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★×2ワーキングシンマザwith PD ★SoWhat!? 今日も元気にC'est ma vie~☆

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まずはDS「資格検定」

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すっごく・・・お腹が空くゲームです!!!

ゲームのやり方など、詳しいことは面倒くさいので、省略。

55種類の資格検定が参考にされていて・・・ランダムに出題されるんです。

まずは。

「きもの文化」だの「話しことば」「日本茶アドバイザー」っていう和な検定。

「パーティーコーディネーター」「チーズコーディネーター」「シガーアドバイザー」という飲食系。

「ベジフル~目指せ野菜ソムリエ~」とかね、設問のたびに読み上げるんですけど。

いや、これらが、難しい!!

半分、カンで答えてる。

意外と知ってたり・・・わかってるつもりで、大間違いだったり・・・。

「世界遺産検定」は地理が苦手な私にはキツい。

「○○は何県にあるか?」4択なのに、間違える。

「○○○・○○・○○○の特徴である細長い顔を強調するには、眉と眉の間を(A)くカットし、○○を(B)すると良い」

○○○・○○・○○○←犬の名前。しらねーよー!!聞いたこと無いー!!

眉と眉の間を(A)くカットし、○○を(B)←専門用語だよ。わかんない~~~~~!!

というような、「トリマー資格習得試験」とか。

「自動車整備」なんかは、チンプンカンプン=3

何を説明されているのかも、わからなくなっちゃう。

資格の名称と、質問の内容がかけ離れていることもあって・・・資格をとるっていうのも、幅広い勉強が必要なんだなって、思った。

「チーズ」とか「野菜」っていう身近なものからの出題も、思い出さなきゃならなかったり・・・産地が○○県だからぁ・・・とか、違う角度から考えたりして、頭使う。

普段ホコリかぶってる部分を使うんですね。

面白いのが「パネルモード」ってやつで、よくクイズ番組にあるようなモノ。

横の列が問題の難しさ(50・100・150)縦の列が「歴史」とか「文化」とかのカテゴリーになっていて、3×3マスの9枚のパネル。ビンゴ的に1ラインごとにポイント。

これがね、ただ解くだけじゃなくて、正解すると「ポイント2倍」間違えると「25%マイナス」とかあって、究極が「これまでの不正解問題が正解になる」とか「不正解問題にもう一度チャレンジできる」とか、あるんですよ。出ない時もあるけど。

ドンデン返しがある。それが面白い。

問題もランダムなので、何が出るかわからない。最終的に何点になるのか、わからなくて・・・計算後にコレまでの成績と比較すると、大爆笑。

前回、ラッキーなカードがあって、全問正解になり、得点が6704で大喜びしたのに、今回は密かに「得点3倍」とかあって、さらに「全問やり直せる」があったので27480!

ケタが違うぞ!?なんだこれ!?

これを、夫婦でやるんですよ。休日に。

二人で考えれば、全問正解出来るんじゃないかって・・・甘かったですねぇ。

自力で、全問正解は出来ないね。

だけど、お互いに得意分野が違うってことがわかって、ちょっと相手を見直せる。

ポイントは、間違えてもお互いに相手をバカにしないことですね。

うちの両親は二人とも教師でプライド高いから、お互いにバカにしちゃうんで、クイズ番組は危険です・・・。ま、その日の父の気分ですけども。

しかし、しかし・・・24問も解けば、ぐったり。腹も減ります。

☆

(ΘωΘ)~フムン。

☆

心理学の勉強をしようかなって、思ったんだけど・・・こりゃあ、前途多難???

大学の通信教育講座で、みっちり4年やってみたいなって、思ったのね。

やっぱり、すごく興味があるし。

姉の言うように、自分自身がPDだからカウンセラーにはなれないかもしれないけど。

どうせなら、美術の分野もやって、心理学もやって、資格も取ろうかな~とか。

子供が3歳までは、絶対自分の手で育てるっていうのが私の決まりだから、その間に通信なら可能だよねって・・・。

金銭的には厳しいけど・・・子供を保育園に預けるようになったら働くし、しっかり貯金して、お店持ちたいなぁ~とか。。。

夢が広がってます。

やっと・・・。

調停やって、よかったなって、思います。ホント。

調停できたのは、再婚したからで・・・。一人で生きていたら、もう、日々の仕事だけで精一杯で、調停も無理だったし、未来に夢を抱くことも、出来なかった。

子供たちへの罪悪感があって、夢なんて持っちゃいけないと思っていたけれど・・・そうじゃないんだよね。

罪悪感って言っても、それは子供たちから見たら、私の勝手な自己正当化でしかないだろうし、憎しみからは何も生まれないのと同じように、罪悪感から未来は作れないのだと・・・思います。

いや、まだ、子供たちに会ってみないと、わからないけど。(来週会えるの♪)

超アングリーかもしんない。

号泣して止まらんかもしんない。

どっちにしても、私は受け入れなきゃなぁ。

・・・・うん。

昨日、さりげなく・・・ダリンがガンの新薬のニュースを見せてくれて・・・ああ、ちゃんと、気にかけてくれているんだなって・・・。ちょっとしたことでも、私がどう思っているか、理解しちゃってて、そうとは言わないけど、上手に私を操作してるから、すごいなぁ~と思って・・・

簡単に死ねないなぁ~って。思った。

あ~、来月は私の誕生日だ~。何買ってもらおうかなぁ~。(・・・女って・・・)

32歳になるんだなぁ・・・。

☆

(ΘωΘ)~フムン。

☆

そんな年だけど「SWIMMER」っていう雑貨のブランドが好きです。

安くて可愛くて・・・・たまらんツボなんですよね。

でも、直営店も取扱店も少なくて、商品そのものも少なくてすぐに売り切れてしまう。

だもんで、ヤフオクで探したのだけれど・・・高いの!!ビックリした。

バックなんか定価2100円のものが3000円とか、長財布定価1280円のものが2500円とか・・・ええ!?みたいな。キーホルダーも定価398円が500円で出てる。

そんなぁ~。

という私のボヤキにダリンが「商売できるじゃん」って。「すれば?」て。

いやいやいやいや、好きなブランドに対しての裏切りですよ。出来ません!!

けども・・・そういう目で見たら、確かにオークションに出ている詳細写真にチラっと写っている手が・・・毛深いオッサンだったりする。s

それで「メチャ★かわいい★」って・・・キモっ・・・。

う~ん・・・ちょっと、イヤだなぁ~~~。

オヤジ・・・骨折しろ。(若くないので、死ねとは言えない)

SWIMMERは女の子のものだよ~。

ちょっと、最近はデザインが・・・あれ?っていうのがあるけども。オススメですよ~。

http://www.swimmer.co.jp/

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6ヶ月になりまして。

珍しいことにダーも一緒に検診に!!

3Dで胎児を見よう!ってなわけで。

見たんだけどさ・・・こぶしでガッツリ顔を隠していたヨ。

見ないで!!・・・ってこと?

性別も見てもらったけども。。。

あるような、ないような。たぶん、あるんじゃないかなぁ・・・って、先生も不安げ。

どっちでもいいよ~。

かなり元気な子でして、胎動も激しい。

ボコッ!ボコッボココッ!・・・・ボッ!

面白いです・・・ぐふふ。

待合室で、新生児を抱いた、くたびれてるママさんがいた。

うん・・・疲れるよね。3時間おきに授乳だものね。

でも、新生児見て、早く出てきて~~~!って思った。

やっぱ、赤ちゃんってかわええ~~~~~~~。

ダー似になりそうな予感なんだけど、アゴはしゃくれないで~~~~~!!

眉毛ボーンはイヤ~~~~~~~!!

とか何とか、思ってます。

mufufu

ちょっと、嬉しいことがあって

ちょっと、頑張ろうと思うことがあって

ちょっと、いい感じです。

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他人にとっては、ウルセー女だと思う。

ちょっとしたことを、オーバーに言い過ぎだと感じるだろう。

一人で騒ぎ立てて泣き喚いて発作まで起こして、うぜぇっつーか、無様だよ。

そりゃそうさ。

だって他人事ではないんだもの。

子供のことなんだもの。

親は無様に走り回るんだよ。

子供のために。

ジャスコで迷子になったって、大騒ぎだよ。

見失った!ってだけで、生きた心地がしないんだ。

母親って、そういう生き物だろ?

無様だろうが、ウザかろうが、うるさかろうが、知ったこっちゃ無いよ。

親は子だけは失えない。

そばに居なくても、心から排除出来ない。

そういうものだ。

一応ね、社会人だから仮面は被るけれど。

本心では、叫びながら走りたいくらい、子供が心配。

ペットとは比べ物にならない。

親との関係とも全然違う。

ミラクル子パワー。

でなけりゃ、PDの私が年子を育てられやしなかった。

・・・とはいえ・・・

いろいろ、調べているうちに、いくつもの判例・事例を呼んだのだけれど・・・

子供に対して親である自覚を持てない人、愛情を持てない人もいるんだね。

本気で「望んで産んだ子じゃないから、いらない」って。

かわいそうだなって、思った。

私自身は子供を産む前には、愛せるのか自信が無くていた。

腹にいる間も不安があって(持病があったから)産まれた瞬間に吹き飛んだ。

ペカーッて光ってたんだもの。漫画みたいに後光が指して!

病室で見たら、真っ赤なサルだったから、驚いた。

だけど、もう止められないほど、愛情が溢れてきて・・・かわいかった。

それでも、年子の育児と発作との戦いに疲れて子供に八つ当たりしたことが何回かはある。育児ノイローゼってやつか、なんか知らんけど。

すっげー後悔して、自分が傷ついてることに驚いた。

大抵は数分でわれに返って謝るんだけど・・・ホント、3回くらいで終わった。

キツかったけど、でも、愛情は枯れないのね。

枯れない湧き水だ。

某団体のアンケート調査によると、やはり親権は母親が取るパターンが多く、父親が親権を取ったケースでの面接交渉の有無は半々で、会えなかった子供たちは大人になっても親を恨んでいた。きちんとした説明と謝罪が無いことに、母親に会えなかったことに。

なるほどなぁ~って、思った。

私の母は幼い頃に父親が戦死して母親は再婚して、先妻の子供が厳しかったので、母は祖父母に育てられた。

母親に滅多に会えぬまま、14歳の時に母親はガンで死亡。

交流が無かったゆえに、事情を知っても「母は私を捨てたのだ。大嫌いだ」と今でも言う。

その怒りは、私に向けられていたのだが、私の子供たちへの気持ちや行動を見ているうちに、変化が出てきたようだ。

最近では、泣きながら「アンタはバカだ」とか「子供を捨てた」とは言わなくなった。むしろ、応援してくれて「孫に会えないのは辛いけど、アンタのがよっぽど辛いんだから、アタシが泣いたらおかしいよね」と涙を拭くようになった。

まるで、母の母親が出来なかったことを、私がしているみたいだ、と思う。

子供のために、無様に走り回れなかった時代。

ガンに蝕まれて、長くなかった人生。

その、未練を私が受け取ったのか・・・。

ガンは、いらないぞ。

・・・調停だ・・・。

きっと、また、恐ろしい目にあうのだろう・・・。

怖いなぁ。

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「例えば、明日という未来。人々は軽々と口にする。明日があると言い切れずとも。」

これは、私が14才の時に描いた漫画の冒頭です。

今になって、この言葉がガツーン!!と胸に響きます。

ガンという死に至る病気の可能性が、くっきりと自分の体内に現れたからです。

それだから、私は子供たちと暮らしたくてたまらないのかもしれません。

子供を産もうと必死なのは確かです。

もう、産めなくなるかもしれないから。

統計的数値では、今後も産めるであろう可能性は高いです。

が、しかし・・・

ガンという細胞は予測不可能なのです。

ほんの数週間で激変する細胞です。

ですから、ほんの5%の確率でも3ヶ月ごとに検査します。

もちろん、私の検査結果は「まだ大丈夫」っていうくらいです。

もっと深刻な人はたくさんいます。

早期発見ならば、少々切り取るだけで助かります。出産も可能です。

それでも・・・

「死」というものが、現実味を帯びて隣にやってきたな、と思うのです。

いつかは来ると思っていました。

今まで何度も呼び寄せました。

ある日突然、隣に居るっていうのは、なんだかちょっとホラーです。

極度のウツ状態や、恐怖感で自失状態になって死にたくなる・・・

そういう状態を乗り越える術を体得したと思ったら、隣にですか。っていう。

深刻に考えすぎって言って笑うことも出来るのに・・・背筋が・・・

霊体験みたいです。

ガンに限らず、事故や災害で明日を失うこともあるのですが。

あまりにも、リアルで。

影を踏まれて身動きが取れないような・・・不思議な感じです。

そんな私の現状は全く無視して、またも面会日は延期になりました。

「もうしばらくお待ちください」って

放送事故か!!

ハハハ。乾いた笑いしか出ません。ハハハ。

母親に会うことより、スポ少のほうが子の福祉に繋がるとでも思っているようです。

日付的に、明日・・・調停です。

果たして、調停人は話を聞いてくれるのか?また疑われるのか?責められるのか?

明日という未来・・・・・・・・・最高に、わけわからんです。

すべてが崩壊してしまいそうな気がする。

はぁ~。

怖い・・・。

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 北海道の貴婦人から、素敵な残暑お見舞いが届きました。
・オホーツクの自然塩。
     オホーツクの海水100%!!なぜかクリオネがパッケージに。
     これでダーは今晩ごはんを2杯食べれます。どんぶりで。
                   (我が家にはどんぶりと子供茶碗しかない)

・夢ジャム
     山ぶどう、こくわ、はまなす。どれも初体験!!
     これで私は今晩パンを一斤食べれます。(パンならどんだけ~でも食べられる)

・道の駅うとろ限定QP
     うとろって、地名ですかね?セクシーなTシャツ一枚のQP。
     我が家のバカ猫に食われないように注意!

ダーの姉も今月、北海道に旅行だったのでダーの大好物「チョコボール」の夕張メロンをもらいました。
あと・・・まりもっこりのタオル・・・。どうなんですかね、あのキャラクター?
人気があるのが救いですが、下ネタじゃないですか。思いっきり。
もう少し、何かなかったのかなって・・・。
まりもって、もっと神秘的なイメージだし、もっこり無いし。
どこかの自治体が作ったんですかね?
・・・ま、いいか。

ダーの姉はヨウ様ファンで、それはもぉ~喜んでおりました。
あの、眠そうな目が・・・いいんですかねぇ??半開きじゃないですか。
。。。ま、いいや。

そんなわけで、北海ド~!!ドド~ン!!な、夏です。うふふ★

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平成教育委員会を見てるのだが。

母校の問題が出てくる、出てくる。

えー?

あたしが在学中のころより、偏差値が上がったって、10年前くらいに聞いたけど

今もなのかなぁ?

調べてみよう。

懐かしいなぁ。あの頃に帰りたいわぁ。

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管理画面に入れないので、ブログが書けない。修正出来ない。
ひぃ。

つーわけで、試しに携帯から投稿!!

どーだ?



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正確には「問題があった」という経験に基づく過去形になります。

お互いをよく知らないうちに結婚してしまい、案の定、離婚した。

同級生の声が聞こえます。「だから言ったじゃない!アンタに結婚はむかないのよ!」

ええ、確かに数人の旧友から結婚当時「絶対に離婚する」と言われていた私・・・。

でもっ、それは、きっと未婚女性のイヤミだったのよ~~~~~~~~~~!!!

と叫ぶのは、再婚したからです。

私が結婚にむかない?アハハ!再婚できましたが、何か?

・・・・とか言ったら、まだ未婚の女性には殴られるに違いない。

やっぱりね、ちゃんとお互いを知って、お互いの家族も知って、結婚するもんですよ。

さらに、結婚してから経済状況を見て検討し、計画的に子供を作るべきですね。

・・・そんなこと一度も無いですけどね。

どうしても問題にぶつかることが多くて、計画的な人生なんて無縁ですけれども。

・・・そうあるべきだねって、いまさらながらに思うのです。

元夫は計画的な人生を歩むことが出来る人で、それを大事にしていました。

ので、でき婚も離婚も不本意であったと思います。申し訳ない。

だからって子供を産んだことを後悔してない。

むしろ産めてヨカッタ!産まれてくれてありがとう!産ませてくれてありがとう!です。

初めての妊娠発覚当時は、両親もビックリしながら、ほっとしていた。

それは、私が神経症でまともに生きていけないんじゃないかって、不安だったから。

肩の荷が下りたって顔だった。

神経症の娘を受け入れる人なら、誰でもいいよ、ありがとう!って感じで。

全然、受け入れてなかったんだけど。

本当に、知り合って6ヶ月、付き合って5ヶ月っていうデキ婚だったから、早すぎたなって思う。

思いやりもない離婚をして、情けない気持ちでいっぱい。

子供たちにも申し訳ないし、本心では再婚も新たな妊娠も罪悪感がある。

それいついては、ダリン(現夫)に申し訳なくて・・・

以前の私を知っている人が、今の私を見たら、驚くと思う。

自信もプライドも失ってしまったから。

たぶん、昔の知り合いに会っても、目を合わせられないと思う。

家に閉じこもっているのが、心地よい。

そういう過去を背負ってしまう可能性があるのが、でき婚だよ。

久しぶりのブログ人のトラ場でした。

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21歳で結婚するっていう時・・・私は「女は愛されてナンボだわ」って思っていた。愛することで傷つくのが嫌だった。「きっと、また裏切られるのなら、もう愛さないわ」って。だから、結婚生活の中で一度も愛してるって、言った事が無かった。思ってなかったから。とっても失礼なことだった。それでも、嫌いだったわけではないし、愛する人と暮らすよりも、ずっと気楽で良かった。(最初だけだったけど)なぜって、愛してしまうと、一緒に暮らすのが辛い。毎日、毎時間、不安だったりワクワクしたり、心が忙しくて、寿命が縮まってしまう。

だからと言って、彼が私を愛していたかというと、それもまた違う。支配欲を持ちながら、妻に母親を求めている、そんな感じだった。愛だったのなら、たぶん、多くのことを許してくれた。今も、許さぬままだなんてことはなかったはずだ。彼が私を許さないのは、それだけ彼が私の事を愛していたからだ!という意見もあるのだが、彼が私を許さないのは、プライドの問題で・・・愛だというのは言い訳だ。愛なら許されるのか?そこが難しいところだけど・・・。思いやりの無い、離婚だったと思う。お互いに。

ちょうど、いま、24時間テレビがやっているけれども・・・毎年、あのマラソンの意味が分からない。走るよりも何か建設的なことをしたらいいのにって思う。「愛は地球を救う」というタイトルは、どこに表されているのだろう?毎年薄っぺらくなっているように思う。走る芸能人を応援するより、24時間の間に離れて暮らす親に子供たちを会わせなさいよ。この日だけは、親権とか関係無く親子関係を認め合う日、とかして見せてって、思った。自分勝手な、見解。

「会わせてもらえない事」を受け入れるのであって「会えない事」を受け入れるわけではない。会えない事は、オカシイ事なのだから、受け入れられない。親権が無いから、子供に関する全ての権利が無いという事実を受け入れるだけだ。面接交渉権は子供たちの権利だのに、子供たちには権利を主張する場が無いから、私が声を上げている。聞こえるまで、届くまで、声をあげ続ける。・・・子供たちは父親を恐れ、哀れに思っているから、声をあげられない。それが、わかっているから、複雑な気持ちなのだけれど・・・。本当に、父親である彼が、理解して行動してくれれば、子供たちはこれ以上、泣かなくて済むのだが。

感情を記号化または数値化して、公式が作れたならどんなに楽だろう。・・・そういうの、本当は嫌いなんだけど今だけ、ちょっと思ってしまう。先月に会える予定だったのが、延期になって(仕事が忙しくてお盆休みも無いそうで)それっきり、連絡が無い。・・・また私から連絡せねばならんのか。私からのメールで不機嫌になるって話だったから、それが子供たちを脅えさせると思うと、メールしにくい・・・。これも彼の作戦か?・・・よくわからないですなぁ・・・。どっちも親権が欲しくてして、その親権を手にした方が「譲ってくれてアリガトウ」ってならずに、どこまでも壁を作り続けるのは・・・どういう理論でしょうか?感情論でしか説明できない。冷静に、論理的に説明して欲しいものだ。ああ、そうか、だから子供たちに「お母ちゃんは家出した」と言うのか。

う~ん・・・。う~ん・・・。悪い人ではない。・・・何を恐れている?子供たちを私に会わせると、何か困るの?連れ去られそう?いや、むしろ子供たちが私と暮らしたがっているけどね。私には親権が無いから、それは出来ない。親権者の許可が無いと、何も出来ないんだから。だけど、公共の施設に子供たちを連れて助けを求めたら、どうなるかわからないよね。それを懸念して日曜日限定なのかな、とか考えたり。だとしたら、情けなさ過ぎるので嫌だな、とか。ココへ来て、元夫に幻滅したく無いのが本音だ。自分が選んだ相手だから。過去の思い出を汚したくないから。子供たちの父親を尊敬したいから。

もう、どうでもいいかなて、思うこともある。人としてオカシイことって許せない性質なんだけど、もう、いいかなって。子供たちも、どうして会えないのか、よくわかっているし。私が再婚しても、子供を産んでも、母親であることは変わらないんだって、きちんと理解してもらうつもりだから、弟か妹の誕生を喜べると思うし・・・あと数年は辛くても、会えるようになるんじゃないかって・・・。だから、調停とかしなくてもいいんじゃないかって。・・・そう思いつつ、やっぱり暴力に関しては手遅れにしたくない部分があって。子供たちの泣き方や、目のそらし方を見れば、それが本当だってわかるし、アザがなくても心は十分に傷ついているって、わかるから。法務局の話では、調停をして、その暴力の可能性をきちんと表面化させておくことが大切なんだって。地道にそういうことを続けて行くしか、方法が無いんですって。非親権者だから。・・・それで、調停に行ったら、一言も話さないうちにガンガン怒られて。悪質なクレーマーのように扱われて。笑うしかなかったですよ。

裁判所HPの調停についての説明文にも、笑っちゃいました。実際の調停を調査したほうがいいですよ?ってメールしようかと思った。「調停人による、ゴリ押し」「裁判官による、嘘」もうこれは、うちのダリンが首相になるくらい、ありえない。あっちゃいけない!!そんなことになったら、政治家全員お笑い芸人になるよ!!・・・あれ?意外と良いわね。この例えはダメだな。政治を持ってきちゃイカンな。コンビニの営業時間が役所時間になるくらい、ありえない!!これは困る!!利用者もコンビにも困る!!

こんなネットワークの片隅で、それほど積極的にネットワークを広げていない人間が、何を言っても宇宙の藻屑ですけれどもね・・・。ま、いつかは。・・・あれですかね?音楽とか漫画も私は趣向がマニアックなんですよ。マニアック体質ってことで、抱える問題もマニアックなのかな?・・・・・・・・いやだなぁ・・・。

方向を間違えなければ、あきらめなくていいと思う。多少は立ち止まらなきゃならない時期もあるけれど、年だからとか、○年経ったからとか、そういうもんでもない。人生って、終わりが分からないんだしね。明日が寿命かもしれないからね。あきらめなくていいんだよ。ダリンのPC使うようになってから、誤字脱字オンパレードだけどね、気にしない気にしない。隣のババァが何を叫ぼうと、焼き鳥屋の煙が家に入ってこようと、客がうちの前でギャーギャーうるさかろうと・・・いや、これは怒鳴りたくなるけど。ま、いいんですよ。どう生きているか、っていう自分なりの価値観で、生き抜いたモン勝ちですよ。他人の価値観に振り回されるのも時間の無駄でね、価値観なんて個人的なものですから。いいんです、そのまんまで。他人を傷つけるようなものでなければ。

って、おおらか~~~~~に考えるとね、元夫も小さく見える。ああ、砂粒!?ってくらい。自分自身もクレイアニメの粘土人形みたいだし、ダリンもメガネのフレーム。砂粒が、痛いってことだけが、浮いてくる。投げてくるから、痛いなぁ~って。子供たちにも当たってるし、やめてくれないかなって・・・そんだけ。

砂は砂で、必要なのだから、投げるのを辞めて、そこにいたらいい。私もダリンも、一部では必要だから、ここにいる。子供たちだって、必要とされているから、砂のとこにいる。だったら、大切にされてるといいなって・・・これは親の欲目かな。ああ、本当に、いつかいつかいつか、みんな笑顔を交し合えるようになりたい。

うう~~~~~ん。眠い!よく寝るダリンの遺伝子が入っているだけあって、眠いぞ。(関係無い?)ああ、そう、それで、ダリンのことは愛しているのかどうなんだ?って話だけど・・・それは、秘密。

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97年5月入籍。引越し。6月に挙式。
それまで劇団の人々(大学生)としか交流が無かったので、方言がわからないことに気付いた。
標準語だと団地では目立った。若いこともあって、友達など出来なかった。
広場恐怖がよみがえり、スーパーに行くのもやっとだった。まだ免許も無くて不自由だった。
夫は優しかった。
具合が悪いときは寝ててよかった。この先、仕事もしなくてイイし、好きなことだけしていいよ。と言った。
両親は私が結婚したことで、病気は治ったと思い込んでいたので、そう思わせておくことにした。
主治医には相変わらず言いたいことが言えず、病院へは行かなくなった。

出産が近づいて、やっと夫に「子供の父親が誰かわからない」と告白した。数日無言だった夫は「それでも、自分の子として育てる」と言ってくれた。私は無事、長女を出産した。
育児は過酷だった。
疲れやすい自分の身体が疎ましかった。
おまけに、毎日一人だった。
間もなく二人目を妊娠。団地の主婦たちと挨拶はするものの、仲良くはなれず・・・。夫の母親は、なんとなく怖かった。長女の出産の時、本当は里帰りしたかったのだが義母がそうさせてくれなかった。だからといって義母が産後の手伝いをしてくれるわけではなかった。数日実家に帰るだけでも、実家に電話して「うちのkanaがお世話になります」と私の両親に言った。
両親は、少し傷ついた。
二人目はサスガに里帰りさせてくれた。
年子の育児は、とんでもなかった。記憶が全く無いのだ。
PDの人は年子を産まないほうがいい。激ヤセしてしまった。
少し会話が出来る人が団地内に見つかった。嬉しかった。育児サークルにも入った。
それでも、辛くて辛くて・・・芝居がしたかった。
夫に話してみた。すると、怖い顔で「家事も育児も手を抜かないなら、やってもいい」と言った。
あれ?と思った。
芝居を再会して、ミュージカルやらコンとやら、社会人劇団に入ったり、イベントに出たりテレビに出たりした。それがとても楽しくて、病気のことなんか忘れた。とても調子がよかった。何でも出来そうだった。
急に夫に「仕事、するだろ?」と言われて驚いた。夫は家を建てたいのだ。だから、私が働くのは当然だと言った。私は、家を建てたくなどなかった。でも、従わなくてはならなかった。
免許を取るために、実家に子供たちを連れて行き、滞在した。運転は私に合っていたようで、AT限定ということもあって、超短期間で免許が取れた。
免許を手にして、すぐにパートを始めた。
それでも、芝居は辞めなかった。病気になってからずっと、芝居は私を支えてくれていたのだ。
そんなことは、夫は知らない。劇団とは何も関係無い人だから。
ゆえに、私の活動が活発になればなるほど、機嫌が悪くなった。一緒に芝居をやろうと誘ったりもしたが、無理だった。ついに夫はキレるようになり、私は逃げた。その度に「もうしません」と言うのだが、繰り返した。
それで、私は悩みに悩んで、離婚を決意した。

離婚については「離婚と調停」の記事を参照してください。

離婚調停の期間、私の症状は最悪だった。それこそ、記憶に無いくらい。
かろうじて日記を書いてはいたのだが、PCごとオシャカになった。
豹変した夫が怖くて、家に帰れず、友人宅や車で寝たりして・・・どうしたらいいのか混乱していた。
発作ばかりだったし、泣いてばかりだった。
現在の夫となったダーが、隣にいてくれたけど、いただけだった。ホントにいるだけで・・・。でも、それに救われていた。生きることそのものが、怖くてたまらなかったのだ。自分が存在することそのものが恐怖で、地に足をつけていることが、重くてたまらなかった。死にたくて死にたくて・・・ダーが隣にいなかったら、死んでた。
調停中も、芝居は続けていたし、イベントの仕事もあったし、仲間と遊んだりもした。けど、身体の中が空洞だった。小さい頃からポーカーフェイスが得意だったから、平然とみえただろうけれど、ズタボロで、ホントにボロ雑巾だった。そこに居たのは、私の皮膚だけだ。
歩けなくなる時もあった。発作も涙も、止めようが無かった。
帰る家も失って・・・結婚した相手に、そんなことをされている事実を消したくて、ショックで・・・。
死にたかった。
長生きはしないと、決めた。

調停が終わって、一人になった。子供たちには年3回しか会えなくて、どうやって生きたらいいか、わからなかった。ダーがアパートを借りてくれて、そこで、毎日泣いて暮らした。
芝居も、出来なくなっていた。心がカラカラだったから、どんな感情も表現できなかった。
子供たちに会える日だけを目標に、生きることが、精一杯だった。

貯金がそこをついて、仕事を探した。
母に責められるので、実家には帰れなかった。(母は祖母に捨てられたと思い込んでいて、だから子供を捨てた私を許せないのだ。祖母を憎めなかった分、私を憎んでいた)
PDであることを言って、でも雇ってくれる会社があった。アパレル店員の仕事だ。
私が一番好きな仕事だった。
普通に働けるのか、わからなかった。けど、働くしかなかった。

休みの日は必ず発作だった。
仕事中も親子連れや子供を見ると、涙が出て、ヤバかった。ここは演技だ、と思った。店員の役をしている、と自分に暗示をかけて、仕事中は子供のことをあまり考えないようにした。
それからは、とりつかれたように働いた。
2ヶ月に1回は、朝から晩まで発作が止まらなくて、仕事を休んだが、とにかく働いた。
ダーの借りたアパートを解約して、自分でアパートを借りた。それで、さらに働いた。
仕事が向いていたらしく、上司に認められて店長代理になった。1ヶ月に196時間働いたこともあった。
一時期は、激ヤセして男遊びに狂った。アホになりたかった。なりさがってしまえば、全て「ダメ人間だから」と言えてしまうのではないかと思った。でも、続かなかった。
もうすぐ店長になるかもしれない、となった頃・・・姉にすすめられて行った県外の専門医にパニック障害に間違い無いと言われた。ショックだった。それまで11年、自分がそういう病気であると知らずに、数々の男たちに「重荷だ」と言われ、元夫にも「オレといて、どうして治らない!?」とキレられたりしたのだ。両親からも散々、気のせいだとか、情けない娘だとか言われて・・・。それが、今頃・・・。
何より、障害者だということがショックだった。
さらに、専門医がよこした数種類の薬すべてが合わなくて、体調が悪くなった。
急に思い立って、末期ガンで入院している祖母に会いに行った。
祖母の住む市に入ったとたん、何故か涙が止まらなくなった。ああ、祖母は長くないのだな、と思った。
祖母には離婚のことを言ってなかった。つか、私を姉だと思っていた。背中が痛いと言うので、さすってあげた。骨と皮だけになった背中が、冷たくて胸が詰まった。
少しして、祖母は亡くなった。大切な何かが、大きな何かが、消えてしまった。
同じ頃、叔父が自殺した。身の回りをきれいにして、自慢のヒゲを剃り、頭も丸めて。
私のしたかった、選択をした叔父・・・。
私の中の、何かが、崩れた。

完全に症状は悪化し、職場での些細なことが恐怖になり、そこへ向かうことも出来なくなった。
歩いて10分の職場に、30分かかってもたどり着けなかった。
引き止めていただいたけれど、辞職した。
収入が無くては一人暮らしも出来ない。
私は病気になってから初めて、両親と暮らすことになった。

実家は埼玉から栃木県に移住していた。
そこで、専門医ではなく近所の心療内科に通った。今まで通り軽い坑うつ剤の頓服のみで暮らした。
両親にとっても、私の病気を実際に見て知ることとなり、結果的にはヨカッタのだが、どうしても親権を譲ったことを責められて、辛かった。病気を目の当たりにしても、働けないことは理解できない父は「遊んでいないで働け」と言った。「オレのスネを見てみろ、こんなにかじられてガリガリだ。もうかじらないでくれ」と。
バイトの面接なども行ったのだが、PDのことを言うと、不採用になった。
実家で、両親のペースに合わせながら、自分の体調管理をするのは、難しかった。
8ヶ月経って、やっと、動きたくなった。
芝居をしよう。まず、そう思った。
実家のまわりには劇団が無かったので、姉の住む東京に行くことにした。

東京ではセミダブルのベッドの上が居候場所だった。
芝居はつまらなかった。PDのことは、最初に言っておいたのだが、特に気遣いは無く、むしろ気性が激しいリーダーにみんなが脅えているような状態で、最低だった。
稽古は夜なので、日中の仕事を探した。ユニクロに入った。ここでは、PDも快く受け入れてくれた。
東京では、PDはメジャーな病気だったし、無理をしないことが、きちんと自己管理できているという証だった。
とても働きやすかったので、しばらく働いてみることにした。バイトではなく準社員という形で。
どこまでやれるか、挑戦だった。ユニクロはアパレル業界でもキツくて有名だからだ。
噂どおり、仕事内容はハードだった。常にさらに上のレベルを求められた。1つ出来たら2つ出来て、2つ出来たなら3つ出来るのが当然、という考え方。慣れても、慣れても、楽にはならない。
以前と同じ、もしくは少ない8時間労働なのに、帰宅する頃には足がフラフラで、頭がホワホワした。
休日は寝っぱなしで、夜中に発作を起こすこともあったし、仕事中も何度もあった。
限界なんだなって、思った。この、週40時間労働では、他に何も出来ないな、と。
しばらくして、父から「一人で生きていってください」と言われた。「私ももう、年ですから、いつ死ぬかわからない。心配だから、一人で生きれるようになってください」と。
親心というか、勝手というか・・・。
ギリギリの労働で、一人暮らしとなったら、本当にいつ症状が悪化して仕事が出来なくなってもおかしくない。私は死を覚悟した。もう、誰にも頼れないのだから、働けなくなったら死ぬしかない、と。
そう思うことは、とても気が楽だった。「子供たちのために、苦しくても生きなくちゃ」と思うよりも「仕方が無いので、死にますか=3」と思うほうが、楽なのだ。単なる逃げだけど。
お金を貯めて、アパートの契約を済ませた頃、ダーから電話があった。一時期付き合っていたのだが、東京での芝居が終わった頃に、別れたはずだった。多分3月に。それから4ヶ月は経っていた。
電話帳から消してあったのだが、寝起きでぼんやりしていて、見慣れた番号だったので出てしまった。
お互いの近況報告などをして維持間ほど経ってから「家が出来たから・・・」と言われて、それが求婚だとわかって、大爆笑した。なんて面白いんだろう。と。
死ぬことを覚悟したばかりだったのに・・・。どうやら、まだ死ぬ時期ではないようだった。

そんなわけで、ダーの故郷に住んでいます。ダーの建てた一軒家に。
心療内科を探して、行ってはみたけれど「で、どうして欲しいの?」なんて言われて、それ以後どこにも行ってない。とりあえず、この県には専門医は居ない。マトモな精神科医もカウンセラーも居ないらしい。
いずれは探さなきゃならないけれど・・・。

走り書きのように、これまでの歩みを買いたので、後で付け加えることもあると思います。
特に、症状や、克服方法などは・・・。

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