力は、足にしろ言葉にしろ態度にしろ、その度合いに関係なく、子供たちの口から「嫌だ」「困る」という発言があった場合は、躊躇なく行動に移りますので、ご了承ください。

あなたと子供たちの日常生活には、私は否応なく信頼を寄せなければなりません。あなたにも、私と子供たちとの親子関係については、信頼していただきたいです。・・・というのは、無理でしょうか・・・?

よくわからないけれど、胸が苦しいですが、これが正しいのだということは、わかります。自分の至らない部分を受け入れることで、少しは、未来が開けるような気がします。逆に、こうしなければ、私は新しい命の出産を迎えられないでしょう。・・・受け入れることは、難儀ですが・・・方法は、見つけたような気がします。

I love your smile. for all my dear.

「my dear」 って言える人がいるだけで、幸せなのかもしれない。

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ああ・・・もうコレはね、最近なので結果が出てないのですが、書きます。

前回の面接交渉で2ヶ月に1回程度、という取り決めだったのですが「程度」が痛かった。
必ず私から「面会のお願い」をしないと、面会日の調整はしてくれません。私からのメールを見るだけで一日不機嫌になる、と前回の調停で言っていたらしいので、まあ、仕方ないです。
去年から「少年団があるから」と延期になることが多く、何故か日曜日でなければダメだと言う。ならば、と、平日の夕方などに小一時間でも!場所もどこでもいいんで!と提案すると「子供たちの生活圏に入ってこないでください」と丁寧に拒否られた。「じゃあ、少年団の応援に行ってもいいですか?」と提案するとやはり「子供たちの生活圏に入ってこないでください」と・・・。明確な理由は無い。
そんな提案をしてみたものの、面会日は前回から5ヶ月経って実行された。(調停があったので、仕方ない。調停終了日から約3ヵ月後だった)
子供たちとはいつもショッピングモールや駅ビルなどで会うので、どうしてもスキンシップが出来なかった。加えて、私には、夢があった。子供たちと、ご飯を作って食べたい!!単純だけど、未経験なのだ。
延長が許可されて、5時間。家に着くと、子供たちは大いに喜んだ。私の物をアレコレ触って、質問して満足げ。長女は得意げに洗い物をして見せてくれた。初めて娘と台所に立った!!ヨロコビもつかの間、長男が元夫に電話をかけた。すると、怒りのメールが・・・。「なんてことをするんだ!家に連れて行くなんて!子供たちには、あなたの家庭も夫も関係ない」思わず泣いてしまった。
子供たちには正直に話した。離婚のことも全く説明されていなくて、娘は「また4人で暮らしたい」と言ったが、それは出来ない、とハッキリ伝え、抱きしめた。たくさん泣かせてあげた。「我慢しないで泣いていいんだよ」と言うと激しくしゃくり上げて泣いた。息子は「またみんなで暮らしても、どうせまたお父ちゃんかお母ちゃんが家出するもん」と言った。どうやら私は家出したことになっているらしい。そして「何か困ってることはある?」と聞くと、息子は「お父ちゃんは怒る時に蹴るから嫌だ。お母ちゃんと暮らしたいよ」と泣いた。抱きしめて、泣かせてあげた。「そんなに強く蹴るんじゃないんでしょう?でも、蹴られると心が痛いね?」と問いかけると、泣きじゃくってしがみついてきた。体に付くアザよりも、心の傷は、ずっと痛い。
わんわん泣いて、スッキリして戻ると、元夫は非常に不機嫌だった。子供たちと私は、離婚後はじめて笑顔で別れた。またね、と言い合って。

翌日、どうしても息子の言葉が気になって、電話相談をしてみることにした。電話帳の相談ページの最初にある「法務局」へとダイヤルした。女性の方に、全てを話して、子供たちが心配であると伝えた。「う~ん。アザとかは無いんですよね?でも。そういうことがあったという事実を明確にしておく意味でも、調停をおすすめします。何度も繰り返して行くしか無いですね・・・」と言われた。そこで、早速、裁判所に向かった。
裁判所でも受付の人に全て話して、申し立ての手続きをした。

実は私は、去年の健康診断で「子宮ガンの疑い」という結果が出て、精密検査をしたところ、変異細胞が数箇所に見つかり、以後検査を繰り返しているが、「Ⅲa」という結果に留まっている。この結果は「悪性を少し疑う」つまり、ガンを少し疑う、というもので、これがⅢbになると、50%ガンなのである。きわどい。
ガンになれば、31歳は進行が早いだろう・・・子宮を失うかもしれない・・・そんな不安と、現在の夫(通称ダー)が職場でパワハラを受けてウツになり、死にたいと連呼するので、子供を作ったのでした。
それが、成功していると知ったのは、上記の面会の直前でした。・・・子供たちには言えず・・・。

別に悪いことでも無いし、兄弟が増えるんだよ~って言って、一緒に喜べる親子関係にあると思うので(いや。娘はちょっと微妙な年頃かも)後ろめたくは無いのですが・・・。

なんと、2回目となった面接交渉で、調停人から激しく怒られてしまったのでした。
何も、言う前でした。椅子に座って、すぐに。調停人の女性が口を開きました。「調停は初めてじゃないから、どういうものかは、わかってますよね?・・・どうして、こんなことするんですか?」
え?って私、マヌケな顔をしたと思います。
「前回の調停から、それほど期間が空いてないのに、こんなことをして親権者がどう思うか、考えなかったんですか?ちゃんと、お子さんとは、会えたんですよね?何が不満なんですか?」
私はビックリして、フリーズしちゃいました。調停人の言葉は止まりません。どうにかこうにか、子供たちが言っていたこと(申立書に書いたんだけど)を話すも遮られ「あなたが言わせたのね」と言われ「あなたは再婚しているんでしょう?」と聞かれて、妊娠のことを話すのも遮って「妊娠してるの!?そんな、あなた、お子さんたちは会えないことよりもあなたの妊娠に傷つきますよ!?」と激しい調子で言われました。
あんまりにもショックで、呆然としながらも事情を説明して、いろいろ提案したのも説得も聞いてもらえなかったのだと言うと「そんなこと、あなたがしちゃあ、ダメよ!!説得なんかしちゃいけません!面接交渉もやめなさい!」と、これも凄い勢いで言われ・・・「じゃあ、どうしろと言うんですか?」と聞いた私の言葉を遮り「待つしかないの!!」と断言。「子供たちは会いたがっているんですよ?蹴られているんですよ?」この言葉も途中で遮り「あなたも!お子さんも!耐えるしかないの!!」と・・・。
元夫が「子供たちが面会の後、ひどく泣く。学校に行きたくないと言う。母親が泣くからだ。辞めて欲しい」と言ったそうだ。子供が泣くのは、当たり前です。どういう狙いかは何となくわかります。それを理由に面会を断るつもりなのでしょう・・・。
結局、この日私は全く事情を最後まで説明できないまま、全てを否定されたのでした。あまりのことに、発作を起こしました。
またもや、医務室です。医務室のおばさんが、いろいろ話を聞いてくれて「とにかく早く人生が終わるといいなって思ってしまう」と本音をもらすと、カウンセリングをすすめられました。アハハ。
だいぶ待たされて、医務室にやってきた調停人は「いちよう相手方を説得はしましたけどね・・・また次回ということで・・」と、次回が2ヵ月後でした。(ゆえに、まだです)

あんまりだ、と思って弁護士に相談に行きました。5000円払って、遅刻してきた弁護士に「成すすべ無し」と言われ、申し立てを取り下げるように言われました。やはり、アザなどの証拠が無いと暴力とは認められず、それでも親権を取り戻す裁判をしたいなら、失敗して二度と子供に会えなくなる可能性があることを覚悟して。と言われて・・・泣きまくる私に「つらいですよねー」を連呼して、挙句に「納得いかないなら別な弁護士に相談したらいかがですか?」などと言われた。5000円、返して欲しいと思った。
そのまま帰るのがシャクだったので、裁判所に行って、調停人に言われたことを告げて、調停人を変更して欲しいと頼んでみた。事務の人は、迷惑そうに「前回の調停からあまり期間が過ぎてないし、会えてるんだから」などと、ちと的外れな説明をする。そうかと思うと「あなたが、そう受け取ったのでしょう?」などと笑い。私は相談をしてから来たんです、と言うと「ああ、離婚経験者とかに?」なんてバカにしたように言った。が、私が「法務局です!」と言うと、やっべ~!ってカオになった。人間って、変な生き物ですね。

そんな中でも面会のお願いをしたのだが、案の定延期され・・・未だ未定。
お盆も休みが無いそうなので、月末か来月になってしまう。前回の面会日が5月末だった・・・。

おそらく・・・
期間をおかずに申し立てる、というのが、ルール違反なんでしょうね。私は知らなかったし、法務局も受付時も何も言われなかった(むしろ勧められた)のだが。いろんな世界に、独自のルールとタブーってありますよね。その世界に居なきゃわかりっこない、タブーってのが。・・・それ、踏んじゃったのかな。

だけども、実際には未だに面会はスムーズではないし、手紙も葉書にしたけど一度も返事が来ないし、面会日に葉書を渡したら、すごい喜んでいて「今までに届いたでしょ?」て聞いたら、娘はちょっと戸惑って「ああ、うん、うん、届いてるよ!」と言った。・・・・ああ、届いてないな~って思った。

全ては私の被害妄想だと、調停人も事務の男性も、言いたいのだろう。たちの悪いクレーマーだと。
しかし、本当に子供たちが蹴飛ばされて怯えて暮らしているとしたら?手遅れになったら、どうしてくれんの?
・・・・知らんぷりされて、おしまいなのだろうな、と思う。公的機関は得意でしょう。

私は、私の離婚が、公的機関に頼らなければ成立しなかったことを、恥に思う。
未だに恐怖が根付いていて元夫を直視出来ない自分を、情けなく思う。
子供たちの願いを叶えられないことを、悔しく思う。

自業自得、ですか?

かもしれません。
現状を受け入れることは、試みていますが、なんかこう人間を超越した何かにならなければ、到達できないような気がします。蓮の花の上に片足で立つようなものです。美しく奇跡的だが、人間業ではない。
欲を満たしながら、平々凡々と元夫の家族が生活しているのに対し、私と私の家族とダーは・・・って思うとやりきれないです。自分だけの苦しみでは無いんです。もう、すでに。

調停人に妊娠のことを言われてから、罪悪感が根付き、お腹が大きくなることが耐えられなくなり、食欲が減りました。頑張って食べていますが・・・食べないほうが楽です。・・・私は、こんな状態になって、当然の人間なのだろうか、と考えてしまいます。全ては自業自得か?否、運が悪かったということか?否、元夫が悪いのか?否・・・・答えは・・・闇の中・・・。

幸せになれる日が、来るとは思えない。

むしろ、ガンに侵されてあっというまに死にそうな気がする。夢はかなわぬまま。



私の夢?


子供たちと、一緒に眠り、共に起きる事です。

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離婚してからの私は、よくあるケースを経験していきました。
まず、極度のウツ状態。次に、ワーカホリック。そして、異性交遊。離婚から2年半後・・・ついに、病気が悪化しパニック障害と判明。(発病から11年経っていた!)歩くことも辛くなり、辞職して実家へ引越し・・・アリトル、ひきこもり。8ヶ月ほどで実家に居辛くなり、東京の姉のもとへ。居候しながら芝居して、ガッカリして、猛烈に仕事して。このまま死にたい、いや、死のうって考えていた。・・・そんな時、元彼から電話が入り、なんと結婚することに。ふたたび子供たちの住む近くの山奥に、引っ越したのでした。

そうして、仕事を辞めて、ほっとしてみると・・・どうしても子供たちのことばかり考えてしまう。
離婚から何度もネットで検索したけど、やっぱり年3回は少ないじゃないか・・・。裁判官の嘘つき・・・。そう思って、二度と裁判所には行かないって決めていた。
しかし・・・・毎日のように夢を見て(それは離婚後ずっとだけど)忘れる一瞬も無いまま、また夜が来る。
耐えられないんです・・・。自分勝手ですけど、かなり限界で。しかも、なんだかんだと理由が増えて、面会日がどんどん延期されて・・・なんと7ヶ月も会えなかった!年3回なのに!
やっと会えたけれど、子供たちの表情は暗く、父親に不満がある様子。危機感を感じて、弁護士相談に駆け込んだ。それが、今年のアタマ。
弁護士さんは、年に3回と聞いて、何度も聞きなおして、首をかしげた。「おかしいね~。それは少なすぎる。月に1回が普通ですよ。悩んでないで明日にでも裁判所に行きなさい」とアドバイスされて、翌日、裁判所に行きました。面接交渉、という調停です。(この手続きで、初めて子供たちの住所を知りました)

日本の法律では、親権者を守る法律はあっても、非親権者を同等に扱う法律はありません。非親権者は、親でありながら何の権利も、持ちません。面接交渉は、子供たちのための交渉です。面接そのものが、子供の権利なのです。親権者にも、その権利を阻むことは出来ませんが、子供たちが自分たちの権利であることを主張する場もなければ、子供たちが何を望んでいるか調停で必ず聞いてくれるわけではありません。

とにかく、もっと会いたいという子供たちの希望を叶えるべく、裁判所へと向かいましたが、不安でいっぱいでした。離婚調停での調停人の目が、忘れられなかったのです。そして、裁判官の笑い声も。
調停人2人と、子供たちの福祉を考えてくれる人が1人いました。私は今までのことを洗いざらい喋りました。もちろん裁判官に言われた「年に3回は多い方ですよ」という言葉も。すると、調停人は過去の記録をめくり、顔をしかめ、もう一人の調停人に指をさして教え、二人で「ああ・・・あの人・・・」と残念そうにつぶやいたのです。
ショックでした。
元夫が私を嫌っていること、真実とは異なる「私が家庭を捨てた」という主張をするだろうことを伝え、面会日を増やすことと、面会時間の延長の許可と、手紙の許可を求めました。(全て断られ続けていた)
1時間後、元夫との面接を終えた調停人は「あなたの言ったとおりでした」と困った顔をしました。ですが元夫は機嫌よく「時間の延長も手紙もかまいませんよ。むしろ、何故、求めてこないのか今まで不思議に思ってました」と、またもやビックリ発言。求めてたよ!求めていたよ!一度は子供と一緒に面会の終了時間に「一緒にご飯食べさせてください」って頭下げたよ~!ダメって言われたよ。理由はいつも無し。
驚いて、でも、面会は増えないので・・・次回に持ち越すことに。
私は、うれしくてうれしくて、早速レターセットを4つ買い込み(買いすぎ)手紙を書きました。
が・・・。
二回目の調停では、元夫はすこぶる不機嫌で、調停人が私とグルになっている、と言いました。そして、開封されていない手紙を、付き返してきました。「何が書いてあるかわからないのが不快だ」と。
涙が勝手に流れました。
そんな私の思いは、裁判官が汲み取ってくれました。もちろん、離婚調停の時とは別の裁判官です。
面会は多いほうが良い!という裁判官の声の元に、調停人たち3人の姿勢も変わり、裁判官自らが元夫を説得し、半ば強引に2ヶ月に1回程度(程度、なのでかならずしも2ヶ月に1回ではない)と定めました。
その確認の時には元夫と同席でしたが・・・怖くてたまりませんでした。ふてくされて、斜めに椅子に座り、裁判官の言葉に「ハア」とぶっきらぼうに答える元夫。お洒落メガネしてるのに、怖い。
「何か他に確認したいことはありますか?」と聞かれ、私は手紙を許可して欲しいと言いました。裁判官は「そんなの禁止する人はいませんよ!ね?」と元夫に笑いかけましたが、元夫は鼻で笑うように返事をしました。
あまりの元夫の態度に、調停人も驚いて、呼吸が苦しくなっていた私に「何かあったら、またすぐに来なさいね」と言ってくれた。とってもいい調停だった!

・・・それが、そうでもなかったと、気づくのはこの後なんだけど。

もしも・・・という話ほど、むなしいものは無いけれど
もしも・・・離婚調停の時の裁判官が、今回の裁判官だったなら・・・・・・・・どうなっていたのかな。
この面接交渉も、1回目は調停人たちが何かと突っかかる感じだったのが、2回目では態度が一変。それって、裁判官の鶴の一声があったから・・・?そんなもんなの?

そう、調停は「合意」という結果を出すためのもの。なんですよ。

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離婚を切り出したのは、私であった。・・・ええ。実は。
な~んでかって言うと、元夫がキレるようになったので。DVって言えるのかわかりませんけど、ともかく子供たちも私も怯えて暮らしてたわけです。そんなある日の保育園の帰り道で・・・突然、子供たちが「今日はオトーチャ、機嫌いいかなぁ?」と言って、泣き出した。・・・それっくらい、酷かった。
キレる原因は私のライフワーク活動(芝居)が気に入らない、とか、仕事で嫌なことがあった、とかで。全然、何も相談されないまま突然キレ週間に突入して、7~10日不機嫌になるのです。その期間に、まだ保育園の子供を、ちょっとした事で叱るんです。ガーガー怒鳴って「ゴメンナサイ、ゴメンナサイ」って謝ってる子供に「だめだ!許さない!」って・・・またガミガミ、ガーガー。テレビ見ながら2~3時間。子供たちがテレビを見ようとしたり、泣きつかれて船を漕ぎ出すと、また怒鳴って・・・足で軽く蹴飛ばすの。それで、倒れた子供を笑うの。さらに、倒れた子供をサッカーボールみたいに蹴飛ばして・・・。布団に着地するように蹴る。「上手く蹴っているから、怪我させてないぞ」って笑顔なの。
・・・私は、怖くて怖くて。
結婚して2年くらいで、彼からは命令しかされなくなってた。相談は母親にする人なのね。男性には多いけども、母親の意見が第一で。本人の意思よりも優先だったりする。そういう育ち方をしたのだと思う。キレ週間も、そういうことが許されていたから、大人になっても続いたんじゃないかな。推測だけど。
悪い人ではないけど、敵にはしたくない人。それが、私の元夫でした。結婚するときは、当然、敵になる予定なんてなかったからね。妊娠していて、父親かもしれないもう一人には「無理」って言われてて、困ってたし。
そう、私は元夫の遺伝子を持たない子供を、結婚後に産んだんです。元夫公認のもとに。
その長女と、翌年産んだ長男は、当然、私が引き取るつもりでした。私は過呼吸症候群(後にパニック障害と判明)を持っていたので、普通に働いたことがありませんでしたが、児童福祉課に相談に行ったりして、育てるつもりでした。離婚を切り出してから3日間は、泣いて復縁を懇願していた元夫ですが、私が芝居の稽古で外出している時に、母親に相談したらしく、翌日には「離婚は自分も前々から考えていたので承諾する。が、親権は譲れない」「暴力は認めるけど、その原因はお前にある。離婚したら、もうしない」と、ビックリ発言。それでいて「オレには友達がいないし没頭できる趣味もない。子供たちがいないと生きて行けない」と泣いたりして。「どっちが親権を取っても、月に1回は面会日を作ろう」と言いました。
が、その後すぐに、それまで私が一人でやっていた、家事と子供の世話を率先してするようになり、それと同時に私の姿が見えなくなってしまったのでした。私は、無視というものの威力にのされてしまいました。元夫のいる部屋には、恐ろしくて入れないのです。台所、居間、洗面所、玄関・・・居場所を失って、外出すると家に帰るのが怖くなりました。そこが、私の弱さでした。元夫の命令に、背けない。
深夜に帰ったり、誰もいない昼間に帰ったり、ビクビクして過ごすうちに、どんどん自信を失っていきました。自分には病気がある。両親には頼れない。ギリギリの生活を子供たちを抱えて、耐えられるのだろうか?暴力の原因は私だと言われた。確かに、芝居で忙しかった。私には友達もたくさんいる。どちらかが、子供たちに会えない生活に耐えなくてはならないのなら、それは私の役目なのではないか?病気の私に、どんな生活が送れるだろう?ますます子供たちを苦しめるのではないか?
後に知ったのですが、こういうマイナス思考&消極的考えをしてしまう親って多いらしいです。間違った考えです。自分が辛ければいい、なんて思っちゃいけません。だって、離婚は辛くなるためにするんじゃありませんから。ね?離婚して辛くなるなら、離婚する意味が無いでしょう?
だけど、そのときの私には、そういう考えは浮かばなかった。
面と向かって話が出来ない状況だったので、メールをしました。「月に1回の面会、宿泊を伴う面会、行事への参加。以上の条件をのんでくれるなら、親権を譲歩してもいいです」返事はこうでした「以後、全ての話し合いは調停で承ります」
驚いて家に帰ると、申立書がありました。チラリと見えたのは「家庭を顧みない」という項目に付いたチェックでした。私の最終学歴が間違っていました。・・・絶望を感じた時でした。胸が痛かった。
元夫の無視はずっと続き、絶望してしまった私は、友人宅を泊まり歩くようになりました。時には友人の車で寝ました。子供たちに会うために、週に2回は帰りましたが、居場所は寝室だけでした。
怖くてたまらなかった。
その怖さは、恐らくパニック障害になったことのある人にしか、わからないと思います。
やがて、調停の日が来ました。
そこで、言い渡された元夫の意見は・・・「親権はもらう。面会はゼロ」でした。私は過呼吸発作を起こして、医務室に運ばれました。調停は次回に持ち越されました。調停っていうのは、だいたい1ヶ月に1回のペースで行われます。次回調停までの1ヶ月の間に、元夫から「子供とオレは引っ越すから、お前の荷物、持って行け」と言われ・・・命令に従ってしまいました。これで、「別居」が成立し、私は保険証を失いました。
だいぶ後になって、罠だったのか?と思い、ショックで死にそうでした。それで、子供たちを連れて実家に行きました。直後に元夫から激しい電話とメールの嵐。実家の両親も手助けをするつもりが無いと知り(わかっていたけど)ガッカリして帰る(帰りの新幹線で、子供たちに謝りました。たくさん、泣きました。子供も私も。)と、元夫が子供たちを迎えに来て「もう二度とこんなことするな!」と駅前で派手に怒鳴られました。
そんな中で、調停二回目。元夫の暴力を訴えても、聞いてもらえず「それなら何故親権を手放したのだ」と不審な目で見られ「病気だからです」と答えるとため息をつかれました。・・・まあ、そうでしょう。変ですよね。
ともかく「親権を譲歩するなら条件をのんでもらいたい」と主張したけれど、どうにも取り合ってもらえず「ならば親権を白紙に戻してくれ」と言うと「それは、もう決まったことだから、出来ません。それに、あなた病気なんでしょう?育てられるの?」と嫌な顔をされました。
暴力は元夫も認めましたが、それを理由に面会を頻繁にすることは叶いませんでした。調停人から「後で回数は増やせるから。面会日ごときで裁判する人なんていませんよ」と強く説得され、年3回で合意することになり、書類を作成しながら裁判官が「年3回は多いほうですよ~」と笑いました。正直、死んでしまえって思いました。
離婚成立後、元夫から電話も手紙も禁止されました。住所も電話番号も教えてもらえませんでした。子供たちにとって、面会は大事なのだと説得しても、怒らせるばかりでした。

こうして、私の半身死んだ生活が始まったのです。

この調停に関して、疑問が多く残りますが、朝廷に対して公平さを求めること自体が間違いなのかもしれません。これから調停をなさる方は、ネットや本などで、とことん調べてから臨んでください。
親権は一度決まったら、変えることは難しいです。無理だと言っても過言ではありません。その時の自分に流されずに、ずっと先まで考えて、頑張ってください。
どんな理由でも、親権を手放した母親に、世間は冷たいです。特に地方では、その事実だけで仕事をもらえなくなります。とかく親権者の見方です。世間様はそういうものです。

ですが、何より大切なのは、子供たちの気持ちだということを、忘れないでください。
「離婚しても子供を幸せにする方法」という本をお勧めします。

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今日も子供たちは、元気だったかしら。

罪悪感を植え付けられた脳は、怯えて死にそうだけど、私の心は、お腹の中の子を子供たちと共に祝福したいし、何より生命の誕生を喜びたいのです。

基本的に楽天家で、やはり防衛本能から自己正当化しますから。

過剰反応してしまう脳に、なってしまっただけですから。

早く子供たちに話して、どんな表情をするか、見たい。不安がるか、喜ぶか。ジャッジをくだされたい。

という私の気持ちを嘲笑うように、面会日は決らない。つか、シカトされてる。

このままでは、脳が耐えられないです。いや、本当に。

コントロールが難しすぎるんです。レベル3でボスキャラと戦うくらい。・・・マジやばい。

何かが、壊れ始めているんです。

私が私でなくなってしまう。じわりじわりと。

脳がフリーズしやすくなりました。会話中に言葉が理解出来なかったり、考え中に真っ白になったり、言葉が分解してぐるぐる回って考えられなかったり。

小説も、漫画も、全く構成出来ないです。以前は溢れていたのに。今はスプラッタ。

買い物に出かけて、どこに行くのかわからなくなったり、子供たちのことがフラッシュバックして、運転中なのに、視界がわからなくなったり、かなり、めちゃくちゃです。

体の中から、心だけ、スポっと転がり落ちるんです。何をしていても。

脱け殻の私が、ぼんやりと生きている感じです。

転がり落ちた心は、ずっと叫び続けていて、くたびれます。

このまま、死んでしまったら、私は元夫に殺されるのと同じだ。それだけは嫌だ。

嫌だけど、彼は私の首を絞める手を緩めてくれない。

死ぬまで、苦しめるつもりなのかしら?本当に?

人間って、そこまで残酷になれるものなの?何のために?誰のために?

テレビで、ひまわりみたいな笑顔の妊婦ミラ・ジョボビッチを見て

あれこそが、本来の妊婦の姿だよなぁ、と思った。

今の私は、膨らむ腹に、それを見られることに、とてつもない苦痛を感じる。

ダリンのために、産みたいって気持ちも強く持っているけれど、早く死にたくてたまらない。

こんな妊婦、嫌ですねぇ。

ダメだよねぇ。

・・・フリーズしちゃうんだよねぇ。頑張ろうとすると。

困ったなぁ。

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今の気持ち↑

"友達のような親子"が目標なの。

産む前から、ずっと思い描いていた。自分が親と距離があって他人行儀な感じだったから。

それが、今の状態だと難しい。

やっぱ、物理的に離れていると精神的にも距離が出来ちゃうのね。今まで三時間しかなかったから、ジャスコとか駅前とか、人目のある所で遊ぶしかなくて。そんな場所で精神的なふれあいってのも、無理がある。

私の家に連れて行くなって、ひどいよね。また命令だし。「私たちの生活圏に入って来ないでください」と言うなら、私と子供たちの関係を妨害しないでください!と言いたい。

本当なら、子供たちと直接に面会日の約束をするものだと思うのよね。もうすぐ長女は10才だし。

私が10才の時には一人でバスと電車を乗り継いで、仕事帰りの母と待ち合わせしたわよ。友達と電話もしてた。(子供たちは現在、電話禁止だそうだ)

立派に恋もしてたし、ニュース番組を見て、親とは違う意見を言えた。それに、ストーリー漫画を完結させていた。

立派だったなぁ。今よりずっと。

長女にも長男にも、そういった片鱗がある。互いに違う意見を持ち、それを認め合っている。多少、父親の影響で他人を馬鹿にして笑いをとろうとするけど。

長女は離婚の前後をよく覚えているだけに、気を使ってなかなか本音を言えない。父親が何も説明せずに「母親は家出した」と言ったせいで、いつかもと通りになるという希望を持ち続けてしまっている。辛いと思う。長男は「また一緒に暮らしても、どっちかが家出するよ」と、クール。私と暮らしたいのだそうだ。理由は父親の暴力。今まで誰が見てるかわからないから伏せてきたが、長男は父親に暴力を受けている。もちろん、アザなどは無い。幼い子供たちを蹴飛ばした時も「布団の上だから怪我はしないよ」と誇らしげだった人だ。何度「もう、しない」と言っただろう。離婚調停では、私が悪いのだと言った。私のせいで自分は子供たちにあたるのだと。私は、この人に殺される、と思った。この人は私を殺すことが、出来る人だ。

そんなわけで、私は調停を申し立てたのだ。長男は私にしがみついて、声をあげて泣いた。暴力によって痛むのは心なのだ。たとえ、アザが無くても深く傷ついている。長男はハッキリと、私と暮らしたいと言った。長女は何も言わずに苦笑いした。父親を想って、何も言えなかったのだ。

どうか、二人を自由にしてください。父親に気を使い、怯える暮らしから、解き放ってください。

願っても、日本の法律では、怪我をするほどの暴力が無いかぎり親権は変えられない。無謀な裁判に立ち向かえる弁護士も、いない。そして、一番悲しいのは調停も裁判官の考え次第であるということ。事実、前回の面接交渉で、調停人に離婚調停での裁判官の信じられない一言を告げると、調停人は調書をめくり「ああ〜」と苦い顔で唸り、隣の調停人にその名を指し示し、二人はたがいに気まずそうに頷いた。離婚調停での裁判官は子供たちのことを真剣に考えてくれる人物ではなかったのだ。離婚調停で、私はハッキリと父親の暴力を告げたのだから!

日本は変わらなきゃいけない。

その前に、父親は変わらなきゃいけない。もう、一言も嘘はつかせない。一歩も引かない。

私は、暴力親父に捧げるために子供たちを産んだのではない。子供たちの人生は子供たちのものだ。親が子に与えるのは、我慢ではなく笑顔だ。押しつけるのではなく、教えるのが親だ。そして、傷つけるのではなく、守るのが親だ。

一応、付け足しておくが、父親は悪くない。悪いのは風土とプライドと、よく動く足である。

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