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★×2ワーキングシンマザwith PD ★SoWhat!? 今日も元気にC'est ma vie~☆

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日記があったので・・・時系列で書いていきます。

年が明けて、95年。
2月・・フランス旅行へと行った。母と姉との3人旅は、病気になる前のイタリア以来だった。
    楽しかった。フランスの空気は、とても肌に馴染むような感じだった。・・・が、母とはギクシャクした。

3月・・大学を中退することに決めた。

5月・・友人に紹介してもらって大学病院の精神科に通い始める。
    1時間程度のカウンセリングと軽い坑うつ剤を頓服で飲むようになる。
    短時間しか働けないので、夜のバイトを始める。知人に紹介してもらったスナック。
    恋人が、後輩に告白されて、密会していたことを知る。
    別れたり、話し合ったり・・・。階段を下りている途中で突然発作を起こす。
    劇団の遠足で激しい発作を起こす。(恋人を奪おうとした後輩の名を知ったから)涙と鼻水でぐちゃぐちゃ
    になりながら、呼吸は早いまま2時間ほど経過して、手足が痺れて硬直し、関節が痛み、恋人と友人に
   よってベッドに横になると、全身の関節が痛くて、気を失った。
    大変な1ヶ月だった。(今でも5月は苦手)

6月・・両親に手紙を書くが、本当のことは書けず。
    毎日、発作。恋人とはよりが戻るが、誘惑した後輩が「私は遊ばれた」と言ってみんなに同情されていた
    のが辛い日々。恋人も後輩を慰めるので、余計辛かった。

7月・・やはり、辛い状況。
    劇団の合宿に行くが、後輩の態度が・・・。ここでも、恋人は後輩をなぐさめる。
    漫画が入賞。賞金21万。
    姉からTEL「母さんがかわいそう」と泣いた。母が自分を責めているらしい。
    しかし、姉も実家は息苦しいのだと、打ち明けてくれた。

8月・・新幹線に乗れない。両親を呼び、大学病院の精神科へ。主治医に会わせる。
    病気に対する理解が得られたのかは、わからない。

9月・・友人たちと、飲んだり、泣いたり、考えたり、とっても青春して20歳になった。

10月・・恋人と別れる。同棲していたのだが、賞金21万でアパートを借りた。

11月・・引越し。恋人とは別れたりヨリを戻したり。
     私を愛していると言いながら、重荷だと言う。私が恋人を信じられないことが、仕方が無いとはいえ受け
     入れられない。甘えないように身構えると、発作も起きにくい。

年が明けて96年。
1月・・口座を作る。スナックでのバイトは続いている。恋人と別れたと知って、常連客が励ましてくれた。実は、
    時々ヨリを戻していたのだが・・・。

2月・・バイト中に発作を起こす。
    スナックのママの態度が変わる。「あんたみたいな病気のコはどこも雇わないでしょ」と言って一時も座
    らせてもらえない。あからさまなイジメだった。
    耐えられなくて辞めますと電話すると「散々良くしてやったのに!」と逆ギレされる。
    実家に電話して、号泣しながらお願いして、仕送りを許可される。(いつの間にか仕送りが止まっていた)
    母「結婚したら?」お見合い?
    姉と友達のように長電話する。初めてだったので、とても嬉しかった。
    自分が半狂乱で日本刀を振り回す夢を見る。刀の向こうには、アノ後輩。後輩の目に映った自分の顔
    は、右目がえぐられていた。恋人に電話して、もう二度とヨリは戻さないと告げる。

3月・・新しい彼氏と2週間で終わる。友達以上恋人未満の男が出現。意外と癒される。
    寂しいけれど、一人暮らしを満喫。自分だけの部屋は最高だ。

4月・・発作が止まらなくて、友人にTEL。おどろくほど発作が引く。
    元恋人と後輩と一緒に稽古するのが、たまらなくて・・・感情を抑えるために、しばしば壁を殴る。こぶしに
    アザが常に。 血が見たい、という衝動に駆られて壁を殴るようになる。

5月・・怒りを抑えられなくて、走って部屋に帰り、ハサミで手の甲を切る。流れ出る血を見て、安心する。
    それを見た先輩に説得され、恋人とヨリを戻す。
    劇団の遠足の帰り、電車に乗れず。実家に電話するが、何か怖い。

7月~8月・・実家に。日記ナシ。

9月・・友人たちの卒業旅行。私は電車に乗れないから、と参加を断わられた。悲しかった。
    症状が悪化する。

10月・・激しい発作の中で、叫ぶ。「きゃー」「助けておかぁさん」
     発作の後、楽しくなって手の甲を切る。肉が見えた。
     連日発作。発作の後は、混乱して、あるいはタガが外れて、おかしな行動をする。
     自分が狂う夢を見る。発作ばかりの毎日。主治医に言いたいことが言えない。
     母に手紙を書くが、病気のことを書こうとすると震える。やがて発作。
     アパートを引き払い、恋人の部屋に引っ越すが、別れる。

11月・・友人宅へ引越し。新しい恋人Aさんとデート。
     両親から「実家に帰って来い」「おまえは(友人の)邪魔をしている」といわれる。

年が明けて97年。
2月・・母から病気を「気にしすぎ」「仕送りはあと1年」と言われる。
    両親に手紙を書く。

3月・・手紙の返事。姉「ひどい」父「うれしい」母「抱きしめたい」(ぶるっとした)
    東京で元恋人から求婚。お断りする。
    父の教え子で精神科医の先生に会う。治らないと考えて共生するつもりだ、という私の考えに「それでい
    いと思います」との答え。さらに「人生には無駄なことは一つもありません」「これからあなたにとっては生
    きにくいと思うことが多くあるでしょうが、頑張ってください」と。感動した。
    山形への新幹線で発作。知らない男性に助けられる。

4月・・妊娠発覚。・・・おそらく、元恋人の子供・・・。言えないままAさんの求婚を受ける。

というわけで、結婚しました。

拍手[1回]

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去年の4月に、およそ12年ぶりの健康診断を受けまして。

健康診断って大事ね~。ホント。

結果は「子宮頸ガンの疑い」と「貧血」でした。

ガン!?は?え?ガン!?って、若干パニックでしたが・・・たいしたことは無いだろうと精密検査に行きました。

簡単な検査は表面の細胞を擦り取るだけなので無痛ですが・・・詳しい検査は・・・

子宮の入り口の細胞を採取する。。。つまり、ちぎるんです。

「ヴッ」って小さく唸るほど痛かった!!ブチって!!ブチって!!!4箇所も!!!!!

男の若い先生が抑揚の無い声で「あ、痛いね~。我慢してね」って。1箇所ブチるたびに。

当然、出血します。

それで、1ヵ月後に出た結果が・・・

「良くも無ければ悪くも無い」でした。

ガンになる経過というのが「普通の細胞」⇒「変異細胞」⇒「ガン細胞」となってまして

真ん中の「変異細胞」なわけです。

そして、不思議なことに、突然「普通の細胞」または「ガン細胞」へと変化するモノらしいのです。

「普通の細胞」に戻ってくれれば一安心(でも検査は続く)

「ガン細胞」になってしまったら・・・手術?(再発・転移する可能性アリ)

ビックリだ。

検査にはランクがあって、Ⅰ~Ⅱは安心ゾーン。

Ⅲはaとbの2段階で、aだとガンの可能性5%、bだと可能性50%です。

同じⅢなのに、大きな差ですよね。

Ⅳだと表面にガン細胞、Ⅴではガン細胞浸透!!

私の検査結果は、Ⅲaです。


うわ~、ビミュ~。


定期的に検査・・・ということで、3ヶ月に1回簡単な検査をやってますが、ず~とⅢaのままです。

特に薬を飲んだりってことも、無いですが・・・(ガンに治療薬はありませんし)

生活習慣の見直しが必要らしいです。

禁煙はもちろんのこと、抵抗力を高める食事、とか・・・自己暗示が効果的!らしい。

細胞に、語りかけるのです。

「普通の細胞になりなさい。ガン細胞は消えなさい」

これが、効果覿面なんだって!!!人間の神秘!!!


再婚して、悩んだのは・・・産めるのか?ってことだった。

ネットで調べたら、初期ガンまでは問題無いようだ。

最悪の場合、帝王切開で出産出来る。

ということもあって、妊娠してみました。ええ、意図的に。ええ、私個人の意図的に。


細胞診の出来る産婦人科を見つけて、そこで妊婦検診とガン検診を同時にやってます。

おじいちゃん先生は何でもない事のように「ま、大丈夫でしょう」と言ってます。

しかし、私はガンになりそうな予感がしています。(ホントに、根拠も無い、ただの勘)

ま、それも人生ですよ。

さりげなく、遺書とか、子供たちが20歳になるまでの毎年のバースデーカードとか準備してたりする。笑”

ちゃんと生きて渡せたら、それはそれで、嬉しさ2倍だから、いいかなって。


痛いんだって。ガン。

ちょっと怖いね。イメージも悪いしね。

でも、私はもう何を受け入れるのも、怖くないよ。わはは。


来週、病院だ。ガン検診するのかな?

保険が使えるから、そんなに高くないんだよ。

20代でも患者は増えているそうなので、ぜひとも検査をオススメします。

早期発見で除去すれば、妊娠も可能になるんだってよ。


そういえば、妊娠してるかどうか見てもらった時、胎児の横に丸い黒いカゲがあって
じいちゃん先生が「あれ?腫瘍かな?」とか言ってた。
・・・え~?ダブルパンチって有り得るのかな?

それっきり、話題にならんけども・・・。消えたのかな?


ガンってものが、身近になりました。・・・両親すら無縁だのに。笑

お先に失礼~。


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シャキーーーーーーーーン!!!

いえ、全然・・・シャキンとなんてしてませんけれども。

来週・・・調停なんだけども・・・どうしたものかと・・・。

結局、会えて無いんですよね。また3ヶ月経ってしまう。こういうのが永遠に続くのでしょうかねぇ?

子供の権利条約は使えないねぇ~。日本は全く関心が無いじゃないか。法律を変えなければ守れない条約なのに、変える気も無い。年金も大事だけど、子供たちも未来の日本を支えるのだから、大事だぞ~~??

親権者が勝者という考え方が、古い。時代遅れです。

親権っていうのは、子供たちの日常や福祉に責任を持つことであって、母親なり父親なりを奪うことではありません。純粋に子供の立場に立ったら、手紙のやりとりも、会いたい時に会いたいと言うのも、当然だし、その希望を叶えるのは親の務めで・・・

あまりにも当たり前のことですよ。

わざわざ調停で言うことじゃないです。本来なら。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・考え方も人生も、人それぞれですから、仕方ないですけどね。私が思う正義は私だけのものであって、押し付けるわけには行かない。

ただ、一つだけ確かなのは、現状は子供たちを苦しめている。ということ。そして、それが続けば、いつかは悲しいことになりますよ。ホントに。・・・警告はしたけども。

申し訳ないけれど、大人であるお父ちゃんよりも子供たちを優先して考えますよ。

私はおとうちゃんの母親ではないけれど、子供たちの母親で、痛い思いして産んだから、放って置けないんです。ええ、絶対に。

再婚したって新たに子供産んだって、私はあの子達のおかあちゃんで、どの子も一番いとおしい。離れていても、手に取るように分かる部分がある。お腹に居たからかな。

それを考えると、男親ってのは可哀想だな。

産めないんだものね!

お腹の中で育つ感覚とか、その愛おしさとか、陣痛と出産の痛みと開放感とか、授乳の時のなんとも言えない、あの感覚が・・・わからないんだね・・・。絶対に。

子供が欲しくても、産んでくれる人がいなきゃ、得られない。

女は精子さえあれば、自分の子供を得られるんだ。(子宮が無事ならね)

同情するけど・・・でも、現状は変えなきゃイカンと思うよ!母は思うよ!

あああああああああわわわわわ。

イヤミ言いそうだ。口を閉じよう。手を止めよう。

涙が出そうだ。もう、書くのを辞めよう。

生きなきゃならんから。

いつか、おとうちゃんにも子供たちにも一人の人間として認めてもらえるように、いろいろ頑張らなきゃならんから。また一人子供も育てなきゃならんし、ガンの治療もせにゃならん。生きることを苦痛に感じちゃイカンのだ。生きることを疑問に思っちゃイカンのだ。ともかく、今現在、生きていることに感謝して、生きるのだ。

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カテゴリー別の記事の、過去の部分を埋めようと、必死に書いてるけど
あれだね・・・
記憶が、ちょっとアヒャフヒャになっていたりして・・・

年かな?

今日も暑くなりそうな朝です・・・。
ダーが給油を忘れてしまったので、今日は私が送り迎え。
で、朝から1時間のドライブでした。

クーラーのない猛暑日を乗り越えるために、一番暑い夕方にドライブしたり
しまむらとかジャスコとか、無意味にフラフラしてみたり

今日はちょっと趣向を変えて、お香を焚いてみた。
お香の香りがあったら、暑くても南国気分で納得できるかな~・・・と。
どうでしょうか~?

ひぃ~~~~~~~!!!
目の前でバンバン花火がっ!!うわっ!火薬くさい!!
え~~~~~~~??何?何?何で?今日、何かあるの?

あーびっくりした。
早起きしていてヨカッタ。

はううっ!!
今日の占い・・・秘密がバレるって・・・正直すぎるのも考え物・・・。
そうですねぇ~。確かに、正直すぎで損してきたなぁ。
ま、でも、嘘付くよりは全然マシでっす。

「白い恋人」賞味期限改ざん!?ガーン。好きだったのに!!

あ、今日は終戦の日ですね。
私の母は、面白い顔をしているのですが、母の両親は美男美女でした。
祖母は日本の昔の映画女優みたいで、祖父は長身で色素が薄くて外国人みたいで。
いとこ同士だったから、サル(母)が産まれたのかなって・・・。
んなことないか?

祖父は27くらいで、戦争に行っていて・・・海軍でした。
超ハンサムな写真もセーラー服です。
終戦間近になって、日本軍はもうやぶれかぶれ。貨物船ですら出陣させていました。
もうそれは、誰にも明白な自殺行為です。
祖父は、熱を出した友人の変わりに貨物船に乗り、マーシャル諸島沖で船と共に沈みました。
戦後、海軍から祖母のもとに、祖父の写真をくれ、と連絡がありました。
海軍に送ってやると、小さな骨壷にその写真が入って送り返されたそうです。
いや~・・・シビアですなぁ。

祖父はカッコいいし頭がいいし優しいし、兄弟たちにも大人気でした。
いい人ほど早く逝ってしまう、と祖父の姉妹たちは口をそろえて言います。
事実、今も姉妹たちは元気です。もう90を超えてる叔母も達者です。

何かの間違いで、お腹の子が祖父に似てくれないかと、願ってしまう。
来週には性別が分かるかもしれない。
クククク。

あれ?
でも、私・・・祖父の名前を知らないや。


ところでさ・・・。
北海道であった火災報知器の誤作動・・・あれって。
平たい屋根が原因だったよね・・・天井付近で70度にまでなったとか。

我が家も平たい屋根なのです・・・。
外より家の中が暑いのです・・・。
ヤバイです。

つっても、あと数日で、秋になっちゃうんだけどね~。サスガ東北。

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衝撃的な過呼吸発作の後。。。
翌日もやはり登校途中で発作を起こして、帰宅。
その翌日も、その翌日も。
日に日に距離が短くなって、5駅で限界だったり、電車の音で、もうダメだったり。
自分自身も混乱していた。どうして、こんなことに?私の体はどうしちゃったんだろう?
答えを見つける行動力も思考力すらも、無かった。
しまいには部屋にとじこもってしまった私を、父は怒った。母は鼻で笑った。
理解してもらえないことが、どんなに苦痛か初めて知った。
食欲が減り、毎晩ふとんの中で発作を起こすようになった。
6月に入って、母が「病院に行ってみよう」と言い出した。
吐き気や動悸や嫌な気持ちを抑え、喋り続けつことで電車に耐えて、どうにか病院に着いた。
陰鬱とした「精神科」の待合室には、保護者同伴の子供や大人が数組、視線を下げたまま座っていた。
不思議な空間だった。
それまでの私の日常には無い空気だった。
それほど長く待つことなく、3つある診察室の真ん中の部屋に通された。
狭い部屋には医者の机と椅子が2つ。机の前に座った医者は大きくて太っていた。椅子が壊れそうだった。
あらかじめ記入していた用紙に目を通して、医者は興味なさそうに私に聞いた。
「今日は、何で来たの?」
「・・・電車です」
「なぁ~んだ。ふふっ。乗れるんじゃない。気のせいだよ」
医者は鼻で笑った。
その日までの自分の辛い時間が次々に蘇って、涙が出た。また、理解してもらえない。
私の涙を見て、医者はニヤニヤして言った。
「くやしいか?」
まるで、私が付いた嘘を見破ったぞ、と言いたげな、得意満面の表情だった。
医者が狸の置物に見えた。巨大な陶器のそれを、思い切りハンマーで殴って粉々にしたかった。
「一応、薬だしとくけどねー」
泣き続ける私を横目に見ながら、嬉しそうに医者は作業をした。

母の前では、涙を見せることが無かった私だから、診察室を出る時には、涙は止まっていた。
同時に、いろんな感情にもフタがされて、私は無表情に「気のせいだって」と母に報告した。
母は安堵のため息をついて「やっぱりね~!」と得意げに言った。
薬をもらって、それを飲み、ランチを食べて帰った。
医者の診断に、父も笑った。ほら見ろ、ちゃんと学校に行きなさい。とか何とか言った。
姉だけが、それは違うのではないかと、神経症の本を図書館で見つけてきてくれた。
けれど、特に何も出来なかった。

私は必死で友達に手紙を書いた。
けれど、返って来るのは「私なんか・・・」といった愚痴ばかりで、助けにならなかった。最後にダメ元で、高校生のときに絶交されたMに出してみた。返事より先に、電話がかかって来た。
彼女は山形の大学の医学部に進学していた。「いいところだよ、暮らしにおいで」手紙にはそう書いてあった。
それで、私は、あわてて荷造りをして、逃げるように山形へと向かう新幹線に乗り込んだ。
久しぶりに会ったMは、新幹線の中で、あっさりと私を許してくれた。7月半ばのことだった。

生まれて初めて山形に立った。
まだ、地図上のどこに山形があるのか、知らなかった。ともかく東北なのに暑くて驚いた。
食欲が無くなっていた私は、一日にドーナツの欠片と水分だけで動いていたので、その暑さはこたえた。
けれど、誰一人として早歩きをしていない、のんびりとした雰囲気と広い空に感動した。

Mのアパートは古いけど2部屋あって、そこに私は居候することになった。2週間の予定だった。
Mは大学のサークルで芝居をやっているという。その公演が迫っていて、毎日稽古があると言う。
一人で初めての町を楽しめる余裕は私には無かった。ので、毎日見学させてもらった。
そのサークルは、コメディー芝居を好み、なんと団員のほとんどが関東出身だった。けれど、なんとも地味な服装の人々で、当時の流行服(ピタTにマイクロミニのスカート)だった私は、ちょっとだけチヤホヤされた。
たまたま、GWに投稿した漫画が7万円の賞金を取り、そのお金でビデオカメラを購入していた私は、稽古を撮影する係りになった。(便利に使われただけ、とも言う)毎日、稽古の後は誰かのアパートでビデオ鑑賞と反省会。あっという間に本番になり、本番も私が撮影だった。
そんなこんなで、仲良くなって、合宿にまで参加することになった。
そこで、まぁ、若者にありがちな恋愛のアレコレがあって・・・人生初の恋人が出来てしまった。
2週間の予定を延長し、彼のアパートに転がり込んだのだった。

恋人と暮らし、芝居三昧の日々の中で、だんだんと食欲を取り戻し、電車にも乗らなくいい生活は快適だった。
一度、実家に帰り、もう戻らないつもりで荷造りをした。
夜中に彼氏と長電話していたので、父に「私の稼いだ金で遊んでるのか!?」と怒鳴られたのだ。
私の生まれ育った家は父の家だった。私の家ではなかったのだ。
山形に行くことを両親は嫌がった。私も、少し迷った。そんな時に突然、祖母から電話があった。祖母は私に(電話なのに声をひそめて)「好きなようにしなさい」と言ってくれた。
その言葉は、祖母自身がかつて背中を押してもらった言葉だった、と、後に知った。

山形での生活は、病気との闘いだった。
食欲は戻っても、広場恐怖や発作はあった。とくに、発作はいつどこで起きるか分からなくなっていた。
ちょっとした不安を感じても発作になるような状態で、でも、バイトをした。
2ヶ月で辞めた。

自分なりに、どうして発作が起きるのか、外出することが苦痛だったりするのは何故か、考えて、その原因は育った環境にあるのではないかと、両親に手紙を書いた。
それに対して、姉は怒り狂った手紙をよこした。父は反省した。母は、よくわからない手紙だった。
それぞれに、考えてくれたのだが、怒られるのも謝られるのも、辛かった。
母からは半月後に手紙が来た。寂しい、ショックだ、という内容に私は身動きがとれなくなった。
ともあれ、一緒に生活が出来ないということは、どうにか理解してもらえて、仕送りをもらいながら、療養ということで、お互いに納得した。

発作や体力の低下や対人や広場恐怖という症状に振り回されながら、劇団の人たちと、よく遊び、芝居をし、時には実家にも帰り、少しずつ不安が遠のいて行った。

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なんとなく、Mな点取り占いに・・・驚いてしまいました。
サウナな家に十分いじめられているのに、何の罰ゲームだろう。
・・・まったく=3

点取り占いの上に「いろいろ」ってのがあるけど、ホントにいろいろで。
<MYSHOP>は私の選んだキーワードで商品を検索してる。
<BOOK>と<MUSIC>は私のオススメ作品。
<MOVIE>と<PHOTO>は私の撮ったもの。できればショートムービーも入れたい。
<FLASH>は簡単なゲーム。
<MY FLO:Q>ってトコを押すと、小さい画面がペロンと出てきて
「MESSAGE」ってトコを押すと、落書きが出来ます。
ワイド画面で見るときには、画面が横になる。

暇なときに、ぼけ~っと遊べます。

あ・・。うたたネコの音声を確かめるの忘れてた。
私一人で居た時に撮ったから、無言だとは思うけど、笑ってるかも。。。

まだ、もらう前。産まれた家にいた頃の映像。
誰もトイレのしつけをしてくれなくて、私が数日通ったのでした。
でも、結局は覚えないまま里子に出てしまった。
ええ。
我が家も、酷いことに・・・。

この子と一緒に生まれた子猫は全部貰い手がついて、無事だったけど
この子の母親は半分放し飼いだから、春と夏に必ず妊娠して
産むたびに貰い手を見つけられずに・・・大きな川に・・・。

ダーの実家なんだけどね。
ダーの母がネコ嫌いで。
ダーも子供の頃に一緒に子猫を捨てに行ったらしいけど
本当に激流に目の開かない子猫を投げ入れるんだって。
橋の上から。
あまりにも衝撃的で、二度と一緒に行かなかったって。
・・・つか
確実に死ぬ方法で捨てるのが、おそろしい・・・。
せめて山とか公園にしよーよ。
・・・つか
飼えないなら産ませるな。
母体もくたびれるから、長生きできないよって言うんだけど
誰も耳を貸そうとしない。
・・・なぜ?
去勢しなよ・・・かわいそうだよ。

子猫を奪われると、数日間は鳴き通しなのだそうだ。
私には、耐えられなくて今年の春にバカ猫を引き取ったのだけれど
夏の子猫は・・・川に・・・。
母ネコを可愛がっている義姉も「かわいそう」って言いながら、知らんぷり。
毎回、子猫を見て喜んでるのに
殺していることからは目を背けているようで。

そういうもんか・・・と。

結局は、他人の子供なわけですよ。
母ネコを「私の子」と言い、うちの子猫を「孫」と呼ぶけど
産むのは猫だから。
他人事。

私が子供に会えないことも、やっぱり他人事で。
いや、ダーの家族だけではなくて・・・いろんな所で。

私自身も、義兄の子供たちはちっとも可愛くないですし。
これはもう、人間の本能っていうか・・・。
産むってことは、産まなきゃわからない。

何でも、そうですよね。
経験しなきゃ分からない。

私は友人や恋人や家族の、予想外の死には出会ったことが無いから
どんな気持ちかって事は、想像しか出来ない。
とんでもなく傷ついて、落ちに落ちて、這い上がってきた人とか
話を聞いて、スゲーって思うけれど、同じ痛みに泣けるわけじゃない。
私の経験した「いじめ」はどれも、それほど苦しくなくて
だから、自殺してしまった人に共感できない。
離婚も、不条理な調停も、子供たちとの距離も
言葉上では同じ体験をしている人がいるけれども、同じ痛みではない。
感じ方も違えば、状況も多少違う。

当たり前だ。

一人に一つの人生だもの。

それでも、そばにいることは出来るし
動けなくなっている人の変わりに動くことは出来る。

何かしら、助け合えるんだと・・・思いたい。

どんなに辛いことがあっても、傷ついても
人間そのものに失望したくない。



正直、今はまだ半分くらい「生きてることが苦痛」です。
毎度、強がってはみても、やっぱ子供たちのことがわからないってのはキツイ。
かつての夫に恨まれてるのも、恐ろしいく悲しい。
伝わらないことに絶望しそうになる。

だけどね・・・。

何十年かかっても、いつか和解(?)出来ると思ってる。
一人の人間として、認めてもらおうと思っている。
元夫にも、子供たちにも。

法律にも阻まれて、何より元夫の気持ちがカチカチで
それを言い訳にして、あきらめるしかないんだなって・・・嫌だけど思うようになって
ふと・・・
「ああ、男には子供が産めないんだな」って事実が・・・私を包んでしまった。
なんて、かわいそうなんだろうって・・・。

お腹の中で育てる、ヨロコビと苦労とを
産まれる時の激しい痛みと開放感と感動を
狂おしいほどの愛しさと気苦労と楽しさ
そういったもの全て・・・男には経験出来ないんだっけね・・・。

育てることは出来ても、やっぱり母親にはなれない。

いじわるされてる人間に同情するって難しいね!!!
どうしても、意地悪に考えてしまう。


・・・まったく=3
人間ってやつは!

天国でブー(今年死んだ実家の猫)が笑ってるよ。

拍手[0回]

ここ、山奥では墓参りに丸いちょうちんを持って行くようです。
菜箸の先に紐でつるしたような感じの。

スーパーでも、何やら不思議な「お盆グッズ」が売っている。

小っさ~い青りんご。
何かの茎だか蔓だか。
一口サイズの紅白の餅、たくさん。

どのように使うのでしょう??

どうやら今日は墓参りの日だったようで、どこもかしこも墓参り。
親戚一同でゾロゾロ大移動。
車も2~3台連なって。

普通、13日なの?

都会の核家族で育ったので、風習ってものが、全くわからない。
墓参りは、お盆の週の行ける日に行くものだった。
もちろん仏壇も無いのでお供えなんかも、わからない。

ダーの実家は本家なので、立派な仏壇があり、何か頂くと必ず仏壇の前に置く。
まず、先祖にあげてから・・・ということかな?

本家っていうのは、大変だね。
人が集まる。

盆暮れ正月、季節の変わり目、お祝いに、お悔やみに。
常に来客がある。
大変だなぁ。

でも、来てくれるってのは、いいもんだね。

・・・・おばあちゃんの墓参りに行こうかなぁ・・・。安定期だし。

長男である父は遺産相続に興味が無くて、叔父に譲った。
完全に過疎化して廃屋だらけの村の山や田畑は、たぶん金にならんのだけど・・・
叔父は「デカイ道路ができるから土地の値が上がるんだ」と言う。
・・・まず、ありえないのだけれど。
とにかく遺産が欲しかった叔父は父を敵だと思い込み、未だに牙をむき出す。
父が建てた祖父母の家以外は全部あげたんだけどね。

そんな変な理由で、墓参りに行けないのである。
罵倒する電話や止まらない苦情FAXなどが予想される。

・・・なんつーか・・・正反対の兄弟・・・。

叔父は父のことを「クソが付くくらい真面目で面白くない」と言う。
父は叔父のことを「情けないだらしない人間」と言う。
・・・どっちも当たっている。
サスガ、兄弟。

お盆になると、お墓参りと叔父を思い出す・・・。


今週の暑さが過ぎたら、山奥は秋になるんですって!!!
なんて短い夏!!!


今日は「天才柳沢教授の生活」3年ぶりの新刊を買い、改めて人間について考え・・・ようとしたけど
暑くて・・・。
ただ、漠然と・・・完璧な人間はいないのに、それを求めてしまうものなんだなぁ。と思った。
他人に対しても、自分に対しても、求めすぎる部分がある。
不完全で矛盾しているからこそ、人間だのに。

ぼんやりと、そのうち・・・遠くない未来に・・・子供たちと一緒にスーパーを歩く気がした。
ただの白昼夢かな。

日本の法律では非親権者が何の権利も持てないと知ったのが、あまりにも最近で
なんて勉強不足なのかと思ったが
よくよく考えてみたら、そこまで法律が自分の生活に入り込んでくるとは考えもしなかった。
生活の中のほとんどは、感情的な部分や人間関係のウェットな部分で構成されているから。
そういうまんまで暮らしていけると思っていた。
たとえ仲たがいしても、恨まれても、感情は丸くなり、いつか許され握手が出来ると思っていた。
ずいぶんと、オメデタイ。

法律に、束縛されてしまったのだな。

私の親心までも。

変な法律だなぁ。

いつかは、変わって欲しいぞ。



さぁ、トコロテンでも食べようかな。

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狭くない道路が交差する交差点の角。

建物の影になるってことが、無い。

そして・・・平屋です。

平らな屋根です。

知り合い価格で倉庫を改装してもらった、若干あやしいモノ。

暑い暑いって言っても、この地方・・・東京に比べれば湿度が低くて快適なのですが。

一歩、我が家に入ると・・・・・むわ~~~~っと湿度が上がる。


風通しが悪いのです。


隣の家と1メートルしか離れてないので、そちらの一面は窓が一つも無い。

それが、悪かったのかな~。


何をするにも、こんな時間(23時)でも、汗かいてます。

だけど、毎日の習慣は半身浴。

妊婦には悪いのではないかと、不安だったけど、半身浴はOKらしい。

温度を39度に設定して、45分以内にしてます。

そこで、リリアン・j・ブラウンのミステリ小説、シャム猫ココシリーズを読むのです。

いろんなことを、とりあえず、置いといて

どこからも400マイル北にあるムース郡へと。

ムース郡は今わたしが住んでいる山奥と似ているのです。

雪に閉ざされる町、驚くべき情報網となっている噂、独特のジョーク、悪党は必ずよそ者という考え

どれもこれも、ピッタリ。


私が知らない人も、私がどこの誰の息子の嫁か、知っている。

このサウナな家に住んでいて、仕事はしてなくて、都会から来た玄関に鍵をかける変わり者の嫁。

どうやら妊娠しているらしい。

最近猫を飼い始めたようだ。

だんなさんは職場を異動した。(4月まで近所を回っていたのに)

挨拶が出来ない嫁。漬物が作れない嫁。

隣組にはいつ入るんだろう?若妻会には?婦人会には?消防団には?運動会で走るかしら?


そんなふうに、知られている。

秘密にしたいことは、家族にも、言ってはいけない。

それが、山奥のルール。

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昨夜は、バーベQ~だった。
久しぶりに牛肉を食べた。
鉄板の上でカリカリになった焼きそばが非常に美味だった。
義兄夫婦の「離婚だ離婚」っていうジョークには、コメント出来なかった。
ゲド戦記のDVDを借りた。
なんとなく眠れなかった。

朝、ダー(亭主)の目覚ましが鳴ったので、起こしたら「休みだ」と言われて驚いた。
ので、寝た。

・・・が、8時半には起こされてゲド戦記を見た。
原作の1~6巻がミックスベジタブルだった。・・・薄味。
影との戦いだけを、描いて欲しかった。
まぁ、いいや。

とか思っていたら、隣県に住む異父母兄弟とけい君が、高速バスに乗った。
あわてて、ダー(運転を依頼)と家を出た。

ランチを食べた。
異父母兄弟の携帯にガチャピン。相方にはムックをはらせているらしい。
デザート8品が0.5口分ずつ乗ったお皿は、デパ地下よりケチだった。
0.3口分だったかもしれない。
それなので、紅茶のレモンを食べた。

ショッピングモールに移動。
駄菓子屋の誘惑に勝てなかった。
しかし、昔より高価でバラ売りしてないことに、テンション↓
歩き回って疲れて、お茶を所望し、移動。

ダーの休日思考回路は一部配線が混乱。
何故か隣市までドライヴ。

私の眠気がピークに・・・・。
ああ、もう、もう、夢を見そうです!夢の入り口です!ってところで、到着。

ツタヤだよ!
飛び出す絵本を堪能!!天才だね、この外国人!!・・・だれ?
とか言いながら。
私は雑誌を購入。異父母兄弟は漫画を購入。
ソルベを3人でズルルルル~~~~~。
抹茶ソルベはガチャピン。カシオレはムック。
寒くなってきた・・・。
ズルルルルル~~~~~。
寒いなぁ!
外に飛び出すと、暑かった外気が適温に!!

んじゃあ、歌いましょうかってなわけでシダックS。
ガチャピンとムックがいっぱいだぁ~。
食べて飲んで歌って2時間。
コンソメ顆粒を舐め続けていた異父母兄弟。・・・フリーダム。
抽選でガチャピン&ムックの団扇を当てた。

最後に夕飯を食べましょう、と、ドトールへ。
ポンデライオンみたいなダーは居眠り。
夢中で喋る、私。
母上に似てきた異父母兄弟。
楽しい時間は、あっという間。
バス停で、手を振って・・・またね★

ダーと私は、ガチャピンのケースに入ったDSを持って、ゲーム屋サン。
ナントカの通信をして、何かをゲットしたらしいダーはニコニコ。
検定試験というソフトを買って、帰り道はクイズ大会。

わっかんねぇ~。へ~。は~?おもしれ~。

異父母兄弟もダーも、なんとなく・・・似たような空気っていうか、発想がある人たちで
そのことを、よ~く知った・・・思い出した?記憶しなおした?
そんな一日。

素敵だった・・・。

ガチャピン大人気。

ムックは、白い手袋が、いけないと思うの。
大胆に上下する下顎もね。

また、楽しい一日を・・・所望します。(бωб)

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言葉には、魂があるのよ。

と、母は言った。

その意味は自分で知った。

言葉は私の口から魂を持って産まれ自立して行く。
思わぬところで人を傷つけ、人を癒す。

それだから、言葉には責任を持たなくてはならない。

わかってはいても、なかなか私の口は、わきまえなかった。
まだまだ、修行が足りない。


現状を受け入れ、感謝し、満足すること。
これも
わかっているのに、浸透しない。

苦い薬のように、しみる液体のように、受け入れ難い。

どこか納得がいかない。
自分だけが苦しいようで、嫌な気持ちになる。
ここまで苦しい思いをして受け入れることが、本当に正しいのかわからなくなる。
子供たちを想うと、何も考えられない。

蹴られていないか、我慢しすぎていないか、心配だ。

子供たちとの思い出が鮮やかに蘇り、感触や匂いまで感じられる。
そういうときは、もう、たまらない。


何が正しいかなんて、分かりません。

ただ、子供たちの平穏を願うばかり。


届け、言霊。
子供たちの元へ。

いつも想っているよ。
法律なんか関係無い。
あなたたちは、一生私の子供。
ピンチの時は助けるし、何があっても信じる。
三つ子の魂百まで。きっとね。
私を忘れないで。

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